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「映画日記#3」〜クリストファー・ノーランの沼にハマる〜オッペンハイマー

あ、完全にやってしまった。
映画開始から数分、完全に僕は映画から取り残されてしまった。

その昔、ただ有名な絵を見るというだけで、美術館巡りをしたことがある。
それなりに感動はしたものの、本当の意味での理解はして
いなかったことに後々気付いたことがある。
制作に至る背景や技術、美術館の成り立ちなどを
下調べしてから改めて作品に向き合うと全く違う魅力を感じることがある。

そう、これはそういう種類の映画なのだ。

昨年の夏からワクワクとノーランの新作を楽しみにしていた。
だから、なるべく情報をシャットダウンして意気揚々と出掛けた。

ノーランは分かりやすい監督ではない。
作品の背景を丁寧に説明するタイプではなく、
観客の理性や判断にゆだねる部分がある。
何度でも見たくなる中毒性もそこに由来している。

しかし僕は、そして大多数の日本人はオッペンハイマーの映画を
取り巻く背景を教養として持っていない。
たとえばごくごく普通に暮らしてきたアメリカ人が
明治維新を取り巻く複雑な政治劇を題材にした映画を見にいって
理解できるだろうか。
圧倒的な映像美があろうとやはり難しいと思う。
これはそういう映画。

そして素晴らしい映画

だからこそ、僕はこれからこの映画を見に行こうと思っている人には
ある程度準備してから見に行くことを強くお勧めします。
個人的な見解だけど。

で、ここからが本題です。
ネタバレというほどではないですが、
映画の構成や時代背景などに触れていきます。

まずこの映画、極めてノーランらしい時系列がバラバラに展開されている。
映画の大部分を占めるカラーパートとモノクロのパートがあるんだけど、
モノクロパートがある特定の時代を表しているかというとそうではない。
僕はまずここで取り残されてしまった。

カラーパートはオッペンハイマー本人の視点。
そして、モノクロパートはロバート・ダウニー・Jr演ずるストローズを
中心とした第3者の視点のようです。

基本的にはこの映画は以下の3つのパートと考えていいと思う
1.狭い部屋開かれる聴聞会(1954年) 
 オッペンハイマーが赤狩りの時代にソ連のスパイではないかと疑われている。
 聴聞会の理由はオッペンハイマーの国家機密へのアクセス権更新を認めるか。
 尋問を受けているような場面。非公開で開催されている。
2.ストロークに対する公聴会(1959年)
 ストロークの商務長官就任がふさわしいかの公聴会。
 こちらは広い部屋で大勢からの質疑応答を受ける形式。
 基本的には就任前のセレモニーのようなものだと思われ、ストロークも
 そのような認識でいたと思われる。公開形式。
3.過去パート
 オッペンハイマーの原爆開発に至るまでの大学時代から原爆開発前後まで。
 映画としてはこのパートが一番長いと思う。

1.2.がある意味現在視点で3.が過去という感じ。
モノクロパートは2.が中心と思っておけば間違いがないと思います。

場面転換早いので、上の3つのパートを理解しておくと周回遅れには
ならないんではないだろうか。丁寧に今はXX年なんて字幕は出てこない。
だって、ノーランだから。
さらに歴史的背景で言えば戦前戦後にアメリカで共産主義は一定の組織力が
あったということを認識しておけばより理解は深まると思います。

もう一つはとにかく登場人物が多いこと。
これも丁寧な説明はないので、西洋人の顔の見分けが苦手な人は
解説をインターネットで調べてから出掛けることをお勧めします、、、

日本で公開すべきか、広島・長崎の扱いが軽いのではないか
という議論が出ていましたが、僕はあまり感じませんでした。
一人の科学者が原子爆弾という神の領域に足を踏み入れてしまった
後悔や苦悩という形でしっかりと描かれていたと思う。

くどいようですが、見終わった後スッキリとする映画ではないし
物語の起承転結がある映画でもないです。
しかし、演技・音楽・構成などはしっかりとエンターテイメントとして
昇華されていると思う。難解な映画ではないけれど予備知識を持って
鑑賞するとより映画に没入できる。

今回は鑑賞のアプローチちょっと間違ったかな、と思った映画でした。
なので、もう1回見ようかなって思っています。

あ〜どっぷり沼にハマった感じ!


  



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