片付けと自己対話ー3(決断したくないよぉ!)

片付けと自己対話シリーズ。
一番はじめのお話はこちら

決断したくない

片付けをしていてひょこひょこと顔を出してきた気持ち。
それは「決めたくないよぉ〜〜!!」というものだった。

決断とは、決めると同時に、何かを断つということ。

このちょっと色あせた哀しいワンピースをとっておく?それとも捨てる?

よくよく見つめると、
決めることが嫌、というより私は断つことをしたくないのだった。

選んだら失う気がする
後悔したくない
失敗したくない

だけど、気づいたらどちらも手に入っていないし
前にも進めていない
、という繰り返し。

選択肢をぶらさげたまま生きてきた

**
可能性を眼の前にいっぱいひろげたまま**というのは存外心地よかったりする
コーヒー、紅茶、ココア、カフェラテ、ジュース、ミルクセーキ……誰の許可もいらないし、何を頼んでもいい

だけど、ほんとうに生きる上で決断しないことが楽か、というと

選択肢を目の前に並べたまま未決断のものに囲まれて生きるのは
楽なようで、楽じゃない(そもそも、書き出してわかったけれど、”こうしたい”っていうイメージはちゃんと自分の内側にあったりする)

・ほんとうはこうしたかったんじゃないのにな…
・なんで私は今こんな状態になっているんだろう…

他ならぬ自分のことなのに、
自分がどうしたいか、惑いながら前に進めなくなる

家を落ち着ける場所にしたいという理想があるにも関わらず
そこに向けて歩み出せない自分への不信感が募っていく

片付けを通して「決断の先延ばし」が「人生を豊かにしてこなかった」ことを突きつけられる

片付けは決断の訓練

片付けは小さな決断の繰り返し。

こんまりさんも書いているけれど、
自分の物に限ってまずはする。

誰も傷つけることなく(ご飯の誘いに行くか断るか、のように)
自分というものがクリアになっていくのだとしたらやって損はない

決断するには、内側をみつめざるをえなくなる
・何が好きで
・どんなところに惹かれて
・どんなふうに生きていきたいのか

捨てたことへのわくわく。湧いてくる後悔。
物の要・不要の判断を通して生じる正直な感覚を
気をつけて観察する 

すると自分の輪郭が見えてくる

選ぶことで人生ははっきりと自分らしくなっていく

片付けを通して、選ぶことこそが生きている実感につながるということを感じるようになった。

自分の生活、身の回りにあるものを自分の意志で選んでいく

「人生は編集です」とある編集者の方が言っていたのだけど

逆に編集しないで生きていくということは、けっこうしんどい。

選択を人まかせにし、情報に流され、現状を誰かのせいにして、自分の感情をごまかすのがうまくなっていく人生。

え〜私の人生そんなストーリー!?って人生終盤に思っても仕方ない。

素人だから選べない、ではなく知りたいと思ったら、いくらでも知れる。

「決断」と言っても、自分がどんな状態にワクワクして、そのために何を断つのかという具体的で小さなアクションを起こせるのが片付け。

そのひとつひとつの小さな決断の積み重ね
自分に自信をつけていった。

選択肢が多い時代に嘆いていてもしょうがないから、選べる自分を信じて楽しく生きるしかないよねっ
(醤油ラーメンか担々麺の二択だったら、楽なのにってたまに思う。)


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