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家族が死ぬのが怖い


私は家族が死ぬのが怖くて、死の予兆は今のところはないのだが、唐突に号泣してしまう時がある。

24歳にもなってこれは、ヤバいのだろうか。
そうかもしれない。だが、昔から定期的に、怖くて泣いてしまう。そして今日はその日だった。


私はいま実家に住んでいる。だいたい、私が帰宅すると、家族みんなで夕飯だ。
今日はいつもより少し長く残業した。満員電車から降りて、踏切を渡ると、少し先に、見慣れた姿があった。祖母だった。

祖母は私を見たら、嬉しそうに「今日はすこし遅かったね」といった。
私は泣くのを堪えて、「ちょっと、やることが多くて」とだけ言った。
「いっぱい人が降りてきたけど、すぐ分かったよ。あんたのくつ、真っ白だから」
その言葉に、「ふうん」といった。
泣いてるのはバレなかったと思う。マスクのお陰もあるし、私の方がずっと背が高いから。

祖母は私の帰宅が少し遅れると心配して、私を迎えに家を出てくる。小学生の時からそうだ。

小学生の時、一度だけ、祖母に内緒で、放課後に友達と遠くのモールにプリクラを取りに行ったことがある(私は過保護な家で育てられ、当時プリクラを禁止されていた)。
帰るのがかなり遅くなったのだが、家の付近まで来た時に、祖母がうろうろと彷徨っているのを見つけた。
つよい雨の日だった。祖母は少し濡れながら、家に帰ろうとしていた。すぐに、私を探しているのだとわかった。

私は家族の過保護さがいやになることも多々あったけれど、その祖母の姿を見た時、秘密でプリクラを取ったことを心底後悔した。今でもその雨の日の祖母の姿を、鮮明に覚えているくらいには。


私は根っからのおばあちゃん子だから、祖母に対しては特にこの感情が強いのだが、他の家族についても同様に、死ぬのが怖い。
家族に愛されていると自覚するたびに、その存在を失うことが無性に怖くなるのだ。
自分が死ぬことよりよほど怖い。

私は家族の中でもっとも年少で末っ子だから、順当に生きれば、最後に遺されるのは私だ、という思考になる。去年までの一人暮らしは平気だったが、この世に一人暮らしともなれば、私は生きていけるのだろうか?

結婚したり子供を授かり、新しい家族をつくれば乗り越えられる、というひともいるかもしれない。というより、生き物は基本的に、そうして喪失を乗り越えていくのだろう。

しかし、私はまともに恋愛をすることが苦手で、結婚できるかなんて分からないし、
そんな私が家族の喪失の保険としてだれかと結婚を選ぶのは、また違う気がする。

ひとりでも、生きていけるように強くならないと。
経済的にだけではなくて、精神的にも。

なんで泣くんだ?

なぜこんなにも悲しいんだろう?


埋められないだろう。他の誰にも埋められないだろう。それくらい大切だから、私の生きる意味ですらある人だから、その人を守れるような私になりたいと思う。

限りある時間だと分かっているから、たくさん美味しいものをたべさせてあげたり、たくさん一緒に時間を過ごして、恩返しをしなきゃいけない。彼女たちが死ぬまでは、幸せに生きなきゃいけない。



死ねない理由、にも書いたけれど…

ただ生きているのではなく、だれかや、なにかに生かされている、というのは、このうえなく幸せなことだ。

それが限りあるからこそ、生かされている意味があるのだ。

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