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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2019年2月の記事一覧

文書を書くことで……

書いてみないとわからないことがある。 普段から文章を書き慣れていない人は、文章とは、自分が「わかっている」ことを書いて表現するものだと思っているかもしれない。 けれど、頻繁に文章を書いている人なら知っているとおり、書きはじめるときには何を書くかが定かではないことでも、書き進めることで何を書いているかが、自分でもわかってくるということがある。 僕なんて、むしろ、そういう場合の方が多いくらいだ。 文中にはいる1つの要素さえ、思いつけば、まず書きはじめることができる。思い浮か

スケープゴートとのアウフヘーベン

自分と異なる意見や価値観をもつ人びとのことをリスペクトし、受け入れられることができるだろうか。 つまり、止揚(アウフヘーベン)し、他者の考えも取り入れた、自分のみで考えること以上の考えを自分と他者のあいだで創出する技術と姿勢を有しているのか。 そうした観点からあらためて、ティモシー・モートンがこのように書く意味を別の角度から捉えてみたい。 昨日は「外側」であったものが今日には「内側」のものになるだろう。私たちは奇怪なものと同一化する。 外側にあったものが内側になる。

編集するのが好き

たぶん、編集っていう行為が好きなんだと思う。 「たぶん」と書くのは、自分が思ってる行為がほんとに「編集」って呼んでいいか、ちょっとだけ不安だから。 じゃあ、どんな行為をココで「編集」って呼んでいるかというと、いろんな本で読んだこと、最近見たこと・聞いたことや、これまでの人生での体験で出会った事柄などの断片を編み上げて、ひとつの論、ひとつのストーリー、ひとつの考えに仕立て上げていくことを指している。 生命とは何か?今日も近々あるハッカソン・イベントの最初のインスピレーショ

視の粗野、聴の精妙

昨年のGW、ドイツのフランクフルト、ミュンヘンを廻ったのち、恒例となっているパリに立ち寄って帰るという旅行をした。 ドイツははじめてだったのだけど、とにかく街を歩いていて視覚的な面白さに欠けると感じていた。もちろん、個人的な印象としてだ。 ドイツの街並みの視覚的な味気なさフランクフルトなどは戦争で古い街並みが破壊され、戦後に建てられた建物が多いせいかとも思っていたのだけど、ミュンヘンでもその印象は変わらずだった。 それは、パリをはじめとするフランスの街の印象とは何かが

コンフォートゾーンの外へ

昨日、社内で自社サービスのリニューアルの方向性を決めるワークにアドバイザー的に参加したが、なかなか面白かった。 僕的には普段クライアントとやってるワークを、僕自身があまり関わっていない自社サービスを対象にやる形だったので、社内でやる気楽さとやることはクライアントとやる場合と同じ真剣さが必要になるという、なんかちょうどいい感じでリラックスとストレスがあったのが良かった。 たぶん、クライアントともそういう雰囲気でできるよう、リラックス感を作れるチームビルディングが必要なんだな

科学を人類学的思考の俎上にのせて

「人類学者には西洋を民族誌学的に研究することは不可能である」と書く、ブルーノ・ラトゥールの『虚構の「近代」』が、なかなか面白い。 「自分たちから見た異文化に対しては問題なく遂行できる研究でも、西洋文化(「自然-文化」と呼ぶべきか)に対してはなかなか遂行できない」というラトゥールは、自分たち西洋人が生み出した人類学という人間の文化・社会がどんな基盤の下に成立しているかを分析する方法が自分たちの外の異文化には適用できても、自分たち自身の文化にはうまく適用できずにいることを指摘す

ヴィジョンと戦略をつなぐ絵を描く

1つ前のnote「時代が必要とすること」で書いた、"プロジェクトで何を目指すか、何がゴールなのか、スコープは何かを問うとき、どうすれば今の時代に必要とされるものを生み出せるのか?という視点で考えてみるとよいと思っている"ということについて、具体的に、どんなイメージをしてるかを図式化してみた。 「今の時代に必要なものを生み出せるか?」というヴィジョンを考えるためには、今がそもそもどういう状況なのかを、自分たちの内側と外側の両方の視点で見つめてみる必要がある。図ではそれを「アセ

時代が必要とすること

プロジェクトを進める際、陥りがちな失敗として、ゴールの達成ばかりに気を取られてしまうということがある。 いや、完全な失敗とは言わないまでも、終わったときに到達したかった場所はここだっけ?となるケースがあるように思う。 目標は達成したが、実現したかったのはこれ?ゴールの達成だけを目指してしまうと、場合によってはゴールの達成によりプロジェクトを終わらせることが目的化してしまうことがある。本来何を目指していたのか?ということとズレたものを追いかけるということが起きてしまう。 また

行動あるところに知性あり

行動から感覚へのフィードバック。 生きていく環境の中で何かを知り、有益な行動とそれに伴う結果を得るためには、行動とそのフィードバックを得ながら仮説を組み立てては検証するというループがまわる必要がある。 その際、わからないことを曖昧なまま残すというのは、この生存戦略からすると馬鹿げた戦略だ。生きることにリスクを残し、チャンスを失っているかもしれないままに、周囲の環境やら、他の人たちとの関係性を拒んでいるということになるのだから。 そんなふうにまわりを見ず、自分しか見ないで、周囲