視野が狭くなるとやってくる神。

ここ数ヶ月、殆ど家から出ていない。
部屋、お風呂場、トイレ、茶の間、台所。そしてちょっと庭。
まだこれから、希望はある。希望や考えてることはある。今思うことはたくさんあるけれど、こうしてできること、行ける場所が限られているように感じる今、手首のどくんどくんと動くこの動きが、わたしなのだと思う。動いている。

ただなんとなく、「もしこのままこうして不安や恐れが苦しいものとして滞在して、外の世界へ行くということができないならば、、、、」とか、ちょっと頭をよぎったりもする。「それならばいっそ、」みたいな、誰でも一度はあるのではというやつ。過ぎるは、きっと。

そんな時、目の前に、茶色の長い毛虫が現れた。すごくびっくりした。
よく見たら、それは数日前食べたと思われる魚の骨だった。猫にあげるために置いていたものが、お皿から落ち、忘れられてカリカリの骨せんべいと化していたのだった。

こういうことが、ある。そうだ、人生って、未来って、予想外なんだった。って。こういうことがあると、思い出す。頭で枠や制限のあるシナリオを描いて、暗くなる時がある。でも、未来どうなりたいとか、どうなって欲しいとか、たくさんお願いしてきた。そして、少しずついろんなところで、変化や出会いが、起きている。

昨日、「今日、魚の骨を毛虫と見間違える」なんてことは、一切想像しなかった。それでもこうして、予想外のことがいま起きている。思考や人智を超えて、起きる。自分の頭で考えられることは、ほんとにほんとに狭くて、そして落ち込んでいる時には、方向すらも狭くて、いい意味で「たかが」なのだ。

何が起きるかわからない。
今できることを、十分やってる。
それだけで大丈夫なのだ。あとは任せて、こうして「毛虫だと思ったら魚の骨だったー!」みたいなことを、楽しんだらいいのだ。(楽しめなくてもいい。)

余談だけど、わたしは友人から「笑いの神に愛されている」と言われている。
泣いていたら鼻のなかに虫が入ってきたり、タイツに付いたキラキラしているものを見つけて、スパンコールだと思って掴んだらカメムシだったりしたからかもしれない。何故か虫関係が多い。自然が豊かなところに住んでいるのもあるし、虫は神様からの遣いとも言われているらしい。



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