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オール・アイ・トーチ [9]

【4・①】
「明璃ちゃんの今のその髪色って―」
 10年振りくらいに見た彼女の髪はもう金髪じゃなくて、青味がかった薄い灰色をしていた。 韓国の女性アイドルがしそうなやつだ。「ああ。これ、そのまんまでブルーシルバーっていう色。そっか。あんた、ほんとに言ってた通りこっちには全然戻って来なかったから、私の髪色は金のイメージで止まってるのか」「うん、そうだね。高校の途中からあの色キープしてたし、 お気に入りなんだと思ってた」「ま、私も出来るならずっとあれ、プラチナブロンドでいたかったんだけどね。あの色、すっごい髪が痛んじゃうからさ」
 明璃ちゃんによると、25歳を過ぎた辺りから数年毎に黒かそれに近い色に『戻す』期間を作っているそうだ。それだって、今してるみたいな軽い内巻きパーマを当てるくらいでずっと黒ショートな私には未知の世界だけれど。
「朱莉も1回くらい色変えてみたら?次の仕事も、私が読モさせてもらってたタウン誌でほぼ決定な感じなんでしょ?ああいう業界ってその辺のルール甘そうだしさ」
「うん、考えとく。お勧めのお店とかあったら教えてね」
 明璃ちゃんは『お任せあれ』、なんて言いながらかつての通学路を歩いていく。ここの交差点は確か彼女にとって暗い記憶のある場所。だけど、今更それを気にはしてないみたい。

「よし、もうすぐ着くよ。どう? 覚悟はできてるかな?」
「覚悟ってそんな大袈裟な。もう大人だし、こんなのぜんぜん余裕だよ」
 嘘。ほんとは軽くドキドキしている。こうして2人の『あかり』であの中学に行くのなんて初めてのはずだし。

 私たちが1年とかそこらで行くのを止めた学校は、相変わらず中途半端に古びた校舎のままそこにあった。いつかの大地震の後で体育館は建て直したらしいけど、どのみちそこに何の思い出もない私には同じことだ。不自然に新しい信号機が青になり、私たちは校門に向けて進んでいく。
 ああ、やっぱり動悸はしちゃうか。隣にいる明璃は平然としてる風に見えるけど、この子はよっぽど感情が高まらないと顔に出ないタイプだからなあ。ふふっ。もうずっと会ってなかったのに、そういうのも忘れないもんなんだな。ちょっとおかしい。
「はい、到着っと。どうする? ま、平日だし授業中だからこれ以上は入れないか」

 そのとき、チャイムの音が鳴り響いた。各教室の椅子を引く音が合わさって聞こえてくる。朱莉の肩がぶるっと震え、左目から一筋の涙が頬を伝った。明璃は正面を向いたまま、繋いでいる手に力を込めた。
「ありがと、明璃。やっぱり無理だったみたい。なんか悔しいな」
 治らないんだなあ。なにかの場面が襲ってくることはないけれど、全身が『嫌だ』、 と訴えかけている。もしも今後仕事で…ううん。考えないでおこう。私だってもう大人だ。今日は失敗したけど、上手い逃げ方なら他にいくつも知っている。だから…

「大丈夫だよ。どうにかやってけるって。あたしがずーっとこの街で生きてこられたのがその証明」
「そうだね。明璃ちゃん以上に強力な証明なんてないよね。ありがとう」

 頼もしい言葉を掛けてくれながらも、明璃の表情は真顔へ強引に微笑みを貼り付けたみたいな歪んだ様子をしている。そっか。そうだよね。
「ねえ明璃。グラウンド裏の土手まで上ってみない? 確か、いわゆる陽キャな子たちが放課後とかよく行ってたでしょ」
「ふっ、陽キャって。うちらそんなのとは今でも無縁だけど、いいよ。行こっか」

【4・❷】
 土手からは、もう20年くらい前に自分と朱莉の逃げ出してきた校舎が見渡せる。外で体育をしてる組もないらしく、まるで時間が止まってるみたい。落ち着かないな。逃げて以来どうにかこうにか塗り固めてきたものが全部『ざーんねーんでーしたーっ‼』、って引き剥がされてく気がする。違うのにね、朱莉。あなたも私も、信じられないくらい先へ進んで行って、それで、今いるここまで来られたんだよね。どこで見た言葉だか忘れたけど、うちら、ほんとによくやってるよ。

「ねえ明璃、ちゃん」
「ん?なに?」
「えと、なんだっけ。そうだ。上手く言えないけど、いいな、って思ったの。こう、サイテーだけどいいなあ、って」
「あははっ、なにそれ。おもしろい」

 今日は七分丈のカーディガンを着ているから、手に近いところのリスカ痕は丸見えだ。もう随分色は薄くなってきてるし、新しく傷を作ることだって滅多にしない。そう、滅多に、ね。ここに来るまでの道で朱莉に聞いたら、彼女も『ま、たまーにやっちゃうよね。こう、大量にぐいーっと、さ』、なんて笑ってた。メンクリ通いも3カ月に1度のペースで続けてるんだって。私も一緒だ。そう、私たちは逃げ切れてもいないし治ってもいない。それが現実だ。
 で、だからどうしたっていうのかな。いいじゃん。須坂朱莉も江藤明璃も、自分なりに色んなものをごてごて貼り付けた『灯り』を点せている。何にも知らないひとからしたらそれはグロテスクな光なんだろうけど、構うもんか。あんたの見てるそれが私なんだよ。

「じゃ、そろそろ行こっか」
 私たちは手を繋ぎ直し、歩き始めた。


【了】


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