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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『しぐさの日本文化』多田道太郎著~

「日本人らしいしぐさにみる日本文化」をテーマにした内容と思っていたが、実は「何気ない日常のしぐさにみる日本文化」について書かれている。
何気ない日常には個人の心理の内奥をのぞかせるものがあり、社会に共有され伝承される文化につながるものがあるとの筆者の考えがあるようだ。人間関係を整えるため、日常的にみられるな精神的・身体的表現を取り上げ、その文化的な意味をさぐっているのが特徴である。
 
著書の中には30以上ものしぐさ研究がなされている。
その中でも特に、神・宗教、慣習、歴史などが背景にあるものが多いと感じた。
例えば、「笑い」というしぐさ(というより感情・表情といった方がよいのかもしれない)。
民俗学者の柳田国男によると、「神は気むずかしい。なかなか笑ってくれない」とのこと。
だから人間は神に笑ってもらおうと、創意工夫を繰り返す。
神の笑いは人間に対する優越を示すらしい。なんと馬鹿な連中だと神に笑ってもらう。そこが人間のつけ目だそうだ。
つまり、「笑い」は人間が神のご機嫌をとる、神の太鼓持ち的なしぐさであるという説である。
そして人間は神の笑いのおこぼれをもらって笑うものであると考えられている。
 
一方、古事記の天岩屋神話の場合は少し方向性が異なっている。
人間が楽しそうに笑うことによって、太陽の神のアマテラスは岩屋の戸を少し開けて様子をみながら、人間につられて笑う。
「神に笑ってもらう」という目的は柳田国男の太鼓持ち説と同じである。
しかし決定的に違うのは、笑いの主体は神ではなく人間であるということ。
 
「笑う門には福来る」。
このことわざが示すように、そもそも笑いは人間の生と深く関わっている。それが元気・活気の源になっている。
「笑いの太鼓持ち説」も理解できないことはない。確かに周囲のムードによって笑うこともよくある。
ただ大切なのは「まず自ら笑う」こと。そしてそれを伝播していくこと。そこに活力ある日本文化の奥深さがあると考える。ここはやはり「天岩屋神話説」が優勢と思われる。

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