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心の盲点

やられた。

超がつくほど久々に「ハッ」とさせられました。

この4月から、長男が小学生になります。ぼくとしても、子供が初めて小学生になるわけです。なので、「ちゃんと通学路を歩けるだろうか」「怪我しないだろうか」「イジメにあわないだろうか」「交通事故にあわないだろうか」みたいな心配を、親心丸出しでずっと口にしていました。

息子は「大丈夫、なんとかする」と言ってるし、妻も「学校側もちゃんと対処してくれるって」と、ぼくのフォローをしてくれました。

けど、ほんの数日前のことです。妻からの一言で、心の底から反省をすることになりました。

それは、「あなたのような心配を、私は毎年毎年繰り返し思ってるよ」というものです。

というのも、ぼくがここまで息子の心配をするのは初めてだったのです。それまでは「いや、なんとかなるじゃろ。」と、どこか楽観的だったり客観視しているところがあったんですね。

ぼくは自分のこの状態を、”堂々としている状態”だと思ってました。つまり、どんな問題が起きても冷静に対処できる、肝の座った父親だと思ってたんです。

でも、違いました。

ぼくがこれまで、どこか楽観視していた理由は、ただ単に『周りが見えてなかっただけ』だったのです。つまり、仕事のことが精一杯で、家族のことを細かく見ていなかったのです。

だってそうですよ。年中から年長にあがるタイミングだって、子供なりにいろんな感情が芽生える時期です。なので、イジメの心配まではないにしても、友達と意見がぶつかったり、ちょっとした言葉がキッカケで心が傷ついてしまうことだって、平気で考えられたハズなんです。

他にも、年長ということで下の子供たちのお手本として行動するようになります(園の中では)。なので、先生からの要望も多くなってきますし、しかも要望にしっかり答えるアウトプット要素も深まっていきます。

これまでは、ただ自分の思いつくままに行動していただけです。もちろん、自分の思いつくままに行動することが悪いとは言いません。小さな子供のすごいところは、その自分の思いつくままに行動して出す成果物にあります。

ですが、言われたことをそのままアウトプットするというのは、全く慣れていません。ですが、その能力も生きる上で不可欠な要素です。

話がちょっとそれてしまったが、要は言いたいことは「息子の心配をする場面は、過去にも無数にあった」ということ。そして、愚かな父親はそれに気づくことがなかったということ。

自分のことで精一杯だったから。

もちろん、当時のぼくは自分が精一杯な状態だと微塵にも思ってなかったんです。むしろ、仕事も私生活もうまく回していると思ってたくらいだ。

だけど、まさに心の盲点。

うまく立ち回ってると思ってる時ほど、盲目的になってるし、やばい!どうしよう!と他の人の心配をしてる時ほど、心に余裕がある状態だったんです。

自分が一杯一杯だからこそ、あえて余裕のフリをしていた。妻の一言で、ぼくは本当に愚かなことをしていたんだと気づけました。自分はいま精一杯なのか、それとも心に余裕があるのか。

自分の振る舞いだけで、その部分を判断するのは非常に危ないと学んだ春先の出来事だった。

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。