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コロナで奪われた青春にわたしなら絶対に折り合いをつけられなかった

コロナ禍のなか、たくさんのイベントや大会が中止になった。
オリンピックという世界的な大会はもちろん、
甲子園、春高、他にも数え切れないほどの多くの学生たちが青春をかけて目指していたものがなくなってしまった。
延期をしたところで卒業してしまうひともいるわけで、彼らが救われるような代案なんてないだろう。

吹奏楽コンクールもそのひとつ。
わたしは中学の途中から高校まで、吹奏楽部に所属していた。
高校には部活するために行っていたと言ってもいい。

定期演奏会
合同演奏会
学校行事での演奏
アンサンブルコンテンスト
などなど、運動部の大会や練習試合に引けを取らないぐらいイベントが多かった。

その中でも、吹奏楽の甲子園と呼ばれる、
当時は、普門館を目指していた。
全日本吹奏楽コンクールだ。
あの黒塗りの高貴なステージに立つこと、
そして最高賞である金賞を取ることを目標にして
お盆や正月以外はほぼ毎日練習した。
部活のメンバーとは家族よりもずっとずっとたくさんの時間を過ごしたし、喜怒哀楽を共にした。

今年はその吹奏楽コンクールがなくなった。
そのニュースを見て、
なんとも言えない気持ちになった。
今でも上手く言葉にできない。
かわいそうという感情とも違う。

実は今年、
母校が21世紀枠で春の甲子園に出場予定だった。
あの爽やかな青のユニフォームが見れること、
甲子園の地で吹奏楽部のサウンドが響くこと、
すごく楽しみだった。
多分多くのOBOGが楽しみにしてた。

とにかくコロナのせいでたくさんの夢や生きがいが奪われたと思う。
わたしがその立場だったとしたら、
「仕方がないよね、コロナだもん」
とは絶対に割り切れなかった。絶対に。

私の高校3年間はとにかく
「全国に行って金賞」
これだけが目標で生きがいで青春の全てだった。

結果的に
全国大会に出場できて、
しかもまさかの大トリでの演奏で、
人生初の生ブラボーをもらって、
金賞も取れて、
ドラマチックなラストだった。

そこで初めて自分の青春に区切りをつけることができた。できた、というか、区切りがついた。

でもそれは大会が"あった"からだ。

大会さえあるならば、どんな結果であれその瞬間はいろいろ思ったとしても、
喜びだろうが悔しさだろうが、
いい思い出だったといつかは振り返ることができただろう。

彼らはどうだろうか。
振り返った時にあんなこともあったねと
思い出にすることができるだろうか。
いつか区切りにできる日がくるのだろうか。

わたしに答えがあるわけではないし、
その渦中にいる子供たちからすれば、無責任だし他人事だと言われても何も返せない。
ただ、ひとつわかるのは自分なら無理だったろう、と。
自粛してくれなかった大人たちを恨むし、
中止を決定した大人を恨む。
それがどんなに自分たちのための決断であっても。

もし彼らと向き合うことがあったとしても
かける言葉は見つからない。
残念ながら影響力も莫大な財力もないわたしができることはないだろう。

ただ、
仕方なかったよね
いつか思い出にできるよ
という、大人側からの無責任な発言だけは決してしないようにしたい。

コロナが奪った青春の罪は本当に本当に重い。
今でもこの感情をうまく言い表すことはできない。

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