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不遇・逆風の中にいる人へ

『時代の半歩先をいく』

という言葉があります。

なにごとも成功するためには時代の変化を見極めて、人々が求めるもの、言ってしまうとニーズとウォンツを先取りすることが大切です。でも、だからといって、先走りすぎてもいけないという意味でもあります。

『時代の半歩先をいく』

これは、確かに成功の基本の1つであることは間違いありません。ですが、現実に時代の半歩先を行くことほど難しいものはありません。

というのも、この言葉自体に懸念材料があるからです。

まず、”時代の半歩先”ということ自体が極めて抽象的です。なので、それゆえに確実にキャッチすることができません。

また、何をもって”時代の半歩先”とするかも人それぞれで異なります。だから、自分では”時代の半歩先”を行っているつもりが、世間の常識からみると半歩どころか十歩、百歩、千歩も先を行ってしまっている…というケースも、よくあることなんです。

最近、興味深い話を耳にしました。

今はもう亡くなられてるのですが、中島平太郎さんという方がいました。オーディオ機器で有名なAIWAの旧社長でして、日本オーディオ教会の会長もされていました。

中島さんもまた、”時代の半歩先”を進んでいたつもりが、世間常識の十歩・百歩・千歩先ばかり見てしまい、酷評され続ける時期があったのです。

というのも、もともと中島さんはNHK技術研究所に勤務する技術者でした。そして1967年に、世界初となるデジタル・テープレコーダーの開発に取り組みました。中島さんは「いずれ必ずデジタル・テープレコーダーの時代が来る!」と確信していたので、一心不乱に試作品を作り上げました。

ですが、周りの人たちは「デカすぎるし、使い勝手も悪いし、音質もひどいし、何より価格が高すぎる」と酷評し、全く取り合おうとしませんでした。同じ会社の技術者なのに、全然理解されなかったのです。

それに我慢しかねたのか、NHKをやめてソニーに移ります。

当時は、アナログ・オーディオ全盛期です。中島さんがやってたことは、今でいうところの、スマホなどのデジタルデバイス全盛期の中で、「人体にチップを埋め込んで念通で意思疎通する時代が来る」というようなものでした。(いや、、ちょっと違うか?まあいいか。続けよっと)

これって、あったら便利かもしれないけど、別になくても不自由するものではありませんよね。ましてや開発されたとしてもかなり高価になるはずです。なので、よほどのマニアやエキスパートでない限り、人々が手にするわけがないと思われます。

当然ながら、ソニーでも中島さんは逆風を受けます。そして、デジタル・オーディオの開発中止を命じられました。

その時中島さんは、一切抵抗しなかったそうです。全てを受け入れ、ただ「はい、わかりました」と素直に引き下がったのだとか。ですが、水面下で個人的に研究は続けたんですね。

水面下での研究中も逆風に晒され続けました。やることなすこと評価をされず、不遇な時代を送り続けました。普通の人ならば、もう諦めるところでしょう。諦めなかったとしても「ちょっと冷却期間だ」とか「自分探しの旅に出よう」などと言ったりして、リフレッシュしたりするでしょう。

ですが、中島さんは耐えに耐え抜きます。そして、不屈8年。ついに中島さんを取り巻く環境は、風向きが変わるのです。そう、デジタル・オーディオに世間の目が集まり出したのです。

実はこのパターン、日本ではよくあった出来事です。最初にモノを作る。そして、それが認められるのをひたすら待つ。もしくは、認められるように奮闘する。このような職人魂で、日本は経済成長をとげました。

ですが、今の日本は遅れをとっています。物理的なモノづくりを先導しているときに、世界ではデータ面のシステム開発が進みました。そして、システム開発ソフトウェア開発が有利になる時代になりました。

でも、この日本ならではの不屈の精神や、時代の半歩先を進んでいるつもりが十歩も百歩も千歩も先を行ってしまう技術力の高さは、世界から求められ続けています。

不遇・逆境。

常に前に進んでいる人なら、このような経験を1度や2度はしたことがあるでしょう。もしかしたら、今その真っ只中かもしれないし、不遇・逆境だらけの人生という人もいるかもしれません。

でも、不遇・逆境は勝つための成功要素です。これがないと、絶対に勝つことはできません。不遇・逆境は、糧なのです。

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。