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都市空間↔空間認識↔海馬↔クリエイティブの間で彷徨う

以前投稿した長野県松本市の内容に少し関連するのだが、都市空間の『空間認識』について、最近気になっている。

松本でいえば、地図のような「客観的視点」では複雑な街路構造が存在しており、歩行者目線のような「主観的視点」では路地裏探索的な体験が得られるという都市空間となっているという2つの視点からの『空間認識』だ。

ここで一旦余談に入るが、私はファイナルファンタジー14というMMORPGながらPvPコンテンツばっかりやっているゲームプレイヤーで、そのPvPコンテンツのなかに、24vs24vs24の3チームで戦う「フロントライン」というものをよくプレイしている。
そこでは、刻一刻と移り変わる戦況の変化のなかで、目の前にいる敵プレイヤーだけに集中していると、3つ目のチームに挟撃されたり、他エリアに移動するのが自分だけ遅れたりして、袋叩きに殺される(笑)
そのため、プレイヤー目線の「主観的視点」をベースとしつつも、同時に全体マップのほか、各チームのスコアの確認など、全体把握する「客観的視点」を持ち合わせていなければならない。

余談と言いつつも、さらには実際の都市空間とゲームという仮想空間では、そのインテンシティ的な違いなどがあるとはいえ、それぞれの『空間認識』のやり方に共通性を感じたのは都市空間の『空間認識』への興味をより促す要因となった。
そして、その『空間認識』について深めようと、ネットを徘徊してたどり着いたのが1つの書籍だった。

「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」という本だ。

この本によれば、

空間定位をめぐる研究では一般に、人間のナビゲーション戦略は2種類に分類される。
第一の戦略はルート知識だ。これは、ある場所から別の場所への経路を構成する地点、ランドマーク、景色を順番に並べる能力にあたる。移動する人は、一連のランドマークや視点の記憶をもとに、ある場所から別の場所へ行くための正しい順序を認識する。
               ー 中略 ー
第二の戦略はサーベイ知識と呼ばれる。この戦略では、移動する人は、固定された地図のような枠組みに空間を統合する。その枠組みのなかでは、すべての地点やランドマークが、ほかのあらゆる地点とのあいだで2次元の関係を持っている。
ルート知識は言葉による説明であり、例えば、友人に郵便局までの行き方を教えるときに口頭で伝えられるものであるのに対し、サーベイ知識はいわば「鳥の目」から見た行程の俯瞰地図であり、紙に描いて友人に伝える類の情報だ。
ルート知識は移動者の視点とその周囲にある物体との関係、すなわち自己中心的視点と呼ばれるものに頼っている。移動者はあらゆるものを、自分自身とその体軸との関係ー前、後ろ、上、下、左、右ーという観点でとらえる。
それに対し、サーベイ知識の基盤になっているのは、他者中心的視点と呼ばれるものだ。これは客観的で地図のような、人によって変わることのない視点で、物体とランドマークの空間的位置を表している。

M・R オコナー「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」

と述べられている。
なるほど、これは先程の「主観的視点」が「ルート知識」または「自己中心視点」で、「客観的視点」が「サーベイ知識」または「他者中心視点」と類似している気がする。

ところで、このような空間認知に関しては、側頭葉の奥深くにある灰白質の領域で、ヒツジの角のように湾曲した形をしている「海馬」が担っていることがわかっており、現在ではいろいろと研究が進んでいるらしい。
もともとは2014年にノーベル賞を受賞したオキーフらにより、海馬が空間における位置もしくは場所に反応して活性化するとされ、「場所細胞」と名付けられたものである、とのことだ。

そのオキーフらの著書「認知地図としての海馬」を引用したうえで、筆者は、

生物は空間を自分との関係のなかで(自己中心的に)体験するが、脳はオキーフらが「非自己中心的認知」と呼ぶもの、つまり3次元の空間のなかで環境を客観的に表象する他者中心的な認知能力も備えている。そしてそれこそが、海馬の認知地図なのだ。

M・R オコナー「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」

と述べている。
先程の「客観的視点」は、オキーフらの「非自己中心的認識」であり、認知地図との定義とも近そうだ。そして、「主観的視点」よりもこの「客観的視点」のほうが、なにか重要な意味がありそうな気がする。

ちなみに、認知地図とは、オキーフらの場所細胞から30年以上前に、エドワード・トールマンにより提唱されたものである。
その説明にあたる文章を引用すると、

ラットの脳には、ルートを学習して環境表象を構築する能力があるとトールマンは考えていた。ラットは入力と出力によって機械的に動く自動装置ではなく、その頭のなかには「環境の認知的地図」が含まれているとトールマンは説明した。さらに、この認知地図は餌へといたる特定の経路を示す単なる進路図ではなく、餌の位置とその周囲の空間が含まれる総合的な地図であり、新たなルートの発見を可能にしている。
               ー 中略 ー
トールマンはさらに踏み込み、人間でも同様のメカニズムがはたらいているとも主張した。

M・R オコナー「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」

とあり、オキーフらが発見したのはこの認知地図と海馬の関係性となる。

さらに、海馬と認知地図の関係性をもう少し深掘ってみよう。
海馬の役割については、オキーフらが1970年代はじめに場所細胞を発見する前から、記憶と関係していることが知られていたらしいが、その記憶と認知地図の関係性について、オキーフらの見解が記されている。

オキーフらの仮説では、海馬はひとつの神経システムの中核であり、そのシステムが特定の場所で起きたことの記憶を保存する空間的枠組みを提供していると予測されていた。つまり、記憶されるのは事実ではなく、出来事だ。「基本となる空間的枠組みの上に、ほかの高次認知機能における直線的な時間の感覚を追加することにより、エピソードが構築されると考えられる。

M・R オコナー「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」

つまりは、空間とセットでエピソードを記憶しているということであろうか。
なお、このオキーフらの仮説は2001年オキーフをはじめとするユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの複数の研究者による、右または左側頭葉を切除したてんかん患者に、ビデオゲームをプレイさせ、ゲーム内環境の地図を描く能力と、ゲーム内で起きた出来事の記憶をテストすることで、海馬が認知地図作成とエピソード記憶の両方を担う重要な領域であることをより確かなものにしている、とのことだ。

ところで、この書籍は「ナビゲーション」について述べたものである。
海馬と空間記憶や認知地図の研究内容の引用と併せて、イヌイット、アボリジニー、そして動物などのナビゲーション能力についての考察、また海馬の萎縮によるアルツハイマーなど認知症への影響などから、現代人のGPSに任せっきりの移動習慣やそもそもの移動機会の減少に対して警鈴を鳴らしているというものである。
ナビゲーションについては、「座標系の地図を読んで計算するだけでなく、記憶や物語の順序、人間関係、感覚体験、個人史、あるいは将来への道のりも展開されている」と記されている通り、エピソード記憶との関連性が高そうだ。

空間を移動するとき、環境を知覚し、その特徴に注意を向け、情報を集める。空間の内的表象もしくは内的地図を構築し、記憶の「しかるべき場所」に置くということだ。
移動により生じる情報の流れから、始点、つながり、進路、ルート、目的地を引き出し、その情報から出発地点、中間地点、到達地点を含む物語を構成する。
道中で発見したものを洞察と知識という形に変える。それが次の探索でわたしたちを導き、方向を教えてくれる。
ヒトのナビゲーションをを成功させるための鍵は、過去を記録し、現在に注意を払い、未来をーつまり到達したい目標を想像する能力にある。
その意味では、ナビゲーションには、空間を通過する文字どおりの移動だけではなく、時間を通過する精神的な移動も関係している。
そうした精神的な移動は「想起(オートノエティック)意識」とも呼ばれる。現在では、想起という用語は、時間の中の自律的主体として心のうちでみずからを表現し、内省と自己認識を可能にする能力を説明するために使われている。
               - 中略 -
人類という種に限っていえば、海馬は自伝、つまりこれまでに生きてきた人生の物語が存在する場所だ。そして、想像力のエンジンでもある。

M・R オコナー「WAYFINDING 道を見つける力 人類はナビゲーションで進化した」

とあるように、海馬による認知地図作成、ナビゲーション、エピソード記憶などは、想像力、つまりクリエイティビティと関連するのかもしれない。
つまり、「主観的視点」にて空間を移動しながら「客観的視点」を認識することで、「認知地図」の作成と併せてエピソードを記憶し、その記憶がコンテクストとしてあるからこそ、未来を思考するというクリエイティブ力につながっていく、という解釈ができるかもしれない。

と、いろいろ発散したところで、冒頭に述べた松本市のくだりに戻ってみる。

冒頭にて引用した松本市街歩きに関する投稿では、その都市空間の魅力について述べていたが、一方で、そのような都市空間は土地区画整理のような都市開発があまり行われなかったから存在しているのであり、その代償という表現が適切かは置いていて、抜け道までも渋滞が発生してしまうデメリットが残っている。

朝の通勤ラッシュの時間帯では、主要道路の混雑にとどまらず、抜け道も混雑

実際の都市計画道路整備率はまだ約40%台らしく、一般的な評価としては都市化とモータリゼーションに対応できなかった都市になってしまいそうだが、魅力的な歩行空間が存在するだけにそれは残念である。

そういう意味では、ここまで述べてきたような空間認知との関係性を見ていくことにより、このような都市に対する別の観点の評価ができると面白いかもしれない。

そのような評価手法を考察していくには、この書籍にもあり、書籍外にも多くある、海馬と空間認識に関する様々な研究内容を辿る必要がありそうだ。

ざっと挙げただけでも下記のような研究がある。

・環境の豊かさと複雑さが海馬ニューロンの質に影響を与える
・タクシー運転手のほうがバス運転手より海馬の体積が大きい
・優れたメモリアスリートは海馬の活性がみられる
・空間認知能力とキャリアの成功(特許や査読付き論文)に強い相関性がある
・尾状核を使うタイプ(ざっくりいえば「主観的視点」に近い)のアクションビデオゲームにより、海馬の灰白質が減少する
・育った都市環境により、空間認識力が変化する
などなど。

ということで、まだまだとっかかりなので、今後深めていこうかなと思う。

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