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「昭和戦前期の政党政治 筒井清忠

戦前の政党政治はなぜ短命に終わったのか。
関東軍が進める満州国建国に反対であった犬養首相が、海軍青年将校
に撃たれ死去し、犬養内閣は倒れた。
その後、斎藤実首相の挙国一致内閣ができ、この時点で政党内閣は終わってしまう。
この時期政党内閣が続いたのは1924年から1932年までの約8年間だった。
この時期は25歳の男子全員に選挙権が与えられた普通選挙が実施された時期である。
大衆デモクラシー段階に突入した時の日本社会は、人口構成から見るとまだ農村的色彩も色濃く残っているが、新聞を中心にしたマスメディアの影響力はすでに非常に強かった。

この時期の政党政治にどこに問題があったのか。
筒井氏は4つの問題点を挙げている。

①疑獄事件の頻発と無節度
この時期、普通選挙が開始され選挙民が一挙に増えたため、選挙に多額の資金を要することになり、そのために様々な政治資金をめぐる不正が行われた。
また、反対党のそうした不正を暴くことが反対党のイメージ上のダメージとなる上、場合によっては内閣の総辞職を導き出すこともできるので、暴露合戦が熱心に行われた。
田中内閣後の浜口内閣による五私鉄疑獄事件追及のように、反対党の政友会の政権時の疑獄を暴いているうちに、それが自らの内閣の閣僚にまで飛び火し辞職する閣僚が出るに至ったことが典型であるが、
それらは結局全体として政党政治の評価を大きく下げることになってしまったのである。

②国会の混乱ー買収・議事妨害・乱闘
田中内閣における鈴木内相弾劾問題の際に、与党政友会が野党に猛烈な買収工作をした事例のように、
買収が選挙においてのみならず議会における自党の有利な展開のため国会議員を相手に行われたことをはじめ、
議場内の議事妨害・乱闘の頻発など議会における混乱が続き、
国会の威信を大きく低下させたことも問題であった。

③地域の正当化・分極化と中立化・統合化要求の昂進
次に、「党弊」と言われた政党による官僚支配の問題がある。
加藤高明護憲三派内閣では、朝鮮総督府政務総監、鉄道次官、内閣拓殖局長などのポストに政党員が就く「政党員の就官」が行われ、
湯浅倉平内務次官、太田政弘警視総監、川崎卓吉内務省警保局長等、憲政会系官僚の積極登用も実施されている。
また、中でもこの問題との関わりで重要であったのは、内務省と選挙の関係の問題であった。
内務省を掌握すると選挙に勝つことができるということで、内務官僚の政党による掌握というのが極端に進んでいったのである。
この反省から、政党内閣が倒れた後の斎藤実挙国一致内閣では、警視総監・内務省警保局長・衆参両院書記官長などは試験任用にするという文官任用令の改定が行われ、
官吏の身分保障が強化されることになったのであった。
しかし、事態はもっと深刻であり、この程度のことで収まるようなものではなかったようだ。

・・・・(大分県の警察部長に就任した内務官僚の体験記録)

この記録が特に興味深いのは、政党政治の最盛期は地域社会が二大政党に分極化していて、それぞれ警察や暴力団まで使って自党の浸透を図っていた、従って普通の市民にとっては、政党政治が終わって「天皇陛下の警察官」という形で警察が中立的で公平な態度をとることが非常に歓迎されていたということがわかるからである。

こうした視点から見ると「党利党略」に憂き身をやつす(と見られた)政党政治への「嫌悪感」が「中立的」と考えられたもの(天皇・官僚・警察・軍部等)の台頭を必然化したのだとも結論付けることができよう。

④「劇場型政治」とマスメディア・世論の政党政治観
1926年に起きた朴烈怪写真事件は、ヴィジュアルメディアを駆使した大衆動員型政治の皮切りとなるものであった。
日本の「劇場型政治」はこの時に始まったと言ってよい。
その背後には前年に成立し、近く実施されることが決まっていた普通選挙があった。
その後、満州事変も五・一五事件も、言い換えると戦争やテロも、耳目をそばだてるものとしてマスメディアによる絶好の「劇場型大衆動員政治」の機会・舞台となった。
そして、こうした形で、もう「政策論争」だけでは太刀打ちできない時代が始まっていたのにもかかわらず、多くの政党人はそれに十分気が付かなかったのである。

さらにマスメディアの問題として指摘しておかねばならないことに、マスメディアが政党政治の批判をするばかりで、それを積極的に育成しようという傾向が乏しかったということがある。
いつも「断末魔」とか「末期症状」というような言辞を使った報道ばかりをして、「既成政党は腐敗している」「政党政治では駄目だ」という意識を国民に植え付けた最大のものはマスメディアであった。

普通選挙による大衆デモクラシーが始まった、まさにその時政党政治もスタートした。
政党政治は様々なところでまだ未熟であった。
それに対し、買収や不正な政治資金の融通はもってのほかだが、マイナス面ばかり強調し、反対党との競争に勝つための様々な方策にも「党利党略」だとして批判の矛先を向けるのは問題であった。
自由で民主的な政治は議会政治であり、議会政治は政党政治である。
できるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない。
その面で国民も、そしてマスメディアの責任も大きい。


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