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オール・アイ・トーチ [4]

【2・➃】
 あれから朱莉と明璃は毎日沢山のメールで話すようになった。 2人揃って調子がいいと、それぞれの部屋の窓を開け互いの顔を見ながら通話で話すこともある。今日は生憎、明璃が嫌がったのでメールの日だ。もっとも、朱莉だってまともに会話できる状態じゃあなかったからおあいこだ。
『4日分のクスリ一気に飲んじゃったー。アタマぐちゃぐちゃとぐるぐるでヤバいー』
 朱莉には大きな変化があった。目を閉じたまま玄関を出て父親の車まで誘導してもらう方法で家から出られるようになったのだ。それによって、少し郊外にある心療内科へ通えるようにもなった。今のところはそれが朱莉にとって唯一の外出になっている。
『そっかー。やっちゃたねえ、朱莉。あたしもまた左のほう切っちゃってくらくらしてるとこだよー』
 ふふっ。ほんと、うちら2人して何やってるんだか。もうちょっと命は大事にしとけっての。これはメールにはしない。あんた何様だよって感じするし。明璃ちゃんだってこれ以上メール続けたい気分じゃないだろう。どっちも自分の好きに軽めのトリップを楽しんでればいいんだよ。ねえ。ばいばーい。

 朱莉は携帯電話をベッドに投げ捨て、そのまま床へ寝転がった。私の部屋は絨毯を敷いてないから、背中にはひんやりして固い感覚が伝わってくる。 ぜんぜん気持ちよくないな。ほんと、こんな私にはぴったりだ。
 さっきから意識はふらふら脈はどきどき、落ち着かないったらありゃしない。気分を高めてくれるおクスリ、だったっけ? あはは。私にそんなの飲ませちゃっていいのかな。メンヘラが機嫌好くなっちゃったら、角の7階建てビルの非常階段を勝手に上ってくとかあそこの元コンビニの向こうにある踏切の中に入ってくとか、そういうヤバいことしちゃうかもよ。責任とってね。ま、あたしには無理だけどさ。そういうの考えるだけで映像がはっきり浮かんできて怖くなって、それで、今みたいに大泣きしちゃうんだもん。よしよし、大丈夫だよ。落ち着きなさい。うるさい。あっち行け。好きに暴れさせろ。

 第一ねえ、明璃ちゃんみたいにして自傷する勇気だか狂気だかもなくてこんなお手軽ODくらいで満足できちゃうわたしが自殺? そんなの無理に決まってんじゃない。こうやって自分の部屋に転がってぼろぼろ泣くのが精一杯のくせして何いい気になってんの? ばーか。
 まだ涙はちゃんと止まってくれない。惨めだなあ。それでもまだ、自分にいいようにするズルさは意外と残ってるんだよな。好きにODできるよう、クスリは自分で管理できるって言い張って納得させて部屋に置かせてもらってる。あと、部屋に鍵するのも説得して今まで通り許してもらえてる。そうして、自分の頭だか心だかのコントロールだって少しくらいは利いてる。今のところ、気分が落ちたりぶっ飛んだりしてる間もイカれた大声出したり暴れたりはせずにいられる。どう、偉いでしょ。いつまで持つか分かんないけどさ。

 正直、良くなってきてるなんて風にはちっとも思えない。ボロボロな刑務所の部屋で大人しく手錠も足枷も外そうとせずにじっとしてるみたいな気分が続いてるんだ。明璃ちゃんと話しても、どんどん悪くなってってる同士で傷を舐め合ってるっていう感覚。それでもお互いのためになってるんでしょうって? ううん。どうかな。うちら親友でも何でもないからさ、相手を掴んで自分のいるとこま引きずり込んで、繰り返しそうやってるだけだよ。だからって今更バイバイする気はないけど。いいじゃない。何なのかよく分かんない関係でも、明璃ちゃんも私もこれがいいと思ってるんだから。邪魔しようとしないで。もしまた独りに戻されたりしたら、2人とも何しでかすかわかんないよ。覚悟しといて。

 午前2時半。どうやらクスリはもう効果切れみたいで、頭の中が夕方に寝転がってた床の上みたくひんやりしている。嫌だな。もっとずっとぼんやりしていたいな。冷静に考えたりなんかしたら全部が悪いほう悪いほうへ転がり落ちてっちゃうもん。ねえ、明璃ちゃんもそんなのはまっぴらだよね? カーテンをほんの少しだけずらして黄緑カーテンの方を確かめる。うん。いつもの通り彼女の部屋には灯りが点っている。
『なんか話しようよ』
 私は早速メールを打った。ほとんど間を空けずに返信がある。
『いいよ』
 そしてすぐにもう一通が着いた。
『思いついた。私、いいときには長袖着ればわりと外出れるのね。だからさ、朱莉の部屋行ってもいいかな?』
 そっか。明璃ちゃんって、私と違ってヤバいくらい元気なときもあるんだっけ。そもそもリスカとかやれちゃうくらいの動けるメンヘラなんだよね。本人は面倒くさいんだろうけど、そういうの何か羨ましいな。
『どうしたのー? それとも私、なんか嫌なこと言っちゃった? もしそうならゴメン』
 あ。私、返してなかった。
『ゴメン。ボーっとしちゃってた。来ていいよ。江藤家と同じで須坂家も昼間は私しかいないし』
『そしたら明日は?』、『いいよー』

 その後も私たちは、翌朝、お母さんが部屋のドアをノックして「行ってくるね」、と言うまでメールを送り合っていた。そして案の定その日は2人ともすっかり暗くなるまで眠ってしまい、私の部屋で遊ぶ約束は次の日へ先送りになった。そこから明璃ちゃんはうちへしょっちゅう遊びに来るようになる。私たちは一気に、ほんとの友達同士みたいな関係になっていった。

【2・❺】
 ほぼ毎日ちゃんと洗ってるのに、どうして私の髪、こんなバッサバサなんだろう。朱莉と違ってまともな食生活してないからかな。きっとそうだ。あと、しょっちゅう掻き毟ってたり抜いたりしてるのも駄目だよね。分かってるよ。クスリ飲んでも自傷はぜんぜん止める気になんないし。いいんだ。こんな風にして死んでるみたいな生活してるんだしさ、あたし。今さら見た目なんて気にしてどうすんの?
 この前朱莉から、『明璃ちゃんって天然で真っすぐな髪質なんでしょ。うらやましいなあ』って言ってもらえたし、伸びすぎて邪魔になるまで放っとこう。私は朱莉の丁度いい感じになってくれるくせ毛も楽そうで好きだけどなあ。ま、みんな自分の持ってないものには憧れるもんか。うん、そうだよね。

 考えが途切れると、明璃はぼんやり天井を眺めた。朱莉のとこ行く用に薄手のカーディガンなんて着ちゃったけど、どうしよっか。何だか無性に切りたくなってきた。でも、リスカすると外に出る気が失せるんだよなあ。昨日は2人そろってベッドから動けない鬱な日で、ろくにメールもしてない。だから、今日は会って話がしたい気分なんだ。
 私たちって一緒にいる時間が長くなっても友達っぽくないし、親たちが思ってるみたいにいい影響を与え合ってるわけでもない。それどころか、お互いに相手が渦に巻き込まれて来るのを眺めてるだけ。助けようとなんかしない。2人とも、それを分かってて会ったり話したりしてる。どうしようもないね。

 一応いい事もお伝えしておきましょうか。私ね、このまま行けば近々、朱莉を外へ出せる気がしてるんだ。あの子は、私と違ってお医者さんから躁の気もありそうとかは言われてないみたい。シンプルに鬱なんだってさ。それでも最近、あたしみたいなのとばっかり一緒にいるせいか、何か危ない体験してみたくなってきてるみたい。私、すぐそばで見てたいんだよね。須坂朱莉がちゃんと目を開けて外に出たら、どんなことが起きちゃうのかを。ドラマによくある様なポジティブで明るい展開なんか私は期待してない。もっとどう仕様もないものを見せてよ。醜くて歪んでて、号泣必至のストーリーにも学校の授業で見せられる類のドキュメンタリーにもなりっこない現実世界を。ねえ。

 朱莉についてあれこれ想像を脹らませてるうちに、明璃のリスカ願望はどこかへ行ってしまっていた。よし、決めた。私、これから須坂家に行って朱莉を玄関より外に連れ出すんだ。あの子の友達でも仲間でもない私にぴったりの役目だよね、これ。明璃は髪を雑なポニーテールにまとめると朱莉に短いメールを送った。
『そっち行っていい?』、『いいよ、おいで』

「ちょっと外出てみない?」、という私からの誘いに、朱莉はすんなり応じてくれた。部屋を出る直前に、お守りのつもりかクスリは飲んでたみたいだ。量は分からないし私にはどうでもいい。その程度の支度で間に合うくらい、彼女が家から出られるようになりたかったのは伝わってきたから。
 玄関で濃いピンクのスーパースターを履いた朱莉は、すぐ明璃の右腕を掴んだ。ああ。部屋のカーテンもだし、朱莉ってこういう系の色がわりと好きなんだな。聞いて確かめようと彼女のほうを向くと、朱莉は両目をぎゅっと閉じた。私を掴む両手の震えが伝わってくる。
「ゴメン、明璃ちゃん。しばらくこのままで歩いてくれないかな」
「うん。いいけど、大丈夫なの、朱莉? 無理そうなら『玄関出て家の鍵閉めました。すごいね』、までで今日は終わりにしてもいいんだよ?」
「ありがと。でも、そう言われちゃうとムカつくし、やっぱこのまま引っぱって行って」 
 朱莉は目を閉じたまま眉間にしわを寄せ、右手を離してファックユーを作ってきた。そっか。それがあんたの気持ちなわけね。よくわかった。それじゃ、連れてってあげようじゃないの。

 朱莉の右手が私の腕を掴み直すのを感じると、私はゆっくり前へ歩き出した。そして彼女に曲がる方向を告げ、須坂家を出て駅のある方へ進んでいった。朱莉がいつまで目をつぶってるつもりか分かんないけど、音の多い道ならちょっとは安心するんじゃないかと思ったんだ。 もしかしたら逆なのかも知れない。ま、許して。あたしもちょっとスリル味わいたくなっちゃったんだよ。実は、駅前まで歩いてくの、病んでからだと初めてなんだ。私にもドキドキさせて。ね。
 朱莉に言ってないことが実はもう一つ。 あんたがさっきから割と強めに握ってるとこさあ、一昨日の夜に切ったばっかりだからそうやってギュってされてると痛いんだよねえ。いいけど。もう血は出ないだろうし、こうしてるとすごくお互いさまな感じがするし、何にも言わないでおいてあげる。付いてきて。

【2・❻】
「そういえばさあ、朱莉、いつだったか私に掴まりながらこの通り歩いたことあったよねえ。怖いからって目閉じてさ。覚えてる?」「うん、覚えてる。ひきこもり克服とか言って、無茶したよねえ」
「そう、そう。朱莉、あのとき結局、駅前のなっがい横断歩道のとこで私に『ほんと危ないから目開けて』、って言われるまで意地でも開けなかったよね」
「だって、ほんとに怖かったんだもん。その節はお世話になりました」
「いえいえ、どういたしまして。ふふっ。そういえばさ、今あんなことしてたら多分警察の人に補導されてすっごい色々疑われてたよね。君らそういうんじゃない方のクスリやってるよね、とかっていう感じで」
「あははっ。そうだろうね。あの当時の私たちって、見た目はもろにジャンキー女だったもんなあ。ま、あたしあの時、実際におクスリのODはしてましたけど」
「うわ、やっぱりODって量飲んでたのか。朱莉、目を開けてくれてからの帰り道もふらふらしててヤバかったもんなぁ。手は離してくれたけど、『いや、これやっぱ私が掴んどくべきなんじゃ』って怖かったんだよー」
「そうだったんだ。ありがとう。あの日のお陰で私だけでもコンビニ行ったりバス乗ってメンクリ通ったり出来るようになって、ほんと助かったんだよ」
「うん、そっか」

 私もあんな危なっかしいこと経験したお陰で、一気に自分だけで動ける範囲が広がったんだっけ。朱莉も私の家に来られるようになったしさ。相変わらずメンタルの具合はお互い酷いままだったけど、もしかしたら今って楽しいのかもなんて思えるようにさえなったんだっけ。本当にありがとう。うちら友達じゃないから、口に出しては言わないけどね。

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