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ありがとうだらけだったことに気づく

都内での電車の多さを、あらためて実感した今日。ひとつ電車に乗り遅れたら、次に来る電車は30分後だ。

そうだ、これが実家近くの電車の本数だ。乗り遅れた悔しさよりも、今日は帰って来たなと安心する気持ちが大きい。

都内に居るときは一本電車を乗り遅れても、すぐに次の電車が来る。だから、時刻表を覚えていなくても、時計を持っていなくても目的地までほぼ時間どおりに行くことができる。けれど、実家近くで、そうはいかない。電車の出る時刻を頭に置いて、時計を見つつ行動する必要がある。

実家にいる間は、電車の本数が少なすぎることをなげいていた。そんなものかと、あきらめてもいた。電車の出る時刻を気にし、時計を見ながら過ごしていた。

初めて街に出たとき、電車の本数の多さがありがたかった。すごいなと感心もした。次から次へとやってくる都会の電車の本数の多さに目を回しながらも、時計をそれほど気にせず動けることを喜んだ。

それなのに、いつの間にか街の電車の便利さに慣れてしまった。数分後に次が来るのに、電車に乗り遅れたことを悔しがるようになっていた。

今日、実家近くで電車に乗り遅れて。あらためて、街で乗っている電車のありがたさをおもう。そして、実家近くでもまだ、30分ごとに電車が走っていることをありがたく思う。

ひとつ、ありがたいなと思いついたら、もっと他の「ありがたい」にも目が向いた。

わたしは休みだけれど、電車を動かしている人は今日も働いている。店に買い物をしに行けるのも、お店の人が今日も働いているから。便利に過ごしていけるのも、それを支えてくれてる人がいるから。

誰かの暮らしを支えるために、誰かが働いてくれていて。日常ではなかなか実感しづらいありがたさが、そこやここに転がっている。

なんだか、すごいな。周りは、ありがとうだらけだ。

わたしも、どこかで。だれかの「ありがとう」になれているといいな。

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黄色い電車が田んぼの中を走る風景が素敵だったから、カバー写真に使わせていただいた。実家辺りはクリーム色の電車。もうちょっとごちゃついた山あいを走っている。

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