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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『ベストエッセイ 江戸の女』杉浦日向子著~

<<感想>>
先日読んだ『いきの構造』を受け、江戸庶民の生活を勉強する。やはり「江戸」と言えば「杉浦日向子」だろう。(若くして亡くなったが、ご主人が作家の荒俣宏さんであったとは知らなかった)

想像した通り、江戸庶民の「いき」な暮らしぶりが感じられた。
特に「江戸のおんな」というエッセイは川柳を交えながら江戸のおんな(娘)の様子を伝えている。

まずは「手を組んで反らせる娘できるなり」。
前の方で手を組んで身体を反らせている娘のポーズがかわいいな、というもの。                               「できるなり」というのは面白い恋ができる、面白いガールフレンドになりうる素質があるということだそうだ。

次に「涼みたがるは虫付いた娘なり」。
ふんどし一丁で夕涼みしている男のところに行きたがる小娘のことをあらわしている。                             そういうところに行きたがるのは「虫付いた娘」、つまり恋の経験のある娘ということらしい。江戸の娘の早熟さを詠んだ句であるとのこと。

そして「癇癪のように目をする色娘」。
つまりヒステリックな目つきをする娘を色っぽいと感じている句である。 ある意味で、とても「いき」な江戸のおんな(娘)の様子をあらわしているようだ。

江戸ではよく「色」という言葉を使ったらしい。            一方で上方で色にあたるのは「恋」とのこと。             しかし、恋は一途に一人の人を思い続けるのに対して、色は必ずしも一人とは限らず不特定多数の恋愛を意味していたらしい。
つまり、恋を命がけとするのに対して、色はその日の出来心という程度の色恋ゲームのこと。相手を振り向かせるまでの、すれすれのところで男女が遊ぶ駆け引きをするというのが江戸の特徴であり、振り向いてしまえば次の相手に代わってしまうというものらしい。

いかにも江戸らしいというか、「いき」の世界をあらわしているように思う。
振り向かせようとする(意気)、深く入ろうとしない(諦め)、そして顔がよくなくても色気につなげる(媚びる)ことが、「いき」な江戸のおんな(娘)の姿をあらわしている。

江戸では、「やぶにらみの目」「受け口」「ほくろ」「少し猫背」など、通常マイナス要因になるところに色っぽさを感じていたらしい。上方とはまったく違った価値観であったようだ。

この句の最後の著者のコメントがとても興味深い。
「男を堕落させてしまうような、あるいは窮地に立たせてしまうような女の子にぞくぞくとするという江戸の男性の、どちらかというと、マゾヒスティックな一面がうかがえる」。
「いき」の背景にある当時の男女の関係性か。あるいは現代にもつながるものか。考えさせられる。

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