運転してたら笑われた

医療系の研究施設で働いている。給料はあまりよくない。お掃除系の会社からの出向だからだ。それでも通勤用だが車を所有している。休みの日にはドライブなんかもしているわけだ。

趣味はドライブ。そう言っても嘘にはならないだろう。目的地はどこでもいい。走ることが好きなのだ。けれどもそれ以上に車内の雰囲気に惹かれている。

公共の道路の中にある密閉されたプライベート空間。それは人混み溢れる遊園地の観覧車とよく似ている。内と外のギャップが大きければ大きいほど、そこは得も言われぬ場所となるのだ。

どしゃぶりの雨の中を傘をさして歩くのも好きだが、それも同じことだろう。真冬のこたつや布団。真夏のクーラーで冷え過ぎた部屋。そこで得られる居心地の良さは、車からも得られると思っている。

「ちょっと本屋までつきあって」。それは友達をドライブに誘うお決まりの文言だ。行き先が本屋なわけがない。それは彼も気付いてる。今日は何処に連れていかれるのだろうか。それすらも僕に聞くことはなくなった。

車に乗せてしまえばこっちのもの。ある日は県を超えて牛の放牧場まで行ってみた。またある日は人が溢れかえるスクランブル交差点を横切っても見た。現地で降車はしない。ただただ内と外のギャップを楽しむのだ。

もちろん1人でもドライブはする。むしろ1人の方が多い。県内の有名なドライブコースは全て走破した。地図を見て気になるところもだ。

1人のときは輪をかけて降車しない。食べ物の補給とトイレ休憩のコンビニだけが外に出る唯一のとき。「週末はどこか行った?」。仕事場でそう聞かれても説明がめんどくさいので内緒にしている。

話は変わるが、所属している草野球チームでは呑み会も多い。その後はカラオケへ流れることもしばしば。それが嫌だった。そう、ぼくは音痴なのだ。そんなときは幹事の特権も通用しない。ボーリングや卓球の流れにもっていきたいが、毎回は無理なのである。

それでは歌うのは嫌いかというと、実はそうでもない。車の中で1人で歌うのは好きなのだ。おそらくくだらないプライドのせいなのであろう。人前で下手くそを披露するのが嫌いなだけなのである。

車の中はいい。最初は練習のためだった。自分の下手くそっぷりに赤面してしまったが、すぐに慣れた。音程がずれようが関係ない。高音がかすれたっていい。誰もいないのだから。

口笛も上手くなった。声量も上がったと思う。対向車の運転手に笑われたこともあった。それでもいい。おそらく2度と会わないのだから。あるとき自分の歌声をスマホで録音してみた。上手くはないが死ぬほどの音痴ではなかった。下手くそレベルまでは上がれたらしい。

けれども今更人前で歌いたい気持ちはない。墓場まで持っていくつもりだ。本当に好きなものは誰に知られなくても構わないのである。たとえ明日、僕以外の人類が世界から消えさっても、僕はドライブに出かけて車内では歌を歌うだろう。好きなものってのは、そういうものだと思ってる。

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