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ずくりワークショップ2024後半~玉地区を歩くー玉5丁目ー~参加レポート~

ずくりワークショップ2024
玉野市の空き家問題を考える機会として、2018年から行っているワークショップです♪
市内でもレトロな街並みや古民家が残る「玉地区」にスポットをあて街歩きをしました。

2024年前半のレポートはこちら↓
(前半は古民家を見学しお手入れ方法を学びました)

講師紹介

山本晶大さん


高知県出身。尾道市立大学、ドイツ滞在などを経て、2018年玉野市に移住。駅東倉庫にアトリエ三角堂を設ける。インスタレーションアート、内装、インテリアなどを主に空間の演出や制作などを行う。最近では玉野市、倉敷市玉島、広島県尾道市などにて空き家改修、店舗デザイン、空間インスタレーションなどの仕事をしている。

玉地区の歴史

玉地区周辺は、かつては海であり、塩田業が盛んでした。
こんな伝説があります。

昔はこのあたりを児島の加茂の庄といっていたころ、「宇那の浦」の浜辺で毎晩光を発するものがあり、その光は数十歩の周囲をてらしていた。 村では百姓も漁師もこれを怪しみ、おそれ誰一人近くものはなかった。 このときここに「海部の雄島」という勇敢な人があって、ある夜光をたよりにそこへいって見ると、その光は砂のなかから出ているではないか。 不思議におもって掘ってみると、それは一抱えもある大きな蛤であった。 雄島がこれを家に持って帰ると、家の中が明るくなるほどであったという。このお化けのように不思議な蛤を割ってみると、なかから梨の実ほどの 大きさのまるく白く、清らかで美しい玉が出てきたという。 このことがあってから宇那の沖合を玉の浦といい、宇那はその後宇野とよばれるようになったという。
「玉野市史 続編より引用」

第一次世界大戦後に商船や護衛船の需要が高まったことを受けて三井造船の工場が作られることが決定し、玉地区周辺は人口が増え栄えました。現在は空き家や空き店舗が増えていっている状況ですが、
数年前から新たにお店をはじめている人たちがあらわれています。
個人的には、玉はこれから面白くなる街と思っています。

街歩き開始!!

たばこ屋と軽食屋をリノベーションした「月日」(カフェ)に集合!

ワークショップの拠点となった月日。木金土カフェを営業

旧消防署を見学
(撮影禁止のため写真はありませんが、広い敷地に昭和を思い出す懐かしい品々。「ここを拠点にしたい!」という声も聞かれました!

玉比咩神社を見学

玉比咩神社の立石を見学

宮原邸見学
江戸時代と思われる本瓦、立派な石垣が残っています

宮原邸にあるなまこ壁と石垣

あいにくの雨でしたが、20人以上の方が参加。
街歩き中も初対面の方々との交流も深まりました。
中には市外、県外からこのワークショップを目的に来てくださった方も!
地元の方から新たな情報も入手しました。

月日に戻ってからはお茶休憩
講師や参加者同士との会話もはずみ、私も新たにお知り合いが増えました♪

山本さんのZINE「まちを読む」と今回のワークショップフライヤー

移住したくなったら「たまのの暮らし」を見てね!

移住支援団体うのずくり&地域おこし協力隊の私が土日祝日を含め個別案内を実施中♪


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