デザインの誕生

designという語が英語として登場してくるのは、16世紀後半から17世紀初頭にかけてのことだと言う。

いずれにしろOEDによると、英語としてのdesignが出てくるのは1593年が最初です。「絵」の用法では1638年が最初。要するにその界隈ですね。そしてぴったりその時期の1607年、「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という言葉が、マニエリストのフェデリコ・ツッカーリ(1542-1609)の「絵画、彫刻、建築のイデア」というエッセーの中に登場しました。今まで長い間、ヨーロッパのデザインは基本的に外界にあるものをたくみに写す技術、ミメーシスの技法でやってきた。ところが1607年の時点で、英語にすると「インナー・デザイン」、この講義だったら「インテリア・デザイン」としかいいようのないイタリア語のディゼーニョ・インテルノ、「内側にあるもののデザイン化」という意味が出てきた。

と、高山宏さんは『近代文化史入門』に書いている。僕にとってのキーブックの1冊だ。

ディゼーニョ・インテルノ

引用中にあるツッカーリによる「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という聞き慣れないことば。
グスタフ・ルネ・ホッケは『迷宮としての世界―マニエリスム美術』のなかで、ツッカーリ自身のことばも引用しながら、こんな風に説明する。

最初に〈わたしたちの精神にある綺想体〉が生まれる、とツッカーリはいう。これを要するに、ある〈イデア的概念〉、ある〈内的構図〉Disengo Interno である。かくしてつぎにわたしたちはこれを現実化し、〈外的構図〉Disegno Esterno へともちこむことに成功する。〈内的構図〉は、さながら同時に視るという観念でも対象でもあるような一個の鏡にもくらべられる。というのもプラトンのさまざまなイデアは、神が〈神自身の鏡〉であるのにひきかえ、〈神の内的構図〉であるのだから。神は〈自然の〉事物を創造し、芸術家は〈人工の〉事物を創造する。

先の高山さんの言葉に照らし合わせれば、この時点で芸術家(=ツッカーリ)は、従来の「自然の模倣=ミメーシス」から離れ、人工の事物の創造する者であることを自覚している。その際、創造の元となるのが、芸術家の内部で生じるディゼーニョ・インテルノ=内的構図というわけだ。

ホイジンガは『中世の秋』で中世の人間は「世界そのものの改良と完成をめざす道」を知らなかったと言っている。デザインとは課題解決の方法だとしたら、そういう道があることを思いもよらなかったわけだ。そして、それは盛期ルネサンスの時代となっても変わらなかった。

ようやく、その道に気づいたのが、マニエリスムの時代、ディゼーニョ・インテルノによる人工的な創造の方法があることに気づいたときからだ。ようは神が生み出した自然に頼らずとも、世界を綺想で変えることが人間にもできると、世界改良の道を歩みはじめたのが、16世紀後半から17世紀初頭にかけてだったというわけだ。

世界は人間の手で改良できる。
まさにデザインの誕生の瞬間ではないだろうか。

絵は手で描くのではない。頭で描くのだ

もうすこし、この時代の変化が何だったのかを考えてみよう。例えば、マリオ・プラーツも『官能の庭』でこんな風に言っている。

ミメーシスの概念、つまりルネサンスに支配的な自然の模倣として芸術の概念は、実際には「止まれ、汝は美しい」なるポーズとして固定された静止的な世界を前提としていたが、いまや16世紀になると、心の内面でとらえられた世界のイメージは静止的どころか絶えまない変転にほかならない、とする理念が生み出される。まさにこれはウェルトゥムヌスの領国である。そこから芸術家にふさわしいのは、単なる自然の模倣から開放された表象としての、すなわち自律的な噴出によって紙の上に投影された創意としての「内的ディセーニョ」であるとみなされるようになった。

初期ルネサンスから盛期ルネサンスの芸術家たちは、個別の事物の背後にある本質としてのイデアを描くのに、数学的手法である比例(プロポーション)や遠近法を用いていた。自然の本質として数学的なものを据える考え方こそがネオプラトニズムの影響を大きく受けたルネサンスのひとつの特徴ではある。けれど、同時にそれはあくまで中世までの自然の模倣という範疇におさまるものでもあったと言える。

マニエリスムの芸術家たちは、盛期ルネサンスの画家や彫刻家、建築家が重視した比例や遠近法などの数学的手法を拒否しはじめる。身体を不自然に蛇状に伸ばし歪ませ、この世のものではない動きを画面に与え、不安定なほど空間を伸ばして中心を空虚にした構図を採用する。プラーツのいう「絶えまない変転」という動きがマニエリストたちが描く曲がりくねって長く伸びた不安定な構図として現れるのだろう。
もちろん、世界そのものは実際にそのように曲がり伸びているわけではないのだから、それはもはや自然の模倣ではなく、芸術家の主観的内面の「内的ディセーニョ」としてのイデアということになる。「絵は手で描くのではない、頭で描くのだ」といったのは、初期マニエリスムの色濃い晩年のミケランジェロ(1554年没)だ。

デザインがそうするように、頭の中にあるイメージを外に出すことで世界そのものに変更を加えようとする姿勢、考えて方が明らかにこの時代に生じている。同じこと時代に、フランシス・ベーコンが「新しい学」を提唱し、科学的発明への道を切り開いたのも偶然ではないはずだ。

意識という内なる劇場で演じて

では、この時代、芸術家たちの頭の中に突如、綺想体としてのディゼーニョ・インテルノが浮かびますあがりはじめたのは、いったい、どうしてなのだろうか?

ワイリー・サイファーの『ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌』にも、ディゼーニョ・インテルノへの言及は見つかる。その言葉で評価されるのは、同じくマニエリスムの画家パルミジャニーノである。

パルミジァニーノは内面のイメージ―「ディセーニョ・インテルノ」―に視線を注いでいるように見え、外在の現実よりも内側から絵を描く。」

パルミジャニーノ(1503-1540)は、ツッカーリが生まれる2年前に夭折した初期マニエリストの画家。凸面鏡のうえに手だけが異常に巨大化して写った自身を描いた「凸面鏡の自画像」や「首の長い聖母」といった作品で知られる。

見たままを描いたという印象はパルミジャニーノの絵にも見受けられない。「凸面鏡の自画像」ではペンを持つ右手が誇大化して描かれているし、「首の長い聖母」では聖母も赤子であるキリストも異様に体が長く、蛇のようにうねった形で描かれる。

蛇のようにうねった形「フィグーラ・セルペンティナータ」は、このパルミジャニーノだけでなく、ほかのマニエリスム画家にみられる特徴だ。その不自然極まりない動きは人体にも、雲や道や建物にさえ見られ、マニエリストの描く絵の画面を不安で満たす。プラーツが言うように、この不安の精神がもたらす動きが加わるところに、ルネサンスまでの模倣の構図と、マニエリストたちの内的構図の差は生じている。

その不安な特徴は絵だけでなく、文学にも影響を及ぼし、とりわけハムレットの不安定さに顕著に表れているとサイファーは指摘する。

ハムレットは自分の置かれた状況に異常に過敏な反応を示し、そのため、芝居は彼の意識という主観的焦点を持つ劇場で演ぜられることになる。デンマークという外在世界だけでは十分に演じることができないのである。これと同じように、マニエリスムの画家も〈内的構図(ディセーニョ・インテルノ)〉というある種の主観的焦点を持つことによって、「内側から描く」のである。

言うまでもなく、シェイクスピアは多くマニエリストたちと同時代を生きた作家である。ハムレットはその劇中の舞台であるデンマークという地理的な環境にはおさまりきらず、彼を演じるには「彼の意識という主観的焦点を持つ劇場」を必要とする。外にある劇場での動きと、ハムレット自身の内なる劇場でのそれに差異を感じるからこそ、そうなるのだろう。

外の現実と内なるイメージを重ねてみて

サイファーはマニエリスムの画家もそれとおなじように見たままの外的な世界だけではなく、主観的焦点をもって「内側から描く」のだというのだが、実はこの内側から描くことを可能にするものこそ、あらかじめ外なるイメージと内なるイメージの比較を可能にした方法あってこそである。外と内との比較が可能でなければ、内なるイメージと外の現実世界のズレにも気づけないのだから。

では、その外と内との比較を可能にした方法とは何だったのか?

もちろん、その答えは遠近法だ。遠近法という視覚的なマジックがあってはじめて3次元の世界と2次元である頭の中のイメージ=画面に描かれた図像を重ねあわせてみることが可能になっていたわけだ。
ようはマニエリストの画家たちが一見否定したかのように見えるルネサンスの画家たちが発明〜発展させたミメーシスの技術である遠近法こそが彼らがそれを否定するために不可欠なものの見方を可能にしたものなのである。

そう。他ならぬ遠近法という外と内とをダイレクトにつなぐインターフェースがあってこそ、マニエリストたちによるデザインの発明は可能になったというわけだ。
当然だろう、外の現実と内なるイメージがつなげた形で思考操作ができなければ、頭の中で外の世界を変えるためのアイデアを形にしていくようなプラン、デッサン、構想など、できるわけがないのだから。2次元の世界の青写真と3次元の現実世界をシームレスに行き来できるような錯覚をもたらすインターフェースがあってこその「世界を変えるデザイン」である。

デザインのはじまりに遠近法あり。
では、その遠近法そのものが活版印刷がもたらした印刷本の登場と深い関わりがあったとしたら、どうだろう?
その話はまた別の機会に。

#デザイン #マニエリスム #遠近法

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Hiroki Tanahashi

言葉とイメージの狭間で

ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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