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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2018年4月の記事一覧

間違いを認められないということ

何かをうまくやれないことの原因の大きなひとつにそれがある。 そう。自分が何かを間違ったということを認められないことだ。 何かをやろうとするときに、途中で間違った方向に進んでしまってること、間違ってやるべきステップを踏まなかったことなどに気づいた際、その間違いを認めてやり直さなけば、やりたい方向に事が進むはずはない。 けれど、その間違いをどういうわけか認めず、方向性や手順など、間違ったことの修正をしない、できない人が少なからずいる。 もちろん、その態度では事は好転しない。間

低級唯物論

「低級唯物論にしてみれば、自然が産み出しているのは、特異な怪物たちだけだ」。 この如何にもバタイユ的な言い方は、2人の美術史家・美術評論家、イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウスによる『アンフォルム 無形なものの辞典』のなかに見つかる。実際、「低級唯物論」なる用語はバタイユのものだ。 帯に書かれた「バタイユから未来へ」のコピーにやられて買った一冊は、実際、ジョルジュ・バタイユの「アンフォルムなもの」という考えに負っている。 著者らによるとそれは「操作的で行為遂行的

赤い軍帽とズボンを捨てて

パリのモンパルナスでサロンを開き、ピカソやセザンヌ、マティスら若い芸術家たちのパトロン的役割を果たしたことで知られる、ガートルード・スタイン。彼女が残したピカソとのエピソードに、こんな話がある。 「私は開戦のころ、ピカソとラスパイユ通りにいて、迷彩トラックが初めて通るのを見たことを鮮明に覚えている。夜だった。迷彩のことはふたりとも聞き知っていたが、見るのは初めて。ピカソはびっくりした様子で見ていたが、急に叫んだ。そうだよ、あれをつくったのは俺たちだよ、あれはキュビズムだ

賢い人は働くけれど

働き方改革というけど、「働く」ってなんだろうね? 大好きなバタイユがこんなことを書いている。 人間は仕事をしなければ、飢えと寒さに委ねられるのだが、仕事をしなければならないこの昼間の世界ほど、夜の神聖さにそぐわないものはない。天の無数の星々は仕事などしない。利用に従属するようなことなど、何もしないのだ。 と。 これは『呪われた部分 有用性の限界』のなかの一節。 夜の空に輝く星々は「利用に従属する」ことはしない一方で、人間はみずからの利用の欲望を満たすために仕事をす

新しいメディアがもたらす感覚と、古い思考のギャップの間で

「第一次世界大戦が起きた原因のひとつに外交の失敗があり、その失敗の原因のひとつが、外交官たちが電信の量と速度についていけなかったことである」とスティーブン・カーンは『空間の文化史』のなかで書いている。 マクルーハン的メディア論がベースになった僕のモノの見方的には、こういう話は大好物だ。新たなメディアが更新する拡張された人間の感覚が、その感覚を用いる人々の古い思考をあっさりと超えていく。そして、その感覚と思考のギャップが、時として悲劇的な勘違いを生じさせてしまう。 冒頭に言

頭のなかと世界をつないで

世の中にはたくさんの思考のフレームワークがある。 ここでフレームワークと呼んでいるのは、例えば、ビジネスモデルキャンバスだとか、共感マップといった思考ツールのこと。フレームワークを使うことで頭の整理がしやすくなったりする。だけど、そういうフレームワークをなかなかうまく使えない人もいる。 みずからの目的に従って適切なツールを選び、それをガイドにしながら目的実現のための考えをアウトプットする。それがフレームワークの使い方。ようするに、思考のフレームワークというのは、みずからの目

情報の扱いは丁寧に

期が変わる時期というのは、何かとバタバタ忙しなくなる。物理的にも、精神的にも、いろんなことが起こるので大変だ。 そんななかでも平常心を保つには、ちゃんと平常運転の仕事も続けることだ。 変則的な仕事や出来事への対応と、平常の仕事や出来事への対応を並行して進めてみると、そこから新たに見えてくるものもあるから面白い。 丁寧に下処理してストック大事なことはバタバタしてる時でも、情報は丁寧に扱うことだ。その時、扱いきれなくても、丁寧に扱っておきさえすれば、後で役に立つことは多い。

硬直した仲介者

概念というものはなぜ、こうも硬直しやすく、変化を阻む障壁になりやすいのだろう、といつも思う。わかりやすく単純化されたつまらぬありきたりの意味をもった概念が、なぜここまで強固に人びとの思考を頑なにし、変わることを拒むネガティブな姿勢の基盤としての力を発揮するのか。 その意味で、わかりやすさって、まったくナンセンスだと思っている。 アレゴリーというもののもつ性質を理解することは、その概念の強固さを考える上で、ひとつの示唆を示してくれているように思う。 「ごく単純に言うと、アレ

自分で作って自分で壊す

まがいなりにもイノベーション創出に関わるお仕事に携わらせてもらえていると、いかに新しく創造するか?ということに負けないくらい、いかに既存のものを壊すか?ということを考えなくてはいけない。 それは大きな意味でのイノベーションでもそうなのだけれど、もうすこし小さな自分の成長にまつわる変化であっても同様だと思う。世の中、これだけ新しい技術が生まれ廃れるサイクルが早くなってくると、自分自身のスキルセットの更新も各自に迫られるわけだが、その更新の際には当然ながら古いスキルを捨てて新し

居心地の良い世界で

いま興味があることは何かと訊かれたら「世直し」と答える。 いや、恥ずかしいので内緒にすることの方が多そうだけど、ほんとにそうだ。 でも、これは自分にとって意外だった。基本的に目の前にいる人にしか関心を示せない僕ほど、世直しなんてものに興味を持たなそうな人はそうそういないと思ってたからだ。 だから、最近、世の中をもうちょっと元気にしたいとか、面白いことを自分で考え、生みだせる人を増やし、そういう人がちゃんと経済的にも満たされた仕事ができる環境をつくりたいとか思いはじめている