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実母が脳の難病疑いに①

このnoteは
介護福祉士の私(娘)の目線から
62歳の母の闘病について赤裸々に記録するnoteです。

自分の心の整理のため、
記憶の記録のため、
母への想いを整理するために
noteとして残します。

【このnoteを読むと得られる事】

☑︎介護保険制度を利用するまでのリアルな経緯が分かります。
☑︎フレイルとは?が分かります。(フレイルチェックリストを引用しています。)


大学病院で脳の検査をした帰りに
母と寄ったカフェにて☕️
母の身体が元気な間は
出来るだけ笑って過ごしたい
と思った昼下がり。

母が脳のMRIを撮るまでの経緯

なぜ、62歳の母が
脳のMRIを撮る事になったのか?
その経緯をお話しします。

•もともと、とても字が綺麗だったが、字のバランスがおかしくなり読みにくい字になった
•ガニ股で歩くようになった
•少しロレツが回らないような喋り方になった
•表情が乏しくなった
•自分の人生を悲観的に言うようになった

このような症状が、ここ1、2年で出現してきました。

日中ぼーっと過ごしている事が
多くなったので、更年期障害や、鬱病なども疑いました。

父の希望で、脳を詳しく検査してみることにしました。

そして検査の結果、
ファーストオピニオンとして
多系統萎縮症の疑いがあると診断されたのです。

脳の難病を発症するまで

4年前に腰椎圧迫骨折をして介護保険を利用した

母は、4年前、腰椎圧迫骨折を経験しました。
原因は、初孫が生まれ、抱っこやお世話を頑張るうちに
脆くなっていた骨が折れてしまったのです。
腰椎を圧迫骨折した母は、
一時、歩くことはもちろん、寝起きすることも
ままならなくなりました。
普通のベッドでは不便を感じるようになり、
介護福祉士である私の目から見ても
介護保険申請をする必要がありそうだと思うようになりました。

父と相談し、
地域包括支援センターに相談に行くように助言しました。

地域包括支援センターで、
介護保険申請をし、認定調査を受けた結果、
母は「要支援2」の認定が降りました。

まず最初に、
母が受けたサービスは
介護ベッドを入れたことでした。

普通のベッドでは、
寝起きすることがままならない状態でしたが、
介護ベッドを入れたことで、
自分で寝起きができるようになりました。

要支援2から仕事復帰するまで

介護ベッドを入れた生活は、
有難いことに
長期戦にはなりませんでした。

リハビリの効果が徐々に出始め
介護ベッドを手放す事になりました。

腰椎圧迫骨折をして、休んでいた仕事を再開できるようにまで
回復しました。

しかし、以前の母とは
少し変わってしまった点がいくつかありました。

圧迫骨折後に起きた母の変化

圧迫骨折が母に与えた影響はいくつかあります。
大きく分けて、
身体的な変化と、心理的な変化に分けることができると思います。

身体的な変化

圧迫骨折後、母の歩き方が変わりました。
ガニ股になり、歩行のスピードは落ちました。
体力が低下したため、
食後は直ぐに横になるようになりました。
食べて寝て、の生活の為
体重は増加しました。
体重が増えて身体が重くなったからか、動きづらくなり
食べては寝て、と悪いループに陥っていました。

心理的な変化

一度圧迫骨折をしたからか、
歩く事に恐怖心を抱くようになりました。
これまでは、電車通勤をしていましたが、
駅のホームを怖がるようになりました。
本人曰く、ホームに落ちそうになる気がするとのことでした。

父に車で送迎してもらって、
何とか仕事には行っている状態でした。

もともと内向的な性格の母でしたが、
ますます自分の殻に閉じこもっていきました。

フレイルとは?

要支援状態から改善した母でしたが、
骨折する前のような状態には戻らず、フレイル状態から脱却できていないのでは?と
思う場面に
いくつも遭遇しました。

フレイルチェックリスト↓

母に
フレイル状態から抜け出してもらおう!と考えた、私たち家族は
某女性向けフィットネスジムへの入会を
母に打診しました。

始めは、リハビリデイサービスの利用を検討しましたが、
現段階では介護保険を使わず
民間のサービスを利用して
暫く様子をみよう、ということで
母本人も納得しました。

フィットネスジムに通った結果

母は週3回、フィットネスジムに通うようにしてなりました。
始めた頃は体力の低下が顕著だったようですが、
一回30分でも、週3回続けていると体力がついてきたようでした。

仕事と家庭の二つだけの世界だった母に
新たにフィットネスジムというコミュニティが生まれました。
そこで頑張っている女性たちに触発されて、母も前向きにトレーニングに向き合ってくれるようになりました。

フィットネスジムで体力がつくようになった母は
1時間程度の散歩を
一人で出来るようになりました。

家族のグループLINEに

今日はここまで歩きました!

と報告を入れてくれるようになったので
その都度、

すごい!
たくさん歩いたね!

と返信して、
母の自己肯定感が上がるような声かけをしました。

身近で母の様子を見守る父

そんな母の様子を間近で見ていた父には

母に、骨折前のような状態に戻って欲しい

という願いが強くありました。

父の想いと母の想いのギャップ

そんな父の想いとは裏腹に
母の想いを聞いてみると
人生を悲観的に見るようなコメントが多くなっていました。

母の口癖は

こうなったものは、仕方ない。
年を取ったら動けなくなるのは仕方がない。
夢や希望はない。


三人の子供を育ててきた母は、
自分のやりたい事に蓋をして生きてきたそうです。

やるべき事、やらなくてはいけない事に忙殺されているうちに
やりたい気持ちや、自分の欲求が分からなくなってきた。

つづく。。。

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