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バタフライ卓球道場で日中の小学生が交流【世界のトップ選手育成と卓球の振興】羽佳卓球俱楽部が見つめる未来

こんにちは、広報のツザキです。

今日は東京本社のバタフライ卓球道場がにぎやかな雰囲気!
ということで、覗きに行ってまいりました。

玄関の下駄箱には、いつにも増してカラフルな靴がいっぱいに入っています。

どんな選手が来ているのか、ワクワクします!

早速フロアに降りてみると・・・

フロアにいたのはホープス世代の選手たち!

なんと、東京、埼玉、愛知、岡山、香川といった日本全国から集また選手だけでなく、中国から遠征でやってきた選手たちも。
今日は、小学2年生以下、小学4年生以下、小学6年生以下とそれぞれのカテゴリに分かれて練習会を行うようです。

この練習会を主催したのは、バタフライの契約卓球場でもある羽佳卓球倶楽部さん。

代表の羽佳純子さんは、元中国ナショナルチームの選手でもあり、その後日本の実業団でプレー。帰化後は日本代表選手としても活躍された方です。

羽佳さんはこれまでのご経験を生かして卓球場を経営され、日本の選手を育成し、また卓球の日中交流事業にも尽力して来られました。

実は、この4月6日から7日に第3回茅台杯日中国際交流卓球大会を開催され、都内の会場には2日間で800人もの方が集まられたそう。
大会には、日本と中国だけでなく、韓国、中華台北、香港、アメリカの選手が出場され、国際的な大会となりました。

バタフライからは社長の大澤が駆け付けてご挨拶させていただいたほか、バタフライ・アドバイザリースタッフの吉村真晴選手、高木和卓選手、水谷隼さんがデモンストレーションを披露するなど、とても盛り上がりました。

土曜日は一般の部に出場し、日曜日には小学2年生以下の部から高校生の部が開催され、それぞれのカテゴリに出場したという子どもたち。
4月5日からバタフライ卓球道場に宿泊しながら出場しているそうですが、今日も9時スタートの交流試合。連日の疲れもあるかな?

・・・と思いきや、中国の選手は6時50分に「起床~!」と呼びかけられ、8時には練習開始だったそう。広報が到着した9時過ぎにはもうアップもばっちりで試合を始めるところでした。

この日は羽佳卓球俱楽部のコーチで、日本女子ホープスナショナルチームのコーチでもある羽佳翔鵬さんが練習試合の進行役。日本語と中国語を交えて小学生たちに説明をしていました。

真剣に聞いています・・・!

「中国の子どもたちは、じゃんけん慣れてないから台の下でボール片手に持って、どっちに持ってるか当ててサーブどっちが取るか決めるんだよ」
こうした何気ないことも、文化の違いを意識することに繋がりますよね。

相手とどうやったらコミュニケーションをとれるか、と考えるのも貴重な経験。

この日は、小学2年生以下と4年生以下がそれぞれ2台、小学6年生以下が3台というコート分けで3時間ほどの練習予定。

誰から試合に入ろうか、日本選手の順番決めはじゃんけんのようです。

◇◇◇
羽佳卓球俱楽部に在籍している選手だけではなく、さまざまなチームを招いてこのような練習会を行っていることについて翔鵬さんに伺ってみました。

練習会を見守る翔鵬さん。

ツザキ 大会も大盛況だったと聞いていますが、2日間いかがでしたか?

翔鵬さん 大会も第3回を数え、今回は出場者も中国からは全年代あわせて150名を超え、アメリカや中華台北などからも多くの人が来てくださいました。大会規模も大きくなったので、年代別のカテゴリを設けることで、各世代の交流ができたことは良かったと考えています。

ツザキ 今日はこうして子たちもたくさんいる交流の場で、個人的にはこんな機会がつくってもらえるなんて、ワクワクするなと思うんですが、いかがでしょうか。

翔鵬さん 僕自身も中学の時に、中国にわたってトップレベルの選手たちとボールを打ち合う経験をさせていただきました。その時一番に感じたのが「ボールが違う」「ボールが重い」ということでした。あまりにもびっくりして、「ボールそのものが違うんじゃないか」とまで思えて、日本から持って行ったボールでラリーをしてみたんですけど、やっぱりいつも日本人同士で打っているのとは全然違って重いボールが飛んでくるんです。そこで初めて「あ、球質が全然違うんだ」と確信しました。
「中国人は卓球強い」「プレーがすごい」みたいなイメージってみんななんとなく持ってると思うんですけど、体感して初めて実感できた部分がありました。言うなればカルチャーショックのような感覚でした。

大人顔負けの引き合いを見せてくれた男子選手たち。迫力のあるプレーでした。

ツザキ 異文化に触れてカルチャーショックを受けるというのはよく聞く話ですが、卓球をプレーするという側面をとってもそれが起きるということですね。

翔鵬さん トップ選手を目指す子も、卓球始めたばかりの子もこうして海外選手との対戦をしておくことが、選手の視野やプレースタイルを広げるきっかけをつかむ機会になると思います。それは、選手本人にとってもそうですし、指導者にとっても必要なことだと考えています。
現状では、まだまだその国のトップ選手になってから海外を経験することのほうが多いと思います。かつては選手のピークが25~30歳だったのが、今はもっと低年齢化しています。中学を卒業して代表入り、その時に初めて海外に出て、プレーの違いを目の当たりにして壁にぶち当たることが多いんです。それよりも、小学生のうちから「海外には全然異なったプレースタイルがあり、そうした相手と戦っていくんだ」ということを知っておくのは日本の選手にとっても、中国の選手にとっても、もちろんその他の国の選手にとってもすごく重要なことかなと考えています。

真剣なまなざしで練習を行う選手たち。

翔鵬さん このような活動を継続していくことで、新しい発見や新しい新しい価値を生み出せると思いますので、日本の選手だけが得する、中国の選手だけにうまみがある、ということではいけないと思っています。お互いが成長するきっかけになったり、双方が、あるいは関わる人みんなが、なんらかを得られる、win-winの状況をつくってこそ、次につながるのではないかと思っています。
純子先生は、日中両国のナショナルチーム選手の経験があるからこそ、やはり日中両方のいいところを知っています。だからこそ、こうして交流することの必要性を理解していますし、人脈を生かして両国の交流の懸け橋になることができていると考えています。
羽佳卓球倶楽部では、海外の選手をこうして日本に招くこともあれば、中国に日本選手が遠征することも、時にはヨーロッパに遠征することもあります。選手だけではなく、指導者も海外の選手ができるプレーを実際に見て知って初めて、日本に取り入れられるものは取り入れる、難しいものは難しいもので相手の打ち手として知っておくという機会になるかなと思います。

ツザキ 日本のこうした若年層の選手だけじゃなくて、指導者、そして相手方まで成長の機会となっているんですね。翔鵬さんご自身はそういった中でどんな役割を持たれていると思いますか?

翔鵬さん 現在、日本女子ホープスナショナルチームのコーチを務めさせていただいていることもあり、技術を中心として世界中を広く見て情報を集めて共有することが自分の役割の一つかなと思っています。
子どもたちと近い距離で技術の指導をしたりすることももちろんですし、指導者仲間と一緒に共有し、指導方法を試行錯誤しています。指導者としてできることの幅を私自身も常に広げていきたいと思っていますし、それがやはり広い目、長い目で見て、トップ選手を育てていくことや日本の卓球、そして世界の卓球を盛り上げることにも繋がっていくと考えています。

ことばは通じなくてもコミュニケーションはできる。記録用の卓球ノートには、対戦相手にペンを渡して名前を書いてもらっていました。

ツザキ 日中の架け橋として、そして日本だけではなく世界をリードしていく存在として、羽佳卓球俱楽部さんにしかできないことをやられていると感じました。

翔鵬さん 私自身は羽佳卓球俱楽部だからできることではないと考えています。
今大会は年齢層や卓球の競技レベルに関係なく、どなたでも参加が可能でした。また、合同練習会も真剣に努力している選手や指導者が自然と集まってくれました。今後開催する際はもっと多くの選手に参加してほしいと思っております。
このような活動は日本選手だけでなく世界の選手にとっても広げていくべきだとも考えています。
今はこうした活動をしている方が少ないだけで、羽佳卓球倶楽部の役割は、このような活動を先んじてやっていくことだと考えています。
一度開催したら終わりではなく、定期的に開催し、スタンダードにしていくことが重要だと思います。大会の規模が年々大きくなっていることは、そのニーズの証拠でもあると感じています。だから、これからも私たちはこうした活動をどんどん積極的にやっていきたいと思っています。
最後に、バタフライさんには羽佳卓球俱楽部を契約卓球場としてサポートしていただいていることや、今回の大会への協賛、練習会場のご提供など、多くのご支援をいただき、本当に感謝しています。

◇◇◇
創業者 田舛彦介が「24時間好きな時に好きなだけ好きな卓球をできる場所」としてつくったバタフライ卓球道場。総工費12億円という額を投じながらも「技術向上や交流の場として使ってもらえるように」と、これまでの40年間、利用や宿泊に関して無償で提供を続けてきました。

そんなバタフライ卓球道場に、日中の子供たちが共に技術向上に励む姿、そして、選手にもそれをもっと体験させてあげたいと願う指導者のみなさんの姿を見ることができました。

インタビューを通して、日中の交流事業が個人の技術向上だけではなく、卓球界の進歩・発展にもつながることを感じ、子どもたちが日本のトップ、世界のトップを目指しながら、交流が進んでいく場として使用していただけていることをとてもうれしく思いました。

そして今はつたないジェスチャーを交えながらコミュニケーションする小さな選手一人ひとりの姿にも、この先そう遠くない未来に日中の架け橋になっていくのだろうなと、期待を寄せました。

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