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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『怒りの葡萄 上』スタインベック著~

はじめて手にした作品。予想以上に面白かった。トラクターを操る「怪物」(=銀行家)に土地を奪われたジョード一家。それでも新天地カリフォルニアに夢を抱きながら、ようやく到着する。刑務所帰りのトム、元伝道師のケイシーを中心とした家族愛、同じくカリフォルニアを目指そうとする人々との交流や人間同士の絆の深さに強く感動したのが上巻であった。
ただ話が進むにしたがい、その感動は徐々に変化を見せる。
無理やり連れてきたじぃちゃんの脳卒中による死。そして同じくカリフォルニアを目指して途中から行動をともにしてきたウィルソン夫妻とも奥さんの体調不良により別れることに。さらには認知症をわずらってしまったと思われるばぁちゃんの死。
そればかりではない。
オーキー。
夢と希望にあふれた人たちに対する、蔑んだ言葉。餓えていて、猛々しく、金も持たない彼らをカリフォルニアの農園主は「ウエルカム」するのではなく、むしろ嫌悪している。
それを間にあたりにしてトムたちも、内心いい気分ではない。お母をはじめ不安を強く感じる。
 
以前『不寛容論~アメリカが生んだ「共存」の哲学~』(森本あんり著 新潮選書)という本を読んだ。自由と寛容を求めてアメリカに渡ったピューリタンが到着と同時に不寛容となりながらも、「不愉快な隣人」とどうつきあい、多様性を育んでいったかについて考察されている。
 
『怒りの葡萄』の中にも寛容性を感じるところがある。トムとウィルソンが初めてあったシーン。
(引用はじめ)
「その、おれたちがそばで野営しても差し支えないかな?」
「おれたちの地面じゃない。このポンコツが走らなくなったから、ここで止まっただけだ」
「だけど、あんたたちが先にいたし、おれたちはあとから来た。ご近所さんがいてもいいかどうか、あんたたちが決めるのがすじってもんだ」
(引用終わり 新潮文庫P273)
何気ないやり取りであるが、こうした相手に対する最低限の礼節こそ、寛容性の原点ではないか。
 
ただ、下巻は農園主との確執が顕在化しそうだ。そんな中でどういう展開になるのか。
分断で揺れる今日のアメリカ社会。果して作品の中では寛容なのか不寛容なのか。

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