プライバシーと空間の変容

日常の生活のなかでの体験を今よりすこし良くしようとすることは、同時に何かこれまでの常識的な生活のあり方を変えるということでもある。この必ずしも受け入れやすくはない変化を受容しなければ、良い方向への変化も受容することはできない。
いまで言えば、仮想通貨に関することでも、モバイルでの個人間取引に関しても、はたまた音声UIに関しても、何か新しいメリットを受容しようとすれば、これまで当たり前に思ってきたことを諦めたり、捉え直したりすることは免れえない。変化はポジティブな方向にのみ起こるのではなく、ネガティブな方向にも同時に作用する。
マクルーハンが遺作の『メディアの法則』で示した、新たなメディアが登場する際に起こる変化の4つ組「テトラッド」(「を強化する」、「を反転させる」、「を回復する」、「を衰退させる」)は、まさにこのポジティブ/ネガティブな両側の変化が同時に生じることを示す指針のようなものだ。

プライバシー概念を登場させた空間変容

スティーブン・カーンの『空間の文化史』を読むと、19世紀後半から20世紀の前半にかけて、建築物の形態の変化や、マイクロフォンやカメラの登場により、プライバシーという概念がはじめて歴史上、生まれたことがわかる。

建築物は鉄骨やコンクリート、ガラスといった工業製品の発明によって、それまでの石やレンガを積み上げた壁面を構造体とした開口部が少なく、個室の多い作りから、鉄骨造によるより開口部を自由にとれ、ガラスという透明な仕切りで光を十分に室内に取り入れられる開かれた建築となった。また、電気による照明が室内空間のレイアウトを自由にした。
しかし、この開放性に満ちた建築は、外からも、室内のほかの空間からも、人々の様子を見えやすくもした。従来にはなかった見通しが建築のなかに生まれたかりだ。

ただし、空間の変容は、建築物の形態の変化によるものだけではなかった。「いくつもの発明工夫がプライバシーを侵害した」とカーンは書いている。

1877年ごろにマイクロフォンが発明されて、外から室内の空気会話を盗み聞きできるようになる。1881年にニューヨーク刑務所の看守がマイクを監房に隠して、囚人ふたりが犯罪の話をしているのを聞きとったのがたぶん初めての「盗聴」であった。1880年代にコダックが乾板、固定焦点の写真機を完成させて、写真の素人であれプロであれ、スタジオの外で勝手にスナップ写真を撮ることができるようになった。1902年の『ニューヨーク・タイムズ』に、著名人を写真に撮ろうと「待ち伏せしているコダック人種」によってプライバシーが侵害されているという記事が載った。

これはスマホにカメラがついたことで人々が容易に撮影した写真をSNSなどに投稿できる現在において、今までなら隠せていた様々な事柄が簡単に表に出てしまうようになったことと同様の変化だろう。
音や映像の記録&複製を可能にするツールは、空間やそこで起きた出来事を幾重にも複製して、従来ならひとつの時間にひとつの場所にしか存在しなかった空間とそこで起こった出来事の単一性を破壊する。あらゆる空間、あらゆる出来事が同時に複数の場所に存在しうるようになった。
それにより人々のプライバシーもまた容易に侵犯されるようになる。

プライバシー権の成立

そんな空間の変容があったから、「人々は世間に顔を知られるのを気遣うようになった」という。
1890年、ルイス・ブランダイスとサミュエル・ウォレンが「プライバシー権」という学術的論文を書いている。プライバシー法制史における記念碑的論文である。きっかけは、「1883年に、ある新聞がウォレンの結婚生活についてあくどいほど細かく報じたことで生じた被害」だった。

この論文における、

ブランダイスとウォレンの主張は、これまで法律は個人と社会との間の外的な関係だけに向けられてきたが、個人の個人自身に対する関係の法的保証を法律は認知すべきであり、自尊心への誹謗、プライバシーそのものへの侵害から個人を守るべきであるというものだった。

カメラや新聞などのメディアは、ある時間にそこにいなくても、その場所で起こったことがわかるようにした。けれど、同時に、「簡易型写真や商業新聞といった最近のながれが、私的生活、家庭生活という「神聖な領域」を侵害し」はじめたことで、プライバシー権の必要が生じた。

ポジティブな変化だけでなく、ネガティブな変化も同時に起こる。だからといって、変化を拒んでもはじまらない。それよりも変化にどう対応するかを考えることが必ず必要になるということだ。

1905年ジョージア州最高裁は、同意なくして宣伝目的で当人の写真を使用した理由で保険会社を告訴した人物に勝訴の判断をくだした。これは裁判所がプライバシー権を認定した最初の判決であり、プライバシー権が侵害されたという1点だけで被害を認定したこの判決は以後ひとつの判例になった。

100年とすこし前の出来事だ。
それ以前には、プライバシーが問題にならないくらい、空間は閉じていて、人びとは互いに見られて当然の範囲の人しか見られなかったから、プライバシーなど、気にせずに良かったということである。

つながること、標準化されること

ただし、それは鉄道もなく自分の街でしか働けず、新聞はあっても言葉で出来事が紹介されなかったし、建物も夜になれば暗くなって自由に動くこともままならないような、閉ざされた生活の中でのことだった。
そうした不自由な閉塞性から人びとを解放してくれた、人びとをオープンにし、遠くの人とも簡単にコミュニケーションが取れて、遠くの外部の人ともいっしょにコラボレーションが可能になるツールが生まれたからこそ、プライバシーやセキュリティといった新たな問題も生じたのである。

『鉄道旅行の歴史』でヴォルフガング・シヴェルブシュは、いわゆる標準時が生まれたのは、鉄道が遠く離れた街同士を繋げ、短時間で移動できるようにした結果であったことを伝えている。それまでは街それぞれが標準時をばらばらに持っていたのだが、それだと鉄道の運行に支障があったため、鉄道会社が統一した時間を導入したのがきっかけだそうだ。

鉄道の時間は、19世紀の終り頃まで、もっぱら鉄道交通用であった。それは列車の時刻表の時間だったのである。だが鉄道網が密になり、それに組み込まれる地方の数が増えるにつれて、各地の地方時間は、共通の鉄道時間に比べて、ますます分のないものになっていった。1880年には、鉄道の時間が英国では一般の人標準時となる。ワシントンで開かれた国際標準時会議は、1884年にすでに、世界を時間帯に分けたが、ドイツで標準時が公的に採用されたのは1893年のことである。

そう。これも同じ19世紀末の出来事だ。街それぞれがばらばらで標準時すら持たないような状況では遠くの他人のことなど存在を確かめようがないから気にならない。
それが気になり、プライバシーが問題になるほどになるのは、世界が標準化された何かの上で動くようになったあとのことだ。

もちろん、標準時の制定から100年の時を過ぎた現代では、鉄道など遥かに超えた共時的なつながりをインターネットがグローバルに可能にしてしまった。仮想通貨、個人間取引、音声UIなどにまつわるプライバシーやセキュリティの問題が生じているのは、そのネガティブな側面にほかならない。
けれど、ネガティブがあるからという理由でそれらの変化を受け入れないのはナンセンスだ。どのみち、いまのプライバシーの考え方自体、せいぜい100年前の発明に過ぎないのだから、考え方をゼロから考え直すことの方に意味があるだろう。

外部の力の私的領域への侵入

そのことを考える上でも19世紀末から20世紀初頭にかけての人びとの精神面での変化も見ておくと良い。
「外部の力の私的領域への深い侵入と、その領域を守る努力の強化は、精神医学と文学にもあらわれてくる」とカーンはいう。

フロイトは、彼の患者の多くが、社会の古い儀礼や宗教的儀式が世間から隔絶していることに病んでいるとした。あの時代には、一般的信仰、一般的儀礼が神経症という私的儀礼にとって代わられていた。個人は以前の一般的規範を自分の内面に取り込み、その結果、ますます重い抑圧を背負い込むことになる。文明の歩みそのものが本能を放棄することを求め、両親が子供への関心を強めつつ、禁止を子供に伝えることで、本能の放棄は完成される。そして子供は、検閲と罪証感という内面の装置を育むことを通じて禁止を内在化させる。

神経症を私的儀礼として捉えるのは、プライバシーという観点からみるとより興味深いのではないだろうか。

「神は死んだ」とニーチェが宣告したのも同時代である。宗教の力は劇的に弱まり、人びとのハレとケのメリハリを作っていた祝祭の風習も失われた時代だ。
共同体全体で共有されていた本能の解放とそれと一対となった浄化の機能が失われ、個々人が教育の名の下にそれを強いられることになったのだろう。そこに歪みが出る形での神経症である。さらにプライバシーを超えた侵害が重なれば、抑圧にかかる負担は大きくならざるを得ない。

〜を回復する

神経症同様に、この時代に登場したのが推理小説であったのも偶然ではない。

女毒殺者マデリン・スミスの公判を見に大衆が集まった図がある。制度としての祝祭を失った大衆は、もっぱら裁判所と絞首台の周りに陰鬱な擬似・祝祭を繰り広げたのである。彼らは犯罪小説を渇望していた。「本を読むというヴィクトリア朝大衆の習慣そのものが、不変に興味のある話題としての殺人事件の存在によって明らかに助長された」というのだから、「文化」とは実に始末の悪いものではないか。

と書くのは、『アリス狩り』の高山宏さんだ。祝祭の代わりを、犯罪小説に求めたわけだ。
小説のなかの出来事というヴァーチュアルなものとはいえ、犯人を絞首台におくるのを喜ぶ姿は、ホイジンガが『中世の秋』で描く中世人たちの姿に重なる。

後期中世の司法の残酷さがわたしたちをおどろかすのは、その病的倒錯によってではない。その残酷さのうちに民衆のいだく、けだものじみた、いささか遅鈍な喜び、その残酷さをつつむ陽気なお祭り騒ぎによってである。モンスの町の人びとは、ある盗賊の首領を、あまりにも高すぎる値段だというのに、あえて買いとったが、それというのも、その男を八裂きにして楽しもうとしてのことであった。

まさにマクルーハンのいう「を回復する」の最たる例ではないか。
鉄道や電灯、開かれた建築、カメラや新聞などで明るく開かれた状態にした19世紀末の変化は、神経症とはまた別の症例の形として、当時の人びとに、中世の人びと同様の残忍さを回復させたのである。

私的領域への深い侵入が、個人の精神、大衆の感情にどう作用するかを考える上で示唆的ではないだろうか。
見えなかったことを見えるようにすることでのメリットはたくさんある。データを開放することで、自分ではわからないことまで教えてもらえることもある。けれど、その変化はポジティブなものばかりではない。どんなネガティブが生じるのか。何が反転され、何が回復し、何が衰退するのか。その変化についても考えることは必要だ。

#プライバシー #セキュリティ #建築 #フロイト #テクノロジー

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Hiroki Tanahashi

言葉とイメージの狭間で

ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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