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ものの芽 -あなただけのものである証-


ものの芽

うつわや調理器具の発達のなかで、わたしたちの欲求はどこに行こうとしているのでしょうか。貧困に飢餓、災害や疫病の災禍にて、あらためて考えます。

民藝とかアートとか、そんな単語が出てきますが、検索などせず、肩のチカラ抜いて、ものの芽を感じてくだされば。



温度あるものとは

物質的な豊かさだけでなく
「健全な美」を。

「民藝とは何か」(日本民藝協会 参照)


意味がよくわからなくても、熱い眼差しで誰かが語ってる、そのくらいの温度が伝わればいいなと思って、恐れをはばかり「民衆的工芸」(民藝)の要の言葉を引用しました。


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自分の思う美でいい

「民藝」とは、字の通り、民衆のための工芸。道具などを用いて美的なものをつくること、またはそのものです。(なるべく平易に引用したいだけなのでご容赦を)自身がつくるコッチョリーノのうつわは、民藝の特性すべてにあてはまるものではありませんが、民藝の精神には同意しています。

民衆の要求に応えるため、廉価で複数性をうたった民藝に対して、コッチョリーノは「一点物」と謳っているから違うではないかと思うかもしれませんが、コッチョリーノは「芸術品の一点」ものではありません。工業製品に比べたら廉価ではありませんが、「高価な芸術品」でもありません。

複数性という意味では、親戚、兄弟のような土鍋やうつわが全国各地に散らばっていますが、民藝のような分業性ではないので、コッチョリーノは「わたしとあなたの間に生まれた一つだけのアート作品」ということなんです。アートなのですが、民藝ワードとして必ず出てくる「用の美」の精神は同じです。くだけたコッチョリーノ言葉にすると、「内側も外側も楽しめちゃう」ので、どんどん楽しんでください。



直感をひらこう

美の本性に触れるには
「直観」が不可欠である。

「民藝とは何か」(日本民藝協会 参照)


流行のなかで摘むものは、自分や社会の元気がなくなったときに、すぅっと冷めていきます。勧めてくれた人も、本当にずっと好きでいるかなんてわかりません。長く気に入るものを見つけるには、利益でなく、その物や人とどれだけピュアにつきあってゆけるか。美を感じるって、直感しかないなって、思うのです。

ものの芽が、ふと目につくと春だなと思うように。


コッチョリーノ
我妻珠美


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あとがきコッチョリーノ

▶︎「生誕100年記念 ヨーゼフ・ボイス展」(参照 美術手帖記事)を鑑賞。▶︎学生のころ聞きかじったボイスの一言「人間の内的欲求は生活水準向上の欲求に変えられてしまった」(84年来日時の対話集会) に衝撃を受けました。▶︎数十年後のいま、展示会場で流れている映像から聞こえたあの言葉。ボイスの強い声が、鋭い眼差しが、そして作品に、改めて衝撃を受けました。▶︎「人間の内的欲求」とはなんでしょう。生活、うつわに投影して考えなければいけない永遠の課題です。▶︎コッチョリーノが地道に言い続けている「理性と情緒」を複々掲げていきたいと思った日でした。

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