見出し画像

手紙とコーヒーの贈与論

国分寺に引っ越してから、胡桃堂喫茶店によく行くようになった。

もっとも、ここは私が進行役をしている哲学対話の会「朝モヤ」の会場でもあり、以前から馴染み深い店ではある。

近所に移り住んだおかげで、かつては電車で1時間くらいかけて来ていたのが徒歩圏内になった。今では週に数回、在宅で仕事をする日はここで過ごしている。



「胡桃堂喫茶店」は西国分寺にある「クルミドコーヒー」の姉妹店である。

店をつくった影山知明さんは、元マッキンゼーのビジネスパーソンであり、会社を辞めて紆余曲折を経てカフェを始めた、おもしろい方である。

どちらの店にもコンセプトとして体現されているのが、資本主義を問い直すあり方である。

市場の原理と競争を完全に否定するわけではないが、効率を求め画一性を指向する中で失われていく働く人の個性であったり、人と人との血の通った交流であったり、顔が見える範囲での価値の交換であったり、そういったものを取り戻そうとしている。

その試みの一つが、誰もが自由に話せる対話の場「朝モヤ」なのである。



もうひとつのおもしろい試みは、お手紙コーヒーである。

お手紙を「誰か」に贈りたい人が、お金を払って手紙を書き置くと、それを見た「誰か」が返事を書き、その「誰か」はコーヒーをごちそうになることができる。

胡桃堂喫茶店にもクルミドコーヒーにも、手紙が置かれた棚があり、「誰かか」らコーヒーをごちそうになりたい人は、手紙を選び返事を書く。

「誰か」にコーヒーをごちそうしてあげたい人は、店員さんに申し出ると専用のハガキを用意してくれるので、それに「誰か」への手紙を書く。

この誰かに贈る「贈与」の気持ちをベースにした試みが、お手紙コーヒーである。

これを使うと無料でコーヒーを飲める。「お金がない人にも店で過ごしてほしい」という影山さんの気持ちも込められているのである。

私はお手紙コーヒーをいただく側として使っていた。引っ越す前は、国分寺に来るだけでもそれなりに交通費がかかったので、店ではなるべくお金を使いたくないという、倹約の意識もあった。

引っ越してからは店に歩いて行けるようになったので、自分が贈る側にもなっている。



ちょうど今日、自分が贈った手紙とコーヒーへの返事が返ってきた。

私が贈ったのは「対話が好きなあなた」に対して。それへの返事として、東北のある地域から胡桃堂喫茶店に来た方が、書いてくださった。

文面には「対話」について、その方の思いがびっしりと込められていた。顔も知らないその方と、手紙を介して心と心がつながった気がした。

きっと東北から来たので、それなりに時間もお金もかかっただろう。私の贈ったお手紙でコーヒーを呑みながらゆっくり過ごせたならとてもうれしい。

そして、今日は私も胡桃堂喫茶店に行って、新たに手紙を書いて、私も誰かの書いた手紙でごちそうになろうと思った。ごちそうになるものの、私も手紙を書いているので払う額としてはけっきょく同じである。



私が選んだのは「大切な人との時間」を大事にしている誰かに宛てた手紙だった。

文面によると、この手紙を書いた日に入籍して、店に来たようだった。

結婚された方と初めてのデートで訪れたのも、胡桃堂喫茶店だったらしい。

行間から二人の温かい関係性とか、店で過ごした豊かな時間が滲みでていて、うるうるとしてしまった。

手紙を書いてくれた「しろちゃん」さんは、会ったこともなければ男性か女性かも分からない。だけど、この正体が分からないしろちゃんとパートナーの方の幸せを、心から祈りたい気持ちになった。

もしかしたら、しろちゃんは近くにいるのかもしれない。昨日乗った電車の隣の席にいたのかもしれない。スーパーで買い物したレジで前に並んでいたのかもしれない。

そう思ったら、私が出会う人すべてにしろちゃんを重ねて、誰に対してもかけがえのない気持ちを抱くことができるのである。

しろちゃんからもらったコーヒーを吞みながら、私も見知らぬ誰かに手紙を書いた。


汚い字ですいません。


手紙を贈り、誰かとつながるお手紙コーヒーが、日常にささやかな優しさをもたらしてくれる。



この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

いただいたご支援は、よりおもしろい企画をつくるために使わせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。