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セルフシスターフッドの先駆者、その名もTommy/川瀬智子

最近、the brilliant greenの「There will be love there -愛のある場所-」を寝る前に聴くと心が落ち着くのでよく流している。

ブリグリも好きだったし、Tommyも好きだった中高時代。

「あんな風にはなれないけど、心に住んでいて欲しい女の子」だったTommyこと川瀬智子。

Tommy february6のアルバムは友達にMDに焼いてもらったな

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↑可愛いの全てが詰め込まれている名作アルバム。

さて、私の人生はあらゆる局面で同性の友人に支えられてきた。そのシスターフッドスピリットはまさにTommyを聴いていた中高時代に女子校で出会った友人たちによって育まれ盤石なものになったと言える。

女の子だからといって何かを諦める必要はないし、思うことは言葉にしていいし、おかしいと思った時には闘っていい、横見てみてよ、ウチらがついてんよ!

の心が私の中には常にある。そういえば、「趣味や境遇なんか飛び越えて、心で繋がる女の友情」を描いた激ラブシスターフッド映画『下妻物語』の主題歌は、Tommy heavenly6だったよね。

この「シスターフッド」の概念は近年、随分浸透してきており女性をエンパワメントする作品も多く生まれている。

一方で時折、「私には女同士の友情の感覚がわからない」「女性の共闘を信用できない」という声を女性から聞くこともある。

そういう方々に「シスターフッドだと思える仲間ができたら素晴らしいのに!」なんてことを押し付ける気はさらさらないけど、自分はたまたま「それに恩義を感じている身」であるから、リアクションや言葉選びが難しいなと思うことがある。

そんな時、川瀬智子さんのwikipediaでTommy february6とTommy heavenly6の詳細な設定を目にして、当時はよくわかっていなかったそれぞれの関係性の描き方に、かなりの先進っぷりを感じ、驚愕し感動した。

このTommyの精神は、もしかすると「シスターフッドのその先」を描いているかもしれない。

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まず、これが基本設定。

「Tommy february6」と「Tommy heavenly6」の2つの人格を川瀬智子自身がプロデュースをする設定であり、2人は自分達が同じ「川瀬智子」という同一人物とは気付いていないとしている

甘くてポップな曲調のfebruary6の方は

ブライトサイドの人格として、川瀬智子自身の自己矛盾や、投げやりで適当な性格を表現した別人格としている。誕生日は川瀬本人と同じ2月6日0時過ぎ。性格は完璧主義者だが挫けやすく思い込みも激しい。また作家志望、アルコール中毒者という面もある。

というキャラクターで、川瀬智子をデフォルメしたようなイメージ?で作られている。一方、スモーキーでちょっぴり毒のあるheavenly6の方は、

Tommy february6の悪しき別人格(ダーク・サイド)という設定で、Tommy february6として感じたストレスや嫉妬心などの負の感情を具現化したのがTommy heavenly6としている。10月31日0時にfebruary6から精神分裂にて誕生したため誕生日はハロウィンの日となっている。february6の睡眠中や酔った時に覚醒し好き勝手に活動している。

という設定だそうで、まさに正反対のふたり。さしずめ『下妻物語』の桃子とイチゴのようとも言える。

しかし特筆すべきは、「誰かと誰か」ではなく「私と私」、つまり「自分が自分の共犯者である」という点である。

february6のheavenly6への認識は

 february6から見てのheavenly6は自分を狂わせる悪魔と見ている一方、認めてはいない部分もあるがfebruary6にとってheavenly6は双子の妹のような存在であり、また自由の象徴でもあるという。

だそうで、一方のheavenly6のfebruary6評は

february6と仲良くしたいが、恥ずかしくて意地悪してしまい、february6を怒らせてしまうため対立関係にあるとしている。また川瀬がTwitter上にて発表した設定によるとheavenly6から見てのfebruary6は体裁を気にして自分を殺しながら生きている存在であり、また適当な事を良い物事を丸く収めようとする所が気にいらなく心から嫌悪感を抱いており殺したい存在だと述べている。

なのだそう。っていうか待ってこれ、完全にマイメロとクロミじゃない?

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(しかも、クロミの誕生日はheavenly6と同じハロウィン)

ちなみに、heavenly6の登場は2003年、クロミが登場する「おねがいマイメロディ」のオンエア開始が2005年なので、2年も前からこの「対立するけど惹かれ合うシスターフッド」の設定をやってるのである。

川瀬智子、マジで天才すぎる。

しかも、しかも、繰り返すけれど川瀬智子はあくまでこれを「ひとりの人間の中にある相反する人格」として位置付けている。

これはもう、未来の先を行く超未来型シスターフッド、名付けて「セルフシスターフッド」といっても過言ではない。

february6とheavenly6の性格設定の中でそれぞれ特に良いのが、まずfebruary6は「誰がみても甘くて可愛らしくて憧れの女の子」なのに「作家志望(あくまで志望で、作家ではない)でアル中」という脆さを持っていること、そしてそんなfebruary6に対しクールなheavenly6が「心から嫌悪感を抱き殺したいと思っている」のになぜか仲良くしたいという気持ちから抗えていないというところ。

これをひとりの「Tommy」という存在の中に共存させ、閉じ込めて描いている。

The brilliant greenの活動で一斉を風靡した川瀬智子が満を持して産んだキャラクターだと考えると、より一層こうした設定の奥深さが際立ってくる。

本来人間とは多面的で、他者から判断される人格がその人そのものではないはず。「キュートでアンニュイなブリグリの川瀬智子」から派生して生まれた「Tommy february6」「Tommy heavenly6」というキャラクターや作品を軽率に享受し、ジャッジする私たちリスナーを笑顔でコーティングしながらブン殴るような強さが感じられやしないか。

しかし、その強さは「ひとりでも、シスターフッドになれる」という未来への祈りとも言えるのかもしれない。

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立ち上がる時、前に進む時、拳を握りしめる時、究極を言えば「誰か」なんていなくていい、自分さえいればいい。でもちょっぴり心細いなら、自分の中のもうひとりの自分に声をかければいい。「くだらない」とうそぶきながらも、彼女は決して貴方から離れはしないから。

というような、そんな神聖でたくましいメッセージを感じる。

自分の中にいる、厄介だけど羨ましいもうひとりの自分を認識し、パワーに変える。人間はみんな弱い。でも、人間はみんな孤独じゃない。

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私にとって、常に共に闘い笑い合ってくれる同性の友人は最高の宝物だけれど、もしもそう思える人がいなくても、ヘブンリーなもうひとりの自分と生きていくことだって全然構わない。むしろ、そういう人こそ、もっとずっと、かっこいいのかもしれない。

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最近は、川瀬智子のwikipediaを読みながら、そんなイマジネーションを膨らませてわくわくしている。

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