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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2019年9月の記事一覧

承認する、どんな人間も、等価であることを

"どんな人間も、どんな他の人間とも「等価」である"。 美しくて溜息が出てばかりでなかなか読み進めることができないジャン・ジュネの『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』に所収のその表題作には、そう書かれている。 「どんなものも、その醜さ、愚かさ、意地悪さを超えて、愛されうる」と。 等価であるそれは所謂「博愛」とはぜんぜん違うものだということはわかる。 そこにそんな人間的な偽善の色はない。 むしろ、そこにあるのはまさにジュネがいう「醜さ、愚かさ、意地悪さ」は他の人たちと

優れた人は、読書家である

ちょっとびっくりした。 1つ前で『時間は存在しない』を紹介したnoteの反響のあまりのなさに。 自分ではとても面白い本だと思って紹介しただけにこの反応の薄さは予想外。 内容的にも「時間が存在しない」という衝撃的なことを物理学的に分かりやすく教えるものだし、世の中的にもよく売れてたりもするから、自分自身の紹介の仕方がよくなかったのかなと反省している。 まあ、それは仕方がないこととして、今回は、その本の内容自体の驚くべきすごい思考の展開もさることながら、もう1つ驚かされた著

箱と中身

何をデザインするのでもそうかもしれない。 ウェブサイトだろうと、空間だろうと、組織だろうと、イベントだろうと、学校であろうと。 箱と中身の両方をいっしょにデザインすることがなければ、できたものは素晴らしいものにはならないだろう。 箱偏重になっていないか昔から「箱物行政」なんて言葉もあるとおり、箱をつくるのが得意な人は多い。 「日本人は……」とか、つい言いたくなるところだが、たぶん、そうではない。 多くの文化でおそらくそうであるはずで、とりわけ近代化した社会ほど、その傾向は

知識を深める、とは

知識を深める。 簡単に言うが、いまひとつピンとこないワードではあった。 でも、今日そのことについてピンとくる説明にあった。 解像度を上げる1つには「解像度を上げる」ということ。 何らかのテーマについて、どれほど解像度高く理解できているかということ。 どういう状態が解像度が高いかと言えば、特定のテーマを提示されたとき、そのことについて、どれだけ長い時間、さまざまな角度から語り続けられるか?ということだろう。 確かに、それならピンとくる。 僕も1時間でも2時間でもずっと語

記述

現実を記述すること。 自分が生きた現実を記述する。それには大きく分けて2つの方向性があるはずだ。 1つは、自分が見たこと、経験したことを既存の概念やシステム、文脈に合わせて当てはめながら記述すること。 もう1つは逆に、自分が見たこと、経験したことから、既存の概念やシステム、文脈を更新するような発見を見出すために記述をすることだ。 どうせ生きて、記述を行うなら、後者の方が断然いいと思うのだけど、どうだろう。 体験と記述正しいと思うものに沿って生きる。既存の正しさをなぞる

くよくよしない

くよくよしないことが大事だ。 自分の精神衛生上、大事だというだけでなく、より「仕事ができる」ようになり社会的な役割を担えるようになり社会との関係がスムーズになる、という意味において。 つまり、社会との関係において自分に関する何ごとをも考えることがデフォルトになったとき、自然とくよくよなんてしなくなる。 社会に目を向け自分を視界から消す社会のなかに巻き込まれてる自分を認識すること。 社会で現実的に起こっていることをちゃんと認識するようになり、意識の中での「自分」が占める割

置きにいく仕事をしない

これは僕の仕事のようにある限定された領域にのみ通じることなのかもしれない。 そうかもしれないけど、昨日あらためて気づいた。 やっぱり中途半端に置きにいっちゃうといけないんだ、と。それだとあとで余計に苦しくなるんだなと。 置きにいく仕事ここでの「置きにいく仕事」というのは、明確な意図がないがなんとなくこんな感じで良さそうなんじゃないかという程度の計画で進めてしまう仕事のことを言っている。 ちゃんと考えずに、なんとなくありそうな形を踏襲して、「まあ、こんな感じ?」という風に

何かは何故起こるのか?

人は何かの不満を言うとき、何故、特定の対象を指定してその問題点をあげるのか? そんなこと、あらためて問うまでもないだろう。そう、思う人が多いかもしれない。僕もついさっきまでそんなこと疑問に思わなかった。 でも、あらためて考えてみると、不満の原因ってそんなに簡単に正しく特定できたりするのだろうか。 自らに不満をもたらす原因を、もしかしたらそれが対象であるものに濡れ衣をかけることになるかもしれないとすこしも迷うことなく、ひとつに絞って特定できるような、そんな優れた観察眼や分析

僕らを動かすエージェンシー

僕らは自分たち自身が行っている行為がなぜ行われているのかをほとんどの場合、理解していない。 意識していない、という意味ではない。 たぶん、自分が行った行為をなぜ、そうしたのかと問うたところで、答えがはっきりしているケースはほとんどないだろう。 僕らは自分でもなぜだかわからないまま、日々、いろんな選択をし、いろんな活動をしている。 なんとなく……。 そう、なんとなくなのだ。僕らがその行為を行った理由は。 でも、僕らの行為の背後にある、その「なんとなく」というヤツの正体はい

アクターネットワーク理論

本を買うタイミングと本を読むタイミングは同じではない。 読みたいから買うが、いますぐ読むかは別であることがほとんどだ。家に届いたあと、しばらく積んでおいて、読もうかなと思ったときに読みはじめる。 そんな読み方をしてるからか、多くの本は本当に読みたいときに読みはじめられ、そして、たいていの場合、本当にドンピシャのタイミングで読めたと感じられる。 現代社会を相対化する今年の2月に買ったブリュノ・ラトゥールの『社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門』も昨夜読みは

日常の味わい

学びと反省。 それらによって世の中の見え方はすこしずつ変わっていく。学びが世界の見え方を鮮明にしたり、反省によって世界の見え方は書き換えられる。 僕らは世界をそうやって味わっている。 2つの味はちょっと違って、前者はいろんな味のバリエーションはあれど美味しさとして、後者はほろ苦さとして感じたりするが、どちらも自分のなかに新しい何かが吸収されたシグナルなんだろう。 専門性ではなく日常的一般性で引き続き八木雄二さんの『神の三位一体が人権を生んだ』を読んでいるが、この本、なにげ

やるべき仕事がやれる環境に

がんばってるのに…。 残念ながら、それだけでは足りない。 というより、そう思うならポイントがズレている。 必要なのは、努力そのものではない。 必要なのは、何ができたか、だ。求められるのは結果だということだ。 極端な話をすれば、努力しなくても結果さえでれば良いのだ。 がんばる必要があるところでがんばるもちろん、努力など無駄だとか言いたいわけではない。 努力しなくても結果が出ることだけやっていればいいという話でもない。 ここで言いたいのは、結果を求めていないなら努力するこ

他人の人生の一部にコミットする

誰かといっしょに仕事をすること。 いやいや、それは特別なことではなく、どんな仕事だろうと誰か他の人といっしょにやる仕事だろう。 たがいに同じ作業をする共同作業者だったり、役割分担して進めるパートナーだったり。仕事をお願いする/お願いされる関係だって、いっしょにひとつの仕事をする協働者の関係だ。 誰かといっしょにやらない仕事なんてない。 自分ひとりでやるパートはあるだろう。だとしても、それが誰か別の人に引き継がれるという意味では、ひとりで完結する仕事なんてない。 いや、おそ

教えることを楽しむ

気づかいだとか、配慮だとかということを、共生という観点から書くことが最近多くなっているが、その流れで今日は「教える」ことについて書いてみたい。 共生体としての組織を持続可能にする何らかのスキルトランスファーを前提に、教える、教えあうことをするのは、共生体としての組織が持続可能であるためには不可欠なことだ。 いずれの組織も時間とともに新陳代謝があるわけで、そこでスキルトランスファーが行われなければ技術やノウハウの継承がされずに組織の力は減退する。 むろん、トランスファーでな