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BEING KAZUE

映画『かづゑ的』を観てきた。涙がとまらなかった。
 
ハンセン病の後遺症を抱えて生きる、宮崎かづゑさんという女性が主人公の物語である。



かづゑさんは、10歳で故郷を離れハンセン病の隔離施設「長島愛生園」で暮らし始めるが、そこで待っていたのは患者同士での差別やいじめだった。
 
やがて症状が重くなり、右脚を切断、後に手指も全て失う。
 
かづゑさんは、地獄の中でも喜びを見出そうとする強さがある。現実から逃避するために図書館で読書に没頭し、その姿をよく見ていた同じ患者の宮崎孝行さんと出会い、夫婦になる。
 
映画では90年ちかく生きてきたかづゑさんが「人生の最終章」として過ごす、嘘のない現実が映し出されていた。
 
監督に、自分の入浴のシーンまで撮るように要求し、実際に裸のままの姿をさらけ出している。自分の全てを表現しようとする姿に、狂気を帯びた真剣みを感じた。
 
冒頭、かづゑさんは取材班たちに自分のことを「かわいそうだと思わないでほしい」と語る。これはかづゑさんの矜持でもあり、長年ハンセン病とともに生きてきたからこそ達した境地なのだと思う。
 
ハンセン病患者は、みんななりたくてなったわけではない。かづゑさんも「死にたいと思った」ことは何度もあったそうだ。
 
それでもかづゑさんは悲壮感がまったくない。まるで少女のようなかわいらしささえ漂う。いつも周囲の人たちを笑顔にする明るさと、言葉を大事にする感性がある。
 
これこそ、自分の人生を堂々と生きようとする強さだと思った。この映画のサブタイトルは「BEING KAZUE」。かづゑさんさは「かづゑ」であろうと生きてきたのである。

この映画は自分の人生を生きようともがく、すべての人に届くメッセージがある。かづゑさんの強さが込められた言葉が輝いていた。

私は生まれが岡山で、長島には数年前からよく足を運ぶようになった。次にいく時があれば、願わくばかづゑさんにお会いしたい。




▼過去に長島について書いたnoteです


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