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器の大きい人

あの人は器が大きい、あの人は器が小さい、という表現があります。
別の表現で言うと、懐が深いとか心が広い、そういった言い方もあります。

ところで、その「器」の大きさというのは、いかにして大きくするものなのでしょう?
ちょっと考えてみました。

器の大きい人というのは、一般的に「あまり怒らない」「寛容」「優しい」とか「トラブルに動じない」「気遣いがよくできる」といった評価がついてきますが、それを後押しする背景として「知人・友人が多い」「仕事ができる」という、いわば人との関わりにおける声価が高いところもあるように思います。

そこでその器なのですが、それはどのようにして大きくすることができるのでしょうか。もしくは、大きくなるものなのでしょうか。
私見としては、その器を大きくするのはまず自分自身、しかしながらそれをより強力に支援するというか、プッシュアップしてくれるのが他人、つまり関わりのある人々なのではなかろうかと考えています。

自分自身で器を大きくすることはそう難しくない。自己を常に高めるべく研鑽を深めて経験を積み、それを体現していけばついてくるもの。そういうものだと思えるからです。ただ、その拡張するために得られる都度都度のポイント数は多くはなく、成果もおそらく人それぞれにもよると思うし、その人自身の日々の状況によっても異なる、いわば不安定でかつ薄っぺらい積み上げでしかないようにも思えるのです。

そこで見えてくるのが関わりのある人々による積み上げの追加。その人にとって善かれと集う人たちは、その人がより素晴らしい人となるようなものを持ち寄ってきます。なかには器を満たそうとするだけの人もいるかと思えば、その器そのものを大きくしようとする人、器の綻びや脆さが見えるところを繕い整えてくれる人もいる。そして、そういう人たちがかわるがわるその人の器に関わることで、器そのものの大きさどころか品質をも高めて豊かなものにしていっている。自分はそんなふうに考えるようになってきました。

人の器は自分だけでは大きくならない。人との関わりがよりよいものになるように自分を高めていかないと大きくはできないし、よい器にならないらしい。
となれば、よりよい人とのつながりを求めることになるけれど、そのためには……やはり自ら器を磨いてよいものに育み続ける。そしてそれにいいつながりの人々がかわるがわる関わってくれるように自らの振る舞いや考え方を善くしていく。それがどうやら長いようでも近道となるようですね。今のところは。

何気ない自分磨きよりも、周りもいっしょに輝ける磨き方を求めて。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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