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「藤井微風」、いいね

去年ハマったアーティストは藤井風だ。
飾り気がなく心地よい声と歌が魅力的で、ピアノパフォーマンスも素敵。とにかく「聴いていて心地よい」アーティストだ。個人的には、「帰ろう」という曲がとても好き。刹那的で切ないのに爽やかな歌詞が沁みて、去年1番ヘビロテした曲だと思う。以下、この際なので宣伝しておきます笑


さて、そんな藤井風は、去年の紅白歌合戦で岡山県の自宅から人気曲「きらり」をキーボードで弾き語るパフォーマンスで終わるかと思いきや、紅白の会場に姿を出して「燃えよ」をグランドピアノバージョンで披露し、一躍知名度が上がっている今日このごろです。
いちファンとしては、この紅白パフォーマンス、最高の一言でした。YouTube発アーティストとしてのアイデンティティを印象付ける自撮り出演も、ありのままの自分をプロモーションした部屋着風スタイルも、岡山弁や天然味のある言動も、ピアノ演奏という藤井風の原点を象徴する演出も、全てが計算的にすら思えた。

そんな藤井風が、2022年年明け早々に「ねそべり紅白」という題で、YouTube上でLIVE配信をした。ライブコンサートのような種類のものではなく、藤井風が自宅で寝巻きでねそべりながら適当に弾き語るのを聞く、というものだ。
この配信のために本人は何も用意していなかったらしく、本当に用意していない感が出た大変ゆるい配信だったが、それもよかった。家で作業をしながら聴き流すのにも適した、そういう心地よさがやっぱり魅力だ。(気になった方は下からぜひ)


この配信で、藤井風は、紅白の振り返りとして本番数時間前にめちゃめちゃ緊張していたことや、何度も何度も本番さながらのシミュレーションをして緊張に慣れておいたことを明かした。すこし意外だった。紅白で見る藤井風は、本当にさりげなくいつも通りで、さらりとパフォーマンスをしているように見えた。私はその様子を見て「藤井風らしいなあ」「紅白でもこのゆるい感じ、いいなあ」と思った。一緒に見ていた姉も「緊張もしていないんだね。天才肌なパフォーマーだね」と、初見の藤井風を見て言った。
だがその藤井風らしさは、本人が努力し演出しているものであるのだと初めてわかった。

また配信の中で彼は、今年の目標を毛筆で書き初めをしていた。その言葉は「藤井微風(そよかぜ)」。笑

「微風のように、みんなにとって心地よく、気持ちいい音楽を」という意味が込められているという。私はそれもまた、とても藤井風らしいなと思った。

ふと、「らしい」を演出することの難しさを思った。その完成度の高さと徹底っぷりを、私たちはプロと呼ぶのかもしれない、と。
人間であるのだから、色々な自分があるだろう。誰にも言っていない好物や苦手なものや、周囲からは見えない悩みや弱さは誰もが持つだろう。だが、周囲からすればそれらは「私らしくないもの」である。人々にとって普段見えないものや、たまたま表出しているもので形成された勝手なイメージ、あるいは自分が意図的に演出しているイメージに当てはまらないものは全て、「らしくない」もの、つまり意外性や矛盾として受け取られる。それは悪いことではない、当たり前のことだ。だからこそ、イメージを徹底することや理想を崩さない努力というのは難しく、プロ意識がないとできないことだ。

生き方は自分で選べるということを考えると、どういう自分らしさを形成するかは自分のハンドリングとプロ意識にかかっている、ということかもしれない。

今まで私は表層の自分や他者からの見え方、演出に拘ることには抵抗があった。矛盾や意外性こそが私を私たらしめているし、それを誰かが理解することはできないことが心地よかった。でも、今は、演出というものは生き方に関わる、自分がどういう自分でありたいかを選択し続けるということなのかもしれないと思う。その意味で、らしさへの拘泥は一種の自己実現なのだと感じられるようになった。

藤井風が、今年は藤井微風になりたいと言って、その目標がとても藤井風らしくてファンもクスッとしつつ嬉しいのは、彼が彼らしさに拘泥しそんな自分を選び続けているからなのだと私は思う。

2022年、私はどんな自分を選んで掲げていこうかな。
一番の目標は、いつまでも綴っていたい小説を終わらせたい。とめどない内省と夢想を形にしていく年にしたい。

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