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わたしにとっての「デザイン」の定義と、そこから生まれた「Dexign」という言葉

「デザインって、一体なんですか?」
そう聞かれて、あなたならどう答えますか?

こんにちは、タムカイです。

普段は、そう見えないと言われつつ会社員として働いております。
むしろ、ラクガキの講座を開催したり、グラフィックレコーディングをしてみたり、複業メインのギルド型組織を作ったり、最近は組織変革に関わったり、一体何をやってる人かよく分からない(むしろ分かるのはいつも着てる水玉シャツだけ)と言われることの方が多いのですが、「あなたは何者であるか?」と問われて、コアにあるのは「デザイナー」だとずっと思っています。

ただこの「デザイン」という言葉、流行りも本質も含めて様々な使われ方をされているのも事実。
そこであらためて自分自身の初心に立ち戻るとともに、わたしにとっての「デザイン」とは何か、そこから生まれた「Dexign」という言葉について伝えたいと思い、この記事を書いてみることにしました。

デザインとの出会い、デザインの道へ

ちょっと長いのですが、自己紹介がてらわたしとデザインの関係から。

彫刻家の父と陶芸家の母の元に生まれ、「創る」ということが日常にありました。そんな両親を見ていたこともあり、物心ついた時には「何かを作りたい、芸術家になりたい!」と言っていました。

そんなわたしが「デザイン」の道に進もうと思ったのは、美大受験のコース選択時に母親から「芸術はお金にならないから、デザインにしたほうがいいと思うよ(笑)」と言われたこと。
冗談のような話ですが、最初はそんなことがきっかけでした。

その頃の自分にとっての「デザイン」とは、いわゆる「オシャレなモノ」
住んでいたのが古い日本家屋だったので「自分の部屋」への強い憧れがあり、雑誌で特集されるオシャレインテリア特集を貪るように読みながら、「いつかはこんな部屋で暮らしたい。なんならそこに置くソファやテーブルを自分で”デザイン”したい!」などと、今考えるとお恥ずかしい話ですがそんなことを考えていました。

紆余曲折などもあり、大学ではインダストリアルデザインのコースに進んだのですが、ここでデザインとは造形以上に「なぜそれが必要か、ユーザーは誰であるか、コンセプトはなんであるか」など、モノを創る前段階の意図・設計が重要であること叩き込まれました。
その後の自分のデザインの基礎はこの頃に作られたのだと思います。

デザインの日本語訳として「意匠」という言葉が用いられますが、企画意図や設計にあたる「意」と、アウトプットのクオリティや技にあたる「匠」が組み合わさっているという話を聞いたのも大学生の頃でした。

大学卒業後、メーカーでインハウスデザイナーとして働き始めるのですが、こちらでは一転して「匠」を求められる日々が続きました。もちろん、これにもやりがいがあり、自分の作ったものが世に出ていくことに興奮を覚えることもありました。

一方で「なぜこれが必要なのだろうか?」と疑問を感じることもゼロではありませんでした。会社のビジネスという枠組みの中で、この質問が許されない現場を経験したことも正直あります。(もちろん、今ならそれにはその理由があるのだろうということも分かります。)
であれば、本当に必要なものはこういうものだと思うからやってみよう!と動いたこともありましたが、理想と正論だけでは難しく、ビジネスや組織構造など観点がなければ会社を動かすことは難しいという現実を知りました。

ただ幸いにして、この経験からデザインをする上で、今の自分に見えている以上の全体像を意識する必要があることが理解できるようになりました。
また、この頃から「モノ」を作ることよりも、もっと大きな仕組みやビジネスや、それを遂行するための組織というものを「デザインしたい」と考えるようになりました。

その後あるきっかけから、会社に籍は起きつつプライベートで社外へ飛び出し、個人活動を通して人とつながり、つながりをきっかけにお仕事をいただくようになり、仕事が一人のキャパシティを超えたため組織を作り、組織ができたらこれをよりよい状態にする、ということを実践してきました。
そんなわたしの活動のコアにあったのは、他でもないわたしにとっての「デザイン」という概念でした。

そしていま現在、自分自身のパーパス「世界の創造性のレベルを1つあげる」のために、ここまでの自分の経験をあらためて活かしたいと考え、「人と組織に寄り添い、変革の仕掛けと仕組みをデザインするデザイナー」として自社の全社変革プロジェクトに自ら希望して参画しています。

全社変革の中での「デザイン」

「デザイン思考」という言葉に注目が集まる中で、自社プロジェクトでも「変革の物語をデザインする」という言葉がキーワードになりました。
これまで様々な現場で活躍していた人たちが集められたプロジェクトチームのメンバーは「DXデザイナー」を名乗ることになりました。

ただ当初、プロジェクトメンバーからは「いきなり『デザイナー』と言われても、自分にはセンスがあるように感じないし、資料もきれいにつくれないし…」という正直な気持ちを聞くこともありました。

そんな中、メンバーの一人から言われたのが次のような内容です。

「そもそも『デザイン』ってなんですか?今話している『デザイン』がきれいな資料とかそういうものではないのは分かります。ただ、過去にも同じような質問を別のデザイナーの方にしたのですが、いまいち要領を得なくて……」

この言葉への回答として、わたしがわたしなりに「デザイン」を定義して、作ったのがこちらの資料です。

デザインとは

メインのテキストの部分だけを抜き出すと以下になります。

知性と感性による俯瞰的な視点から
そこにある問題(状態)を認識し
人を起点に考えることから
解くべき課題(タスクの集合体)を設定し
よりよい状態になるための
思考・概念の仕組み(全体像)を
既存のやり方に捉われずに発想し
小さな実践と検証を繰り返すことで
様々な媒体を用いた施策を創り出し提供すること

この定義に対して、「あなたがはじめて『デザイン』を言葉で伝えてくれたデザイナーです」と言ってもらえたこと、そしてこれがあることで、メンバーがそれまで持っていた「デザイン」というある種思い込みの枠を越えた対話のきっかけになり、プロジェクトの歯車が噛み合ったことを感じました。

わたしにとっての「デザイン」の定義

中身について、もう少しだけ補足をしつつ内容を解説していきます。

知性と感性による俯瞰的な視点から
デザイン思考は論理的思考の対立概念ではない

世間には「ロジカルシンキング」と「デザインシンキング」を対比する論説があったり、わたし自身が面と向かって「あなたは感性の人かもしれないですが、わたしはロジカルシンキングの人なので」と言われた経験もあったりするのですが、これらは決して対比・対立するものではないと考えています。
すぐれた「デザイン」のためには、様々な知識や論理的な一貫性が必要ですし、それらをどう解釈し組み合わせるかには感性が必要です。
その両方を使って行うのは、前提を疑いながら全体を俯瞰的に見ること、これが「デザイン」のスタートになります。

そこにある問題(状態)を認識し
地球資源の問題など、「今の当たり前」が、実は大きな問題という可能性を忘れない

「問題」が「問題」として存在している状況は実は稀です。
もしすぐに問題として認識できるとしたら、それは「今はまだ解決しようのない問題」であることがほとんどです(「人口減少」「環境問題」など、子供でも分かるようなものがこれにあたる)。

一方で、「今は何とも思っていない当たり前の状態」が実は大きな問題である可能性もあります。
例えば環境問題であれば、それまでは当たり前に行っていた採掘や排出を原因として、地球温暖化や公害といった悪い結果が発生しました。この場合の「問題」は「地球温暖化や公害」ではなく、「そのような結果を引き起こしてしまう採掘や排出、あるいはそれが必要とされる構造」のほうです。

人を起点に考えることから
「人」が「誰」のことかを設定することも重要、その相手への共感からインサイトを発掘する

デザイン思考の文脈でもユーザーへの「共感」が大切だと解説されますが、デザインする我々自身が人であり、また様々な状況を知覚しているのも人であることは事実です。
そんな「人」が感じているけれどまだ言葉になっていない「気づき・インサイト」を発掘することが、本質的な問いにたどり着くための道だと考えています。
また、わたし自身はあえてここで「人を中心に」ではなく「人を起点に」という言葉を使うようになりました。全体性に思いをはせるほどに、「人」もまた「大きな環境の一部」であるということを意識する必要があると考えているからです。

解くべき課題(タスクの集合体)を設定し
常に「最上位の目的は何か」と問い続ける姿勢が必要

まだ言葉になっていなかったインサイトから「問題」が見つかれば、次はそれを解決するための「課題」に落とし込んでいきます。
その際に必要なのは、本当に大切な「最上位の目的」は何かを問い続けることです。細部は目に見えやすくついこだわってしまいがちですが、俯瞰的な視点はここでも重要になります。入り込みつつ、時折引いてみることが必要になります。

よりよい状態になるための
非連続な未来、「人」にとっての最高のエクスペリエンス、「今」のみではなく持続可能な仕組み
思考・概念の仕組み(全体像)を
近視眼的な部分のみではなく様々な要素の全体系を考える(システム思考)
既存のやり方に捉われずに発想し
「非連続な未来」に向かうためには、時に今の常識を超える必要がある

資料上は改行の都合もあったこの3行はまとめます。

「よりよい状態」は、例えば馬車しかなかった時代から車の時代になったように、今の常識の外側にある可能性があります。あるいは、これまででもなんとかなっていた問題を、思いもよらなかった方法で解決できるという可能性もあります。
いずれにせよ、自らが、多くの場合無意識に入り込んでしまっている枠(バイアス)に囚われず考えること、英語でいうところの「think out of the box」が必要になります。

またこの時、短期的な対処ではなく状況や時間を越えた様々なモノ・コトのつながりを考えることが必要になります。もちろん、すべてを考え切ることは不可能ですが、これまで何度も我々が踏んでしまった同じ徹を、繰り返し踏まない努力はできるはずです。

小さな実践と検証を繰り返すことで
机上の計画ではなく実践から発見し学ぶ姿勢を持つ、そのために失敗を許容する

この部分は自分自身への言い聞かせも含んでいるのですが、実際のところ教科書で学べるものはとても少なくて、やってみた経験・実践こそがなによりの学びになると考えています。
なにもしないで「どうせ無理でしょう」と案だけを積み重ねるのか、「これでうまくいくかもしれない」と覚悟を決めて実際にやってみて、そこからの学びを生かすのか、それはすべて意志の力だと思っています。
ここまでの思索があるからこそ、何も考えずにただやってみるのではなく、意味のある挑戦につながるはずです。

様々な媒体を用いた施策を創り出し提供すること
デザインとは色・形だけでなはく、ユーザーを取り巻くあらゆる仕組みが対象となる(サービスデザイン)
また、それらがどう届けられるか(デリバリー)はとても重要な要素になる。

色・形を指しての「デザイン」という認識は根強く残っているものの、「サービスデザイン」など、それだけではないということが語られるようになったことも事実です。
ここまでの定義をベースにすると、ワークショップのようなものや、組織のあり方を考えることも「デザイン」と言えることがわかっていただけるのではないしょうか?

また、さらにここに1つ付け加えて「どう届けるか」まで考えることも、これからのデザインでは重要になってくると考えています。
「いいものさえ作れば届く時代は終わった」などと言われたりもしますが「ちゃんと届いてこそいいものである」というのもまた真であるはずです。これこそがこれからの「神は細部に宿る」なのではないかと思うのです。

「Design」から「Dexign」へ

あくまで、この「デザインの定義」はわたし自身のものであり、「こういう考え方もあるのでは?」という意見もあることは理解しています。

また「すべての人がデザイナーであるべき」という乱暴な主張をするつもりはないのですが、少なくとも現状の「一部の専門家のもの」という状態から、「デザイン」の門戸が開かれ、みなが語り合える状態になればいいな、とそんなことを考えています。
そしてこれは「デザイン」という分野に限らない話だとも感じています。

それでも、自分自身の譲れないメッセージを伝えるために「Dexign」という言葉をデザインしました。

「Dexign」に込めた想いは大きく2つです。

1つは、「design」の語源でもある「計画を記号(sign)に表す」というところから、もっと大きな意味で「体験(experience)」を意識したいという想いから。これは同時に、目に見える/手に取れるアウトプットを「デザイン」と呼ぶことからの脱却が必要である、という考えからでもあります。

もう1つは、「知性と感性」「逸脱と統合」など、一見すると異質なものを掛け合わせる(x)ことに、新たな価値を生み出すヒントがあることを意識すること。これは「イノベーションとは新結合である」という言葉にもつながるものです。

こんなことを考えながら、ここ数年は「人と組織に寄り添い、変革の仕掛けと仕組みをデザイン」しています。

様々な人の様々な解釈をきっかけにして「デザイン」について対話できる世界になれば、そんなことを考えています。

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