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さよならブラジャー

昨日、ふと思った。
体や心のバランスや捉え方が変わって
一年とちょっとなんだ。と
凄く濃い一年ちょっとで、オットーに話したら「一昨年じゃない?」と言われたぐらいだ

前から、体を締め付けるものは得意ではなかったが、なんとかはなっていた
だけど、昨年、長年の無理が祟ったのか
ブラをつけれなくなった。
自分が赤ちゃんの時に肺の病気になり、ちいさな体にドレーンをいれた。
当時の技術では、肋骨の間にドレーンが入らなかったら肋骨を切るかもしれないという案もあったようだけど、ギリギリ肋骨と肋骨の間にドレーンが入った。
その名残で、一部、肋骨の間隔が一定ではなく大きくあいてる部分がある
そこは肋骨が守ってない部分がでかいため、筋肉がつきにくく、背中は左右で高低差がある。

「見えないものはない」という感覚をフルに使って生きていたようで背中なのでさほど気にもせずに生きてきた
昨年のある朝 ふと鏡を見て背中を見た。そこにはかなりへこんで見えるような背中があり、
すぐに、ここにブラが食い込み痛いのだと理解した。
そしたらどうだろう、背中が「気がついたのかい?」とでもいうように
どんどこ痛むようになり
私は理解した。長年、私は親に「体が弱い」話をされ続けていた。小さな時の手術の話は小さな時から繰り返し聞かされていた
主に親の苦労だ。
それに対して「ごめんなさい」って思ってた。体の弱さは、私の負い目になっていき、やがて、背中の手術痕という存在を切り離した。
だから背中を見たとき「背中ってあるんだ」って思った。

その後、病歴を正しく知った方がいい。となり
母に聞いたら、私の肺は片方の半分がないこともわかった。母は「言った」と言ったが、私は知らなかった。

昨年は沢山失ったように感じる。
ブラジャーをすることも、リュックを背負うこともできなくなり、なんなら片肺の半分も失った気分だ

こと、ブラジャーに対しては、困った。しないわけにはいかないから医療用の前びらきのスポーツブラのような下着を買った。背中がフラットだから痛くないし締め付けもない。
もう,つけることもないね。とブラジャーも捨てた。女であることも 少し捨てた気分になった。
あるときはめんどくさいな。ノーブラでいいじゃんと思っていたけど、手放すと悲しいものなのだと実感した。

人に体の弱さをいうときに、「片肺の半分がないんすよー」というようになったのは、自分がそれを忘れないためだ。
背中を切り離してなかったことにしてしまい 気がついたら大きく大変になった。「ある」ことは「なかった」事にはならない。

一年、必死に事実を受け入れ続けてきた
呼吸器の病院には早めに行って色々相談しなきゃと思いながら,行けてない。
なにか追加で受け入れなければならないことがあったとしたら、溢れて壊れてしまいそうだからだ。

ただ、秋が来る前に、そろそろ行かなきゃいけない。こうやって文にかけるとこまできたのだから。行けるだろう。

私は,私のある 今の身体に感謝してる。
私の身体はこれしかないし。
身体と気持ちのエネルギー量バランスが悪く,時々、無理はかけてしまうけどね。

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