淡い恋心にあこがれる

毎回、車を借りるレンタカー屋さんは同じだ。そして、今回もそこで車を借りられるように予約を入れた。

夜には、海での魚類調査の予定が入っている。暗くなってから活動を始める魚たちにあわせて、日常の魚の集まり方を確認する調査。そこには、相方である後輩とふたりで出向く予定。魚類を専攻し、これまでも研究調査をしてきた後輩は、頼もしい存在。そして、趣味はクラシック音楽。ふたりで移動するときは、たいてい、彼の選んだ曲が流れている。

ふたりで移動するときは、わたしのバッハ好きを考慮して、ところどころでバッハが流れるようにプレイリストを作ってきてくれる。そんな気遣いも嬉しく、わたしがほんのり淡く彼に恋心を持っていることは秘密。久しぶりの夜間調査、久しぶりの相方との出張、どちらもわたしのたのしさの予感でしかない。

予約時間まで、まだ1時間ある。のんびりと会社のドリンクコーナーに座っていたら、以前の勤務先の同僚がようすをみにきた。

この同僚。趣味でオーケストラをやっている。その練習を何度か見せてもらいに行ったことがあり、そのご縁で、演奏会の日に時折、楽器運びやステージ設営を手伝っている。そのお礼に、その日の演奏会を録音室で聞かせてもらえるのだ。人ごみを苦手とする私にはありがたい話

今日も、楽器運びを手伝ってほしいらしい。今回はティンパニ。半球になった金属光沢きらきらの上に、まっしろな革を張ってあり。たたくと、どんどんと。空気を震わせてくる。ティンパニを一度、運んでみたいとわたしが言っていたのを覚えていた様子。

がたがたな通路を押していくと、どおんどんとティンパニが低い音を出しながら震える。ここにあるよと、主張しながら進んでいく。この後で調査に出る用事があるから、運搬と設営は手早くしなければいけない。

ステージの裏側に運び込み、譜面スタンドを用意し。まだ設営中のステージブロックを運ぶ手伝いをする。ついでに、照明用ケーブルを埋める手伝いもやった。これで、よし。

「車、とってきました。裏の公園で待ってます」後輩からメッセージが入る。いつのまにか1時間過ぎていたみたいで、大急ぎ。すぐに調査に出られる格好のままでステージ設営を手伝っていたことは何より。楽器運搬をたのんできた同僚に、調査へ行くねと声をかけようと思うけれどそこにおらず。ステージを作っているメンバーに伝言を託す。

後輩と二人、車に乗り、海へと向かう。車の中では、今夜の調査内容確認と前回までの調査結果の復習だ。

ふたりではなしをしていると、つい。魚を計測解剖調査した後に、あまった部位をどうやって食べるかの話になる。

前回の調査で、時間が足りないからと。標本作成の後にのこった部位をすべて網で焼いてしまったことを、まだ残念に思っているらしい。

あの魚の刺身が、いかに美味しいか。語り続ける彼。

刺身でも焼き魚でも、あれはおいしいはずだから、刺身と焼き魚と。両方を食べて欲しい。時間がないなら、じぶんがあまったサンプルや捨てるはずの部位を保管するから。今日の調査後は標本づくりと機材片付けを優先してほしいという。

その時、車の中にきこえてきた曲が、今日、同僚の所属するオーケストラで演奏される曲。でかけるまえにステージの設営を手伝ってきたことを思い出した。彼の話から気がそれた。

気がそれたわたしに気づき、不機嫌になっていく彼。もしかして、わたしにも恋のチャンスはあるのか?

あ、でも。これ、どこかおかしい。

……と思ったら目が覚めた。目覚ましがわりにアラームをセットしてあった曲が、しずかに流れていた。夢の中で、同僚がコンサートで演奏すると言っていた曲だった。

夢は、どうもよくわからない。

じぶんの願望と、かつての記憶と経験とが、ごちゃまぜになって排出されてくる。

夢の中であった同僚は、今、瀬戸内のまちで子育ての真っ最中。去年の夏に生まれた子供をかかえて、うれしそうに笑っている写真が年賀状になって送られてきた。しばらくは、演奏ともお別れだとたのしそうに話していた。

そして、魚類調査の彼。そんな相手は存在しないはずなんだけど、誰だろう。顔だけ見ると、調査のときに相方を長く務めてくれていた彼のようにも思えるし。業務依頼を受けたことのある、森林に関する研究をしていた先生のところの学生さんのようにも思える。

あの仕事をしていたころ。恋愛感情がここで生まれたら、夫婦でずっと研究を続けられるのに。そう思っていたことを思い出した。それを、いまさら夢に見る。

今、わたしは研究を続けていないし、専門とするはずだった災害研究の分野からも手を引いた。生物調査や文献調査にも、このところずっと出ていない。

それなのに、いつまでも。研究調査をしていたころのことを夢に見る。なつかしいだけなのか。また、もどりたいとおもっているのか。

夢は、心の奥底に入っていた感情をあらわすという。

そうだとしたら。わたしは、何を感じているんだろう。

なつかしさ、たのしさ、恋や感情へのあこがれ……もやっと、正体が見えないまま、今朝を始めることにする。

でも、夢であった魚類調査。魚が本当においしそうだった(現実の魚類調査で、捕獲サンプルを食べることはまずない)。今夜のおかずは、焼き魚にしようと決めた。

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あゆの姿焼きが好き。でも、あの季節は夏。今は冬だから、焼きサバになりそうな予感。

おいしそな焼きあゆの写真だったので、瑛子さんの写真を本文タイトルへつれてきました。瑛子さんの写真たちは、現実と並行している別の世界をきりとったような景色。みんなのフォトギャラリーに写真を置いてくださって、ありがとうございました。

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