【１】
　電車の窓から見える夕暮れ刻の空が､みるみるうちに黒い雲に覆われていく｡ 私はその様を冷めた顔で眺める｡ どうやらこの電車に乗ってるひと達のほとんどは､傘なんか持っていないみたいだ。
　隣に立っている会社員さんの口から､心底うんざりといった具合のため息が吐いて出た。取引きに失敗した帰り？ それともうんざりする様な類の無駄な会議に出席してきた帰り？どうでもいいけどご愁傷さまでした｡ せいぜい貴方の隣に立ってる女子大生と同じように､ずぶ濡れになりながら家へお帰りください｡あ､それとも､社会人らしくタクシーでも捕まえちゃうつもりですか｡ ふふっ｡ お好きにどうぞ｡ どうせ私や､さっきから私と手を繋ごうとしている同級生の男とは､関係のないことですから｡
　発車のベルがホームで鳴らされ電車のドアが閉まる｡ そして､いつも通り大袈裟にガタっと揺れてから電車は走り出した｡ もう慣れっこだし､今日の靴はヒールもろくに上がってないやつだ｡ 私は表情ひとつ変えないままで立っていた｡ 右手は吊り革､そして左手は空いたままだ｡ バッグの中のスマホに用はない｡ そんなのよりもこっち｡
　私は前を向いたまま顔つきもそのままで左腕を動かし､同級生くんの右手と恋人繋ぎをしてあげた｡ これがお望みだったんでしょう？どうやらそうだったらしい｡ 彼のほうも腕を回したときに少しびくっとしただけで､そのまま私の左手を握っている｡ こちらを見てくる素振りはない｡ 握る力を強めることも弱めることもしない｡ そして､私に話しかけようという気配もない｡ どうやら彼のほうも､電車に乗ってる一〇分と少しの間はこのままでいようと考えてるらしい｡ 好き､になれるかも同士｡このくらいが丁度いいんだろう｡ お互い､『絶対』には程遠い､軽い気持ちでしかない｡

【２】
　駅に着く直前､ギラッという強烈な光とともに大きな雷が窓に映った｡ だけど､私たちが恋人繋ぎのまま電車を降り改札を抜け駅の出入り口までやって来てもまだ､肝心の雨は降り出していなかった｡ 彼のアパートが私のそれと同じ方向にあるらしいことは､授業の被ってる日に何度もこの駅近辺で鉢合わせてるから分かっている｡ その方向は残念ながら､駅近コンビニとは真逆だ｡ ま､今更行ってもどうせ､ビニール傘のコーナーは空になっているだろう｡分かり切ってる｡ それじゃあどうする？ 駅前交差点の信号機が赤に変わったとき､ようやく彼が口を開いた｡
「で､どうしよっか？」
　ああ､これは本当に何にも考えがない聞き方だな｡ うんざり｡ 別にいいけど｡
「もう､ダメ元でこのまま帰っちゃおうよ｡ もしあなたの部屋が駅通りしばらく行ったあの､耳鼻科のとこにあるファミマより先だったらそこで傘買えばいいだろうし」
「ああ､そうしよっかな｡ まだあっちの方が望みありそうだし」
「でしょ？ 私の部屋は残念ながらもうちょっと手前の路地を入ってった辺りだから､無理なんだけどさ」
　さ､どうするの？…
　…なんてね｡ はぁ｡ 期待くらいさせろよ｡
「ま､ファミマまで天気が持つ保証なんかないけど｡ あ､また雷落ちた｡ さっさと行こ」
　私はそう言い､軽く速足になって青信号の方へ歩き出した｡ 彼も付いてくる｡ 当たり前か｡ 恋人繋ぎは相変わらずそのままになってるんだから｡

【３】
　ざアッ｡ 次の信号待ちをしている間に､雨は前置きを飛ばしていきなり激しく振り始めた｡だから､私たちは信号のところにある潰れたタバコ屋の屋根へと走って避難した｡ それから､もう､信号が赤から青に変わるのを四度見送った｡ 少し声を張るのが面倒だから？ それとも､こんな時になにをどう話したらいいのか迷うくらいの関係だから？ ともかく､私たち二人は何にも口を聞かないまま､手を解かずに土砂降りを眺めていた｡
　ぎラッ。ーーー｡ どすンッ｡ またひとつ雷が落ちた｡ それを合図にして､私は左腕を振り払った｡ もういいや｡
　信号が青になった横断歩道に向かって私は歩く｡ 前髪が一瞬で額に貼り付き､ブラジャーの中へ雨水が浸っていくのをはっきり感じる｡ありきたりなサイテー｡ 部屋に着いたらそのままシャワーに直行しよう｡ 横断歩道はまだ余裕で渡れるな｡ それじゃ､その前に｡
　私はタバコ屋の方を振り向く｡ 屋根の下には彼が相変わらず立っていた｡
「また木曜の１限のときね｡ じゃあね」
　軽く手を振りつつ大きな声でそう言うと､私はすぐに方向を戻して点滅をはじめた信号機の下を歩いていく｡ 今日は時間がなかったからメイクすごく適当で､そこだけは良かったな｡ リップもクリーム塗っただけだったし｡ 　そういえば､さっき『じゃあね』って言った時の私､どんな顔してた？ ちゃんと笑顔ができてた？ ま､今更どうでもいっか｡ 明日にはまた､予報どおりの晴れた空が広がっているんだろうから｡
　　　　　　　　　　　　　　　　　〔了〕