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「たまには自惚れてみようよ。」というタイトルで書こうとしたけども。

2022年がだんだんと幕をとじていく。
そんな時期に来たのだなあ。
なんかわからないけど、思っていることを文字にしたためるのって気持ちいいなあと、年末のTVの特番をかけながら携帯に向かいつつ思った。それから、このnoteのちょっと丸みを帯びた書体の文字と、大きすぎないサイズ感が好き。あと、「なんかわからないけど」を、使いがち。

そんな感じでテンションが上がったり穏やかになったりしながら、さて、タイトルについて触れようと思う。

耳にタコができるほど、「日本人は自己肯定感が低い人が多い傾向があるよねぇぇぇ、」みたいなことを、聞く。それでなくてもうっかりするとゆるやかに人の脳はマイナスの思考へ向かう性質があるらしい。マイナスの思考とは、性質としては、慎重に考えるとか、よくないパターンを予期するとか、大昔の狩猟時代には絶対に必要だったもの。それが今でも人には残っているらしいけど、いかんせん、今の時代にはマンモスもナウマンゾウもいない。命を狙われることもスナイパーやスパイでもない一般ピーポーにはほぼないことなので、マイナスに考えすぎると、ただ「マイナスに考えすぎる」になってしまう。そして、命を守るために悪い方向のパターンを持ち出してくる脳の性質は、性質として仕方ない部分で、でもそれが1ミリ単位の危険や、1gの傷つく可能性にも反応するから、ほっとくと頭のなかに嫌なシナリオばかりが浮かんでくる。だから前向きに考えるとか、思考を切り替えるとかは、ちょっとした「努力」のいることなのだ。

自己肯定感の前に、大事なのは「自己受容」であるのだけど、その話はまた別で書くとして。

少し見る方向を考えれば、簡単にどんよりした気持ちになれてしまうなあと最近思う。ここにないものを見るとか、人と比べてみるとか、自分に積極的にダメだしをするとか。逆にいえば、見る方向を少し変えると、簡単に気持ちが軽くなったり明るくなったりもするなあとも思う。

自己肯定感と自惚れがここから繋がっていくのか、すごく不安になってきた。どうしよう。よし、無理矢理本題に入ろう。めちゃくちゃな流れかもしれないけど、もしかしたら後にいい感じに繋がるかもしれない。うなれ、わたしの右手と脳。

そう、単刀直入に言えば、たまには自惚れてみてもいいじゃない、とふと思ったのです。落ち込んだり沈んだりするくらいなら、自惚れるのもあってよいのでは?と。日本人、ションボリシヤスイ、ナラ、タマニハ アホに ナロウヨ!

ただ、自惚れるってあんまり良い意味で使われることないイメージだけど、どんな意味なんだろう、とも思ったので、とりあえず辞書でひいてみました。

https://www.weblio.jp/content/%E3%81%86%E3%81%AC%E3%81%BC%E3%82%8C%E3%82%8B

「実際以上に自分が優れていると思い込んで得意になること」

………
トゲがすごい…言葉のトゲが…

んー、実際以上に、かあ。
なんというか、実際以上に自分を低く思い込んだり見積もって、しょんぼりする、は起こりやすい気がするし、そういう人のことは想像しやすい。逆をすると、なんというか、ここ日本では特に、べっこんべっこんのメッタメタに他人からハンマーでぶっ叩かれそうなイメージ(なんて恐ろしいイメージだろう)がするのは、わたしだけだろうか。

実際以上に、はちょっと個人的には違う気がするけど、でも少なくとも自分の持っているもの、していること、いまこうしてやっていることも、「よくやっているじゃない」と思っていいと思うし、ちょっとくらい調子に乗ってもいいと思う。

よし、いきなりですが、調子に乗ってみます。

「わたし、美大とか専門学校とか出てないけど、絵を描いた時のセンスとか感覚とか、色彩感覚とか全体のバランス感とか褒められまーす!!!!生まれ持った感性なんだとおもいまーす!!!!あと、絵を誰かにあげるとき、出来るだけ良いものを、そして何より相手に喜んで欲しいと思って描くので、手を抜かない→割とクオリティーの高いものができまーす!!!!!」

はぁ、はぁ、はぁ…
慣れないことをした…ハンマーを持った人、やって来てないよね…???

美大は、過去に行ってみたいと思ったことが実はある。その時は諦めてしまったけど、でも今、改めて少しずつ絵を描くようになった。あと、オンラインで「この人からデッサンを学びたい」と思う人も見つかった。

わたしのなかの小さい子は、自分を過小評価しやすい。小さくなって、体育座りをしている。
だけどね、だけどね。美大には行ってないけどさ、あなたが描いた絵で、いま、人が笑顔になったりしているよ。あなたの絵素敵だねって、素敵な感性だねって、褒めてくれる人がたくさんいるよ。和むって言ってもらえたりしているよ。

調子に乗ってしまえ。「あざーす!」って、ザキヤマさんばりの明るい軽いノリで、貰ってしまえ。
少なくとも、今事実として起きていることを、起きていることとして、正当に、ただフラットに、受け止めても、良いんじゃないの。

たまには自惚れてみようよって書いたけど、自分が実際に持っているもの以上のものを持っていると思い込むことは、わたしには出来ないっぽいことがわかった。ただ、自分の持っているものを、正当に評価というか、今自分が受け止められているかは、わからない。

でも、少なくとも、褒めてもらった時、喜んでもらった時、相手の言葉をそのまま貰おう、受け取ろう、と心がけている。

それだけでも、きっと自分を過小評価してしまうことに比べたら、光の方向に進むと思うのだ。

過小評価はもったいない。そんなにあなたは小さくないはずだ。どうせなら、「今日も自分よくやった」って思いながら、ビールを飲もうぜ!(普段飲むのはほろ酔いだけど、なんとなく、ここはビールかなって。はい。)

2022年が、だんだん終わっていく。
それまでに、何本記事を書くだろう。自分でもわからない。気まぐれに思い浮かんだ時に書いてきたこのnoteも、音声配信しているスタンドFMのラジオも、気まぐれなりに続いている。それも、読んでくださったり、聞いてくださる方がいるからだ。本当にありがたいなあ。

また書きます。そろそろ特番も終わる時間。
書くことに集中してあまり観てないけど、すごく久しぶりにTVで俳優さんや女優さんを観た。

p.s.誤字チェック等のために読み直して思ったけど、ここで調子乗ったつもりで書いたこと、「調子に乗る」というより、「ありのままの自分を認める」じゃない?え?調子に乗るってムズカシイ?調子に乗るってなんぞ。わからなくなってきたので、終わろう。調子に乗ったらいけません、と思い込んできたせいか、調子に乗るのもしかして下手ぴっぴ?動物占いはお調子者の狼なんだけどなあ。いや、普段意外と調子に乗りやすいところある気が…(略)

強制的に【完】






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