「次なる100年」水野和夫:「芸術」を中心に?

次なる100年において、社会の中心概念は「資本」か「芸術」かの選択を迫られるという。

水野氏は国債利回りがマイナスまでに下がった意味をこう述べる。

日銀が1999年にゼロ金利政策を採用し、一時中断したときもあるが基本的にはゼロ金利が続いた。
2016年に10年国債利回りがマイナスを記録した。
(続いてドイツも2016年にマイナス利回りとなった)
ということは、土地、霊魂、資本と続いたモノの「蒐集(しゅうしゅう)」が終わったのだと理解することができる。
キリスト教が「蒐集」した霊魂も結局は教会にとっては財宝だったのだから、モノである。
いわゆる唯物論者の資本はゼロないしマイナス利回りでその役目を十分終えたのである。
           (「次なる100年」から以下同じ)

さらに「救済」がされていないという。

「精神のデフレ」は経済的にみれば、固定資本(唯物論者の資本)と内部留保(資金主義者の資本)のギャップで測ることができる。
危機の時代になると、資金主義者の資本が有効に使われていれば急増しないはずである。
危機に際して急増しているのだから資金主義者の資本は「救済」に使われていないことになる。
2012年以降「救済」が実行されていない。
それどころか「ショック・ドクトリン」が日常茶飯事となり、猛威を振るうようになった。

それならば「精神のデフレ」から脱するにはどうするか。

イコンやコインはもはや人類を救済できない。
ドストエフスキーは「美は世界を救うだろう」と宣言した。
クノーは「人は何と美に飢えているのだろう!・・・
多くの人が美的な体験をするには芸術がふさわしい。
イコンそしてアートの次の中心は「芸術」となる。
ケインズのいう「美の道」が「善い精神の状態」であるというのは、時代を問わない普遍的原理である。

日本の国や国民について誇りに思うことはどんなことか、尋ねると
1位「治安のよさ」(56.4%)、2位「美しい自然」(52.3%)
「長い歴史と伝統」(48.9%)、「すぐれた文化や芸術」(47.6%)である。
経済的繁栄を誇りに思っている人はわずか10.1%。

「精神のデフレ」から脱するには美的体験の機会とモラルの力が不可欠である。
モラルの廃退は、正義と表裏一体の所有権の概念まで歪めることになる。

資本の時代が行き詰まっているのは実感としてわかる。
しかし、次は芸術の時代かと言われれば、今ひとつ納得できない。

身近な例では、神宮外苑の再開発である。
森林の伐採では、音楽家や国際的な非政府組織であるICOMOS(イコモス)から反対が出ている。

また、海外からの観光客が戻ってきたが、観光の目的は爆買いではなく、日本の文化や自然である。

政府は相変わらず成長戦略を掲げ、従来のお金のバラマキ先を探っている。
成長は否定しないが、もう第一に掲げなくてもいい気がする。
なにしろ投資に金利がほとんどつかない国になってしまったのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?