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幸福な王子

私は童話とか説話、神話が好きです。夢があって、悲しいお話もあって、でも純粋にこころを揺さぶられる何かがあるので好きです。

最近気になっているのが、オスカー・ワイルド著「幸福な王子」のことです。最果タヒさんが「幸福な王子」について意見を述べてみえるものを読んで、モヤモヤしています。
サイトの冒頭部分を引用させていただきます。

 『幸福な王子』は、自己犠牲的な博愛を賛美したいのか、その無力さや虚しさを言い表したいのか、どちらもなのか、私にはそのあたりが子供の頃よくわからなくて(それはダイジェスト版の絵本を読んだからかもしれない)とにかく戸惑っていた。というより、自己犠牲的にぼろぼろになりながら人に優しくしようとする人間の話なんて読みたくないな、と思っていた。人が身を滅ぼしながら他者を救う話は、なぜかとてもグロテスクなものを読んでいる、という感覚になってしまう。

https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6847

タヒさんの文章を読んで「幸福な王子」って自己犠牲的な博愛の物語だったの?無力さや虚しさを言い表したいの?って思いました。あれかな、わざと逆張りして議論を展開する手法?って思いました。
他のコラムはすっと読めるけど、このお話については違和感があり引っかかります。


そもそも作者のオスカー・ワイルド氏は生き方もこってりしているし、文学的にも「サロメ」とかどろどろした物語を書く人物なので、相当頭が良くて、癖が強くて宗教観というか社会の暗部、精神的な暗部その対極にある美しさを文章に表現することが巧みな人だと思います。
美しさを表現するためには醜さが必要で、いのちの光を表現するためには死の暗闇が必要、愛を表現するために寂しさ孤独が必要なのだと思います。

オスカーワイルドの童話

「幸福な王子」や「ナイチンゲールとバラの花」などに関しては、割とストレートに「神・善・美」について語っているのでは?って思います。
自己犠牲的な博愛とかいう安っぽい感じではなく、無力さや虚しさみたいな薄いものでもなく、もっと根源的な集合意識の地金部分にある「神・善・美」を描いていると思います。

私の私見ですが、そもそも王子さまの像は集合意識の象徴だと思います。日本的に言うとお地蔵さん的な感じ?
個人的なエゴを表すものではなく、H6やH12あたりだろうって思います。日本的イメージだと、お地蔵様や観音様みたいな感じ。そのお使いをするのがツバメさん。日本の童話や神話だとツルとか八咫烏になるでしょうね。

お地蔵様や観音様が貧しい人たちの生活を見て哀れに思い「銅像の金箔を剥がして持って行ってくれませんか?」とか「銅像の宝石をくりぬいて持って行ってくれませんか?」みたいにツルとか八咫烏にお願いする感じなんだと思うけれど、違うのかな?

「幸福な王子」は”人が身を滅ぼしながら他者を救う話”ではないと思う

”7歳までは神の国の住人”と言う言葉がありますが、王子さまはたぶん7歳以下なんだと思います。だから、神様の国の住人で、小さな体の中に神さまが住んでいるっていうか、神様のこころを持っているのだと思います。

私たちは誰もがみな7歳までは神様の声を聴きながら、神様の存在を感じながら一緒に生きていたのだと思います。でも、成長と共に知恵がついて自分の中にある神さまの声を聴かなくなって、目にみえるものや形のあるものばかりにこころを向けるようになってしまったのだと思います。
それは自然なことなので仕方ないと思いますし、年を取って肉体が衰えるころ、再び自分たちの内側に住んでいる神さまの声を聴きたくなるのだと思います。

王子様は神の国の住人なので、彼のこころの中に住んでいる神さまの声に従って、銅像の体に施された宝石や金箔を剥がして、貧しい人たちに分け与えることを選んだのだと思います。
これは自己犠牲ではなく、素直なこころの声に、純粋な魂の声に従っただけだと思います。だから自己犠牲とか博愛とか、そんな小さな枠のことではないと思います。
童話や神話に登場する「鳥」という象徴は精神性を表すそうです。ツバメさんは王子さまの内なる神様の意志に共感して援助をしたのではないかな?って思います。
ツバメは王子さまのお手伝いをしているうちに、王子さまの純粋な心に惹かれ、彼を好きになったのだと思います。好きな相手と一緒に居たいからエジプトへ渡る仲間と別れ、いのちの危険を顧みず彼のそばに居続けたのだと思います。
王子さまもツバメも自己犠牲とか献身とか博愛とか、そういうのではなく、純粋に人が好きで、世界が好きで、愛を表現するためにできることをしただけだと思います。

貧しい人たちを見つめながら、金ぴかで宝石がピカピカした銅像として町の中心に存在し続けて王子さまは幸せだったでしょうか?
”貧しい人たちのために自分の装飾を引きはがして配って欲しい””という王子さまの願いを断って、仲間と共にぬくぬくとエジプトに渡ったとしてツバメは幸せだったでしょうか?

王子さまもツバメも自分のこころの声に従ってやりたいことをやったのだと思います。結果として身を削るようなこと、命を落とすことになったかもしれませんが、それで本望だったと思います。
”いのちをかけても良い”と思える夢や、”いのちをかけても良い”と思える相手に出会えることは、とても幸福なことだと思います。
幸福な王子は命がけの愛の物語ではないかな?って思いました。