見出し画像

オール・アイ・トーチ [6]

【3・➀】
 午前5時20分、朱莉は目を覚ました。

 机の上には大学入試用の問題集が数冊置きっ放しになっている。勉強することだらけで、この壊れた頭の容量はもういっぱいになってるだろう。そのくせ、ここのところ朱莉の気持ちはすっとしていた。彼女はいつの頃からか心配も不安も『そんなもんでしょ』、と割り切って考えられるようになっていた。そりゃあ病院でもらう薬も減るよね。自分の事をすっかり元気なんていう風には思わない。ODする回数はかなり減ってるし、引き出しの中に常備してるクスリの在庫だって全盛期と比べたら減ったけどさ。成長? よく分かんないし実感もない。ともかく、事実としてあたしは後ひと月もしない内に19歳になんかなっちゃう。ほんと夢みたいだ。
 部屋の赤いカーテンと窓を開けると、すぐ先には見慣れた黄緑色のカーテンが見えた。今朝も机のところの灯りは点いてる。おはよう、明璃ちゃん。

 私たちはこの3月に2人して同じ通信制高校を、同じ様に進路をきちんと決められないままで卒業していた。通うのは基本週1だったし通学から下校まで一緒にいてばかりの私たちには、学校の外でも付き合う様な友達が ついに出来なかった。
 ううん。「私たちには」は違う。明璃ちゃんのほうはよく年上の同級生と喋ってたしその人たちと遊んだりもしてた。どうやらあの綺麗系な見た目が受けたみたいだった。まあ、ちゃんとした彼氏さんは一度も出来なかったけど。私がいたせい? かもね。けどさ、高身長なうえに腕はリスカ痕だらけ、おまけに高2春から髪色はプラチナブロンド。そりゃあなかなか近付く気にはなれないよ。私だってさ、そんな明璃ちゃんとばっかり一緒にいたせいで友達や彼氏が作れなかったんだよ。おあいこでしょ? ね?

 うちらこれからどうしよっか。あたしはもうこの街にいるの嫌だし、独りで勉強する環境が合ってて成績はよかった。だから、このまま受験勉強してれば順当に東京近辺にあるどっかの大学には入れるだろう。そもそも去年の内に進学するって決めとけば、今頃は私すんなり大学生してたんだろうな。明璃ちゃん、あなたもこの前聞いてきたよね。
「朱莉ってなんで大学行かなかったの?」
 ってさ。なんでだろ?私もわかんない。なんで私、明璃ちゃんがどうするのか決めるまでは自分も決めちゃいけないなんて思ってるんだろう?おかしいね。

 黄緑色のカーテンが開いて、私の部屋のも開いてるのを見付けた明璃ちゃんが窓を開け手を振ってきた。私も同じようにして振り返す。いつからかずっとそうしてきた様に。

【3・❷】
 午前2時30分。携帯電話のアラームが鳴り、明璃はベッドから起き上がった。

 これは目覚ましじゃなく、『今夜もやっぱり眠れませんでした』の合図だ。明璃は、はぁ、と軽いため息を吐きながら机のところのライトを点けた。机には処方されている睡眠薬や抗鬱薬の束と水の入ったカップが置いてある。こんな沢山あるとまるで朱莉のとこみたい。笑えない。

 薬の数が増えたのは全部のテストやレポート提出を済ませ、高卒が確定してからだ。明璃は高校を出たあとどうするかをできるだけ考えないように最後の1年を過ごしてきた。大した努力をせずとも毎回好成績を出していた朱莉は、1浪してどこか他所の大学へ進むだろう。この街にあるのは工業系の大学が1つだけ。彼女がそんなとこに興味ないのは、いつも一緒にいたからよく分かっていた。
 朱莉はこの街を出ていく。そうしてきっと東京辺りにある大学に入り、そのまま向こうの会社とかへ就職するだろう。お決まりの人生コースだ。ひきこもり歴やOD中毒歴があったって関係ない。ここ数年、有名女優さんとか売れっ子芸人とかの鬱病休業や鬱カミングアウト連発をきっかけにして、世間はすっかりメンヘラ人間がいて当たり前な場所になっちゃっている。朱莉はかなり頭がいいし、すんなり「普通」に戻っていけるだろう。そういや、いつだったかあの子にそんな話をしたら『明璃ちゃんは自分下げし過ぎだよ』、なんて真面目な顔で返されたっけ。

 うん、分かってるよ。私だってそう成績が悪かったわけじゃない。サボり以外が原因の補習とは無縁だったしさ。気持ちが決まってれば、きっと、難なく大学生や高卒の社会人になれてたんだろうね。でも駄目なんだ。私さ、本当にこの先何をどうしてったらいいのか何にも考えられないんだよ。今通ってる精神科のカウンセラーさんからも、『あんまり考えないで勉強でもアルバイトでもいいから始めてみたらいかがですか。そうすることで何か気持ちにも変化が出てきてくれるかも知れないですし』なんて諭されてきたばっかりだ。
 分かってる。よーく分かってますよ。だけど、そのくせしてこうして馬鹿みたいに動けないのっ。前向きなこと考えようとするとすぐに気分がぐらぐらしてきて、動悸も激しくなってきて、なんにもわかんなくなるんだよっ。畜生、何なんだよこれ。出てこいッ。あたし速攻でぶち壊してみせるからさ、分かりやすく少年マンガのボスキャラみたいにしてここに、いま、でてこいッ‼

 しーんとしてる。現実は、あたしが自分の部屋の机の前に立って、飲むべきクスリ見ながらぼろぼろ涙をこぼしてるだけだからね。なにしてんだろ、私。なにがしたいんだろ、私。迷ってばっかりだ。メンタルの具合は飲むクスリの量が倍近くに増えちゃうまで悪化してる。それに、相変わらずリスカだって止められない。今も切っちゃってる。サイテーだよ。朱莉、あんたがあたし見捨ててどっか行ってくれたら変われるのかな? ううん。関係ないよね。だってうちら、友達同士でも何でもないもんね。だからほんとはもう、お互いの事なんか「どうだっていい」にしなくちゃいけないんだよね。
 明璃は血が止まったばかりの傷口に大きめの絆創膏を貼ると、17錠のクスリを一気に飲み込んだ。そうしたからって必ず落ち着いて眠くもなれるわけじゃあない。言えばもっと沢山のクスリ、それか強いクスリを貰えたりするのかな。ふふっ。そうなったらあたし、完全に一時期の朱莉だよね。中3の頃とかほんとヤバい量飲んでたもんなぁ、あの子。『なんかもうわけわっかんなーい』
 とか言ってさ。あ、そっか。いつの間にか私と朱莉、立場が逆転しちゃってるんだ。ねえ、それなら教えてよ。一番ヤバかった時には朱莉、何がそんなに、『わっかんなーい』だったの?
 カーテンの隙間から須坂家の方を覗いてみると、濃いピンク色をしたカーテンの奥に灯りは点っていなかった。そっか。じゃあいいよ。私、自分であれこれ考えてみる。気持ちがおかしくなってきたらまた切ればいいだけだもん。全然平気だよ。

 明璃はいつかの曇った朝の通学路を思い出していた。満場一致での、消えて。『だからもう学校来ないで。消えて』、と告げる冷たい 声。私はあれに従ってまともでいることを止めたんだったよね。懐かしい。あの時の私がもし、今と同じ金髪でリスカ痕だらけのデカい女だったらどうしてたんだろう? きっと、その場でアンケート用紙を破って、それを突き出してきたあいつに迫って、『は? 何ふざけてんの?』なんて吐き棄てるんだろうな。そういうの出来るくらいには強くなっちゃたしさ、あたし。自分等とは違う方向に荒れた経験のあるひと達と仲良くなって、私、変わったんだよ。こういうのを吹っ切れたって言うんだろうな。よかった。
 ううん。よかったのに、私まだ、朱莉と一緒にいる。あの子はもう、いかにも受験生っていう参考書や問題集の並んだ濃いピンクの部屋で次に向かう支度を始めている。相変わらず散らかった薄いグリーンの部屋にいる私は、どうやらリスカもODも一手に引き受けちゃったみたい。悪い者探しして、それが何になるのかな。あたしはもうあの子、ううん、あの女のことなんかどうでもいい。そう思うことにしてるんだよ。
 朱莉、あんたは自分をいじめてきた奴等を今もまだ許してなかったりするの? 私は何だかさ、あれくらい大したことじゃなかったみたいな気がしちゃってるんだ。あたしにはもともと学校生活から外されちゃう資質があって、きっかけは何でもよかった。今ではそう思ってるの。たまたまつまんないリーダー気取りのあいつがあのタイミングで仕掛けてきてくれたっていうだけ。あれがなかったら私、今頃はもしかしたら不幸せなシングルマザーでもしてたかも知れないし女子少年院に送致されてそこで服役生活してたかも知れない。あたしとあいつ、ううん、あの子が逆でもおかしくなかったし、そうだったらもっとヤバいことしでかしてたんじゃないのかな。現実にはその衝動が自分に向かって自傷癖になっちゃった、というわけ。いじめた奴が悪い。それはそう思う。だけど、もうどうでもいいよ。好きにして。こっちはこっちで楽しくやるから。
 楽しく? ほんとにそんなこと出来る? うるさいなあ。もう黙ってよ。

 明璃はベッドにもたれ、シーツや布団をどけてからさっき作ったリスカの痕に爪を立てた。血が流れ出して床に小さな円を作る。彼女はそれをぼんやりと眺めていた。ねえ朱莉、今でもあんたと一緒にいるから私、こんな風にどうでもいいこと思い出したり考えたりしちゃうのかな。朱莉もきっと、自分が登校拒否組入りするきっかけになったいじめの事なんてもうどうとも思えなくなっちゃってるんでしょ? あれは誰誰のせい、とかじゃなく、ただ起こっちゃったこと。そう思うようになっちゃっているんでしょう? ねえ、聞かせて。やっぱいいや。だけど、何でもいいから声聞きたい。聞かせて。

 いつの間にか外も明るくなってきていた。そこで明璃がカーテンを開けると、朱莉の部屋のものも同じように開いていた。窓辺には朱莉の姿も見える。明璃は窓を開け、朱莉の方へ向けて手を振った。気付いた朱莉も手を振り返してくる。中学の頃から変わらない、お互いが『大丈夫な日』の朝だ。明璃は自分の携帯電話を手に取った。
「おはよう、朱莉」
「うん。おはよう、明璃ちゃん」
「私、今日も寝れなかったから色々考えてたんだけどさ、このまま話してもいい?」
「うん、いいよ」

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

95,221件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?