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人生なんてどう転ぼうが幸せで不幸だ。(冬は冬眠の季節らしいよ)

人生なんてどう転ぼうが幸せで不幸だ、
ふとそんなことを思う2024年初頭の僕の現在(いま)。

生きてるだけで丸儲けとかいってみたりするが、生きてるだけで大怪我だし、全然痛い。心も身体も歳を取るたびに痛くなってゆく、でもその分幸せって奴を享受できている気もする。アンテナがキー局だけじゃなくてローカル局にも反応するようになった感じがする。

どう転ぼうが、僕らの人生なんて幸せだし、それなら不幸。不幸なら、幸せだったりするのだ、表裏一体なんていう単純なものじゃない、言葉でなんて説明できない。説明できたなら人生はどれだけ簡単だろうか。



息をする。


最近は起きれない、なぜか布団が僕を離してくれないのだ。別に布団とずっと抱き合っていたいわけではない。いや抱き合っていたいか。
血圧が低いのか、でもみんな辛いそうだから、冬はいっそ1限を休講にするべきなんだ。冬の1限なんて、常識的に無理じゃないのか?
普通に考えて、動物は冬眠するのになぜ我々人間は冬までも動き続け、働き続けなければいけないのだろうか。ふざけんなこの世界を作ったお前ら。


ということで、明日は授業に行こうと思う。行く方が楽なんだ、サボる方がよっぽどきつい。罪悪感とかではない、そんな領域はとっくに飛び越えている。


いろんなことがある。出会いと別れは春だけにとどまってくれない。日々、誰かと出会い誰かと別れている、世界はそういうふうにできている。そういうふうに回っている。今日もどこかであの人とあの人が出会い、あの子とあの子が別れている。その振動で地球はまわる。そして太陽が近づき、月が遠ざかる。まるで奇跡、そんな言葉で覆いきれない壮大さ、切ない刹那に心躍らせて、今日も僕らは生きる。美しい一瞬のために、安定したものを捨てる人々、安寧のために、儚い瞬間を捨てる人々、そのどれもが美しい。

楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、その全て。
それが全て、それが答え。

生きている。
今日も明日も変わらず、たいしたことはないけれど、
たまの狂気的な勇気を恐れるな、それはきっと人生を照らす太陽、冬にさす光。

人生はどこへ行ったっていい、何をしたっていい、好きなようにしたらいい、
好きなようにするとかあまちゃんなこと、、、とかいう輩はそのままにしておこうじゃないか。そいつらが社会を支えてくれているから、変わってもらっては困るんだ。


そんな感じ雑多な日記、雑炊みたい。あああの人のすき焼きが食べたい。高級料理なんて要らない。汚さは美しさ。お腹が空くことで生きている。


浅ましく生きてやろうと思う。好きに生きて




田村シュンス







あなたがファッキン幸せでありますように