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百線一抄

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国内において2020年12月現在営業中の旅客輸送路線について、お題の通り100線取り上げていこうという、何とも気の長い設定です。 今回は範囲をJR線と、国鉄やJRから経営分離さ… もっと読む
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記事一覧

【百線一抄】070■1揃いから始まった愛にあふれる新型路線―井原鉄道

三セク路線の中で大半の区間が新線となった路線が数社あるが、伯 備線と福塩線を東西につなぐ…

【百線一抄】069■雁や鶴も飛び交った重要バイパス路線―常磐線

扱いとしては東北本線に属するいち支線。しかしこれまでの実績や 来歴は本線級と言ってはばか…

【百線一抄】068■長い歴史を見知る短いローカル線―弥彦線

古来から越後国一宮として鎮座する彌彦神社への参詣路線として着 工、弥彦から吉田を経由して…

【百線一抄】067■「有限無限」が息づくまちをゆく―宇部線

背景を探ることで、現状からは窺い知れない来歴を知ることができ るまちがある。とりわけ移り…

【百線一抄】066■花見とともに寄り道も楽し延伸線-樽見鉄道

盲腸線といえば進むごとに客が減り、わずかな乗客らが終着駅で降 ろされたあとは折り返し列車…

【百線一抄】065■朽ちることなき生来の名の軌跡―相模線

移り変わりを紐解くと数奇な運命の翻弄が見える。砂利の運搬線か ら身をおこしたものの経営は…

【百線一抄】064■豪雪地帯を駆ける雪うさぎ―北越急行

新たな路線の計画が時を重ねるとともに生き物のごとく書き換わる さまは、変更時点における世情を重ねると興味深いものとなる。要 望や目的も当世の事情とともに変化していくのは必然とは言いなが らも、60余年の期間のうちにこれほどまでにありようが変わった ケースはそうないように思う。北越急行ほくほく線のことである。 浦川原から日本海側に出る路線は早期から開通していたが、雪深い 地域である松代や十日町を経由して上越線へ結ぶ路線の構想が地元 の請願や陳情によって動き始めた。当時の情勢か

【百線一抄】063■みちのくの幹を支える青い樹の電車ー青い森鉄道

いわて銀河鉄道線とともに並行在来線を引き継いで、新幹線が八戸 まで延伸したときに産声を上…

【百線一抄】062■愛のある西への旅立ちを迎える夜明け前ーIRいしかわ鉄道

世に出ている今の姿は途上の姿。今はまだ片側しか翼を開けない姿 を見せてはいるが、もう少し…

【百線一抄】061■伊勢路の嚆矢とばかりにみえが往くー参宮線

伊勢神宮を結ぶ鉄道路線が早期から注目されるのは必然であった。 認可を受けたのは地元出資者…

【百線一抄】060■未踏の地でゆらり味わう丹後の調べー京都丹後鉄道

大阪と舞鶴を結ぶ路線が明治期に開業すると、さらに若狭湾の西部 方面をめざす路線を求める声…

【百線一抄】059■県境を跳び越えるいなばと白兎の物語ー智頭急行

山あいを貫く新線は3県に跨がるローカル線である。陰陽連絡線の 姿を世に現出したのは平成6…

【百線一抄】058■ありなし振らず丹波路の歩みー福知山線

尼崎から最初にめざしたのは、日本海側の海の拠点、舞鶴だった。 利用客を確保しながら少しず…

【百線一抄】057■権現おわす地を結ぶ夢の浮橋ー日光線

明治初期から海外においても名が通っていた名勝、日光。鉄道が繋 ぐようになったのは1890年、今の東北本線に列車が宇都宮へ走 り始めてから5年後のことであった。鉄道国有化によって東北線と あわせて国の鉄道として組み込まれ、首都東京と景勝地日光を結ぶ 比較的重要な路線としての地位にあった。江戸期以来の流れを受け て、東京上野からの直通列車も開業当初から複数設定されていた。 短路線の印象がある日光線だが、実際の距離は40キロほどある。 進行方向が宇都宮で変わる線形ではあったが、東