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いつもと違う金曜の夜

うす暗がりの路地を通って、駅に向かう。人と人とがすれ違うのには、ぎりぎり足りない細さ。生垣やブロック塀に身体を貼りつけるようにして、すれ違う。

日が落ちるのが、早くなった。あたりは、もう真っ暗だ。道の両側に在る家やマンションから、かろうじて光が届く。その、うす暗がりのなかを急ぎ足で歩く。

ちょうど、終業時刻を終えたばかりで、振り返って見えるほどよい高さのオフィスビルから、ぱらぱらと人が出てくる。そして、皆、この細い道へ吸い込まれる。

だからか、いつの間にか。この時間帯は、道へと向かう一方通行。誰かとすれ違うことはない。

細い道の真ん中あたりで、ちょっと休憩。そこは、小さな公園。申し訳程度の、滑り台がぽつんとひとつ。近くの小学校から帰る子どもたちがいる時間帯は、笑い声の聞こえる公園も、今はとても静かだ。ベンチの前にぼんやりとたったまま、駅へ急ぐ人たちをながめる。

あ、ネコだ。

公園の隅に在る生垣の隙間から、ふわふわ、まあるい毛玉が見える。

夏の間、公園でよく見かけたネコは、わたしの写真フォルダにたくさん残っている。短くて曲がったしっぽが愛らしい、青い目のネコ。涼しくなってからは見かけていないから、ずいぶんと久しぶり。

音を立てないようにカバンの中に手を入れて、スマホを探り当てる。そっと、カメラアプリを起動する。スマホを片手に握りしめ、抜き足差し足。風にゆれる毛玉めがけて近づいていく。

お尻の部分だけが見えていた毛玉は、ふるりと動く。身体をひねった。

うおっ。逃げられ……あれ?

がさがさと、生垣の中にもぐりこむとおもった毛玉は、ぴょんとジャンプして滑り台の脇に転がり出た。そして、開けた場所を跳ねるように逃げていく。

あのキジネコじゃない。こげ茶色のネコ?

カメラを触ることも思いつかないまま、わたしは固まる。固まって立ち止まるわたしの目の前を、跳ねるように毛玉は逃げていく。我に返って追いかける。公園から路地を抜けて、ぴょこぴょこと追いかける。

路地の先にある建物の隙間に逃げ込む、その前に。毛玉がちょんと止まり、振り返った。

長い耳が、ピンっと立ったウサギ!!

急いでカメラの連続撮影を押してみるけれど、写ったのは建物の隙間だけ。逃げていったウサギを写し取るだけの撮影技能は、わたしに無かったみたい。

……ウサギを、街の中で初めて見た。

小学生の頃、田んぼの中でウサギを見つけたことはある。それは、学校の飼育小屋から逃げたウサギだ。大人になって、山仕事の途中でウサギを見かけたこともある。
けれど、街の中でのウサギ。野良猫さんのように、公園で何かしていたと思われるウサギに出会ったのは、初めてだ。

呆然としながらも、興奮し始めた頭の中で、メロディーが流れる。

(森のくまさんで)
金曜に、街の中、うさぎに、出会った~♪

野良ウサギに初めて会った金曜の夜。頭の中には、森のくまさんのメロディー。うきうきしながら、歩くうちに気がついた。

もしかして、わたし。不思議の国へ行き損ねた?

あのウサギと一緒に、あの建物の隙間へ入って行けたら、わたしも不思議の国を冒険できたのかもしれない。

けれど、隙間へ入って行けなかったわたしは、駅に向かって歩いている。夜の空気は、晩ごはんのにおい。

さて。今夜は何を食べようかな。

いつもとそれほど変わりのない金曜の夜。
けれど、いつもと違う金曜の夜。野良ウサギに出会った夜。

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