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たった一度だけ、子どもに「嫌い」と言ってしまった日のこと。

私には、5歳の子どもがいます。

ここ1年でだいぶ落ち着きましたが、3-4歳頃は子どもに何を言っても「いやだいやだ!おかあさんなんかきらーい!」を連呼されていました。

「いやいやえん」が実在していれば、確実に子どもを放り込んでいたと思うくらいです。

子どもから嫌いと言われても、私は「お母さんもきらーい」とは言い返しません。

それは、別に育児書に書いてあったからでもなく、有名ママブロガーの記事に触発されたわけでもありません。

子どもが大人になった時、「あなたに何度嫌いと言われても、お母さんは"大好きだよ"と言い続けたのよ」と盛大にドヤろうと思っていたからです。

そして、子どもが将来何らかの形で大成し、テレビの記者会見で「幼少期に受けた母の愛が原体験となり、僕の自己肯定感が形成されウンタラカンタラ」みたいなエピソードが語られるのを涙ながらにテレビで見る、という妄想をいつもしています。

そんな私ですが、たった一度だけ、子どもに「お母さんも嫌い!!!」と言ってしまったことがあります。

今日は、その日のことを話したいと思います。

私には、35年間連れ添っている相棒がいます。

2歳の誕生日に祖父母からもらった犬のぬいぐるみ。
名前は「わんわん」。

現在の「わんわん」。チューしすぎて口が消えた

なお、35年前のわんわんはこちら。

35年前の「わんわん」と私。色も質感も別犬

「MUCH LOVED」という写真集をご存じでしょうか。

U2のボノやミスター・ビーンなど、さまざまな人が子どものころから一緒に過ごしたぬいぐるみを紹介している写真集です。

私はこの写真集を見るのが大好きです。
どのぬいぐるみも、たくさん愛されたんだろうな、ということが伝わってくるからです。

個人的には、ここにわんわんが写っていても遜色ないと自負しています。
(ただこの写真集は子どもが怖がるので、一人の時にしか見られません)

このTeddyはなんと61歳。わんわんはまだ若手だな〜と思わせられる一枚。

わたしとわんわんは、いつも一緒でした。

旅行やお出掛けの際も、リュックに入れて肌身離さず持ち歩き、乳幼児検診に連れて行った時には、保健師さんに「このぬいぐるみのおなまえはなんていうの?」と聞かれ、

私「わんわん」

保健師さん「そうだね、このわんわんのお名前はなんていうの?」

私「わんわん」

保健師さん「だから、このわんわんのおなまえ(ry」

母「ぬいぐるみの名前がわんわんなんです。

母が仲介せざるを得なかった、というエピソードを大人になってから聞きました。

わんわんが窒息しないよう、必ずリュックから顔を出していました

幼少期を経て、高校、大学と成長を重ねても、その距離感は変わりませんでした。

挫折した時、失恋した時、就職が決まった時。
嬉しいときも悲しいときも私の隣には、常にわんわんの存在がありました。

結婚を控えた折には、私・夫・わんわんでの3人生活を迎えるにあたり、初めて家族以外にわんわんのことを紹介したのですが、その時のことは今でもよく覚えています。

夫は、ただただ引いていました。

そして結婚後もなかなか夫はわんわんを家族と認めてくれず、「ほんとにこのボロ雑巾みたいなのを寝室におくの?」と言われたり。
子どもが生まれてからも、「これ、絶対子どもの近くに置かないでよ」などと言われ、一向に距離が縮まりませんでした。

それにも負けず、私は(不)定期的にわんわんにシャンプーをしたり、磨耗してちぎれた耳や首を何度も「手術」と称して手縫いして、大切にしていました。

するとやっと夫に熱意が通じたのか、諦めたのかわかりませんが、「ちょっとわんわんどかしていい?」というように、わんわんを名前で呼んでくれるようになりました

「夫、私、子ども、わんわんの4人家族」という意識がなんとなく形成されていったのです。

しかしそんな約2年前のある日、事件は起こりました。

寝室で当時3歳だった子どものイヤイヤが始まり、私がいつものようにたしなめて、「もういや!おかあさんきらい!」と言われました。

ここまでは、通常運転。

違ったのは、何を思ったか、なんと子どもがベッドの横にいたわんわんをつかみ、私が手縫いでなおしたほつれ部分をビリビリと剥がし、中の綿を一気に出したのです。

私はもうパニックで、

「ぎゃー!!!!!!なにをするの!!!!」

あわてて子どもからわんわんを取り返します。

そして子どもがいつものくだりで「いや!もうおかあさんなんてきらい!!!」と言ったので、私も思わず

「こんなことするなんて・・・お母さんも嫌い!!!」

と叫んでしまいました。


私は、そこらじゅうに飛んでいったわんわんの内蔵(綿)を必死でかき集めます。

泣き叫ぶ子どもを無視してわんわんと共に隣の部屋に移り、綿が抜けペシャンコになったわんわんに「ごめんね、ごめんね」と謝りながら、必死で綿を詰めます

でも、全然うまく詰まらないんです。

「わんわん・・・なんでこんなことに・・・」と涙があふれます。

そこから少なくとも1時間、私は子どもに何を話しかけられても完全に無反応でした。

さすがに空気を察したのでしょう、その後子どもから「ごめんね」と言われました。

しかし私の怒りはおさまらず、「何に対してごめんねって思ってるの?」と詰問(全世界の子どもたちが親に言われたであろう言葉)し、言い淀む子どもに「まずわんわんにあやまりなさあああああああい!!!」と言うことしかできませんでした。

その結果、

「子どもがぬいぐるみに謝罪する」という、今思うとなかなかシュールな光景を生み出してしまいました。

その後夫が帰宅し、ただならぬ空気を感じとります。

夫「ど、どうしたの・・・?」

私「○○(子どもの名前)が・・・

わんわんをペシャンコにしたのおお!!!(号泣)」


夫は困惑していました。

その後冷静さを取り戻した私はわんわんの容態を確認するも、大手術が必要なことがわかりました。
私の縫合技術ではどうにもならなかったため、名医(裁縫が得意な実家の母)に泣きつき、数週間の入院の末、もとの姿に戻りました。

でも、抱き心地がぜんぜん違う

わかる人にはわかると思うのですが、ぬいぐるみというものは、長い時間をへて自分のからだに馴染むものなんです
抱いた時、自分とぬいぐるみが一体化する感覚があるのです。

しかし、わんわんの場合、抜かれた綿を無理やり詰め直したので、微妙に綿の位置が変わってしまい、同じ抱き心地にはならないのです。

これはかなりの絶望でした。
そこからリハビリと称して1年かけて抱き続け、やっと私の体にフィットするようになりました。

今でも子どもから、たまに「おかあさんから一回だけきらいって言われたことあるよね」とニヤニヤしながら言われます。

幼い子どもの心を傷つけてしまったかな・・・と反省しつつ、深く傷ついたのは私も同じ。

親も、人間です。





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