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遠藤周作「沈黙」読書感想文【前半】

刑が執行されてから、洗濯バサミ作りを3ヵ月ほどして、配役となったのは計算係だった。

計算など得意でもなんでもない。
順番のようなタイミングがあって、パソコンが使えてエクセルが使えたから、そうなったのだった。

各舎から集まる日々の作業報奨金のペーパーをパソコン入力して、月末に締めてプリントして会計の職員に提出する。

それから月々の資料を作成して、教育の職員に提出する。
間違いは許されないが、難しいものではなかった。

難しいのは、2年目の工場担当の荒井刑務官だけ。
非常に難しい。

ハンコひとつもらうだけで、わけわからない叱声からはじまって、粘りつよく返事を重ねて、完了するのに1時間かかる。

誇張ではない。
最低でも毎日30分はかかる。

薄暗い工場の一角にあるパソコンは古くて、もちろんネットになど繋がってないが、唯一、受刑者としてキーボードに触れることができる係。

不幸中の幸いというのか、そこだけは救われた。

・・・さっそく話が飛んだ。
配役から3年ほど経ってから書いた読書感想文となる。


きっかけ

遠藤周作は、未決囚のときに初めての1冊を読んでいた。
ぐうたら社会学」というエッセーだった。

それをなぜ選んだのか忘れたけど、たぶん題名から。
気軽に社会学というのを知ることができるかもしれない、ということから。

それまでは、遠藤周作といえば、剣豪小説でも書いているだろう昭和の作家のイメージしかなかった。

たぶん、山本周五郎とかぶっていると思われるが、いずれも読んだこともないから適当なイメージだった。

ふざけたオヤジ・・・というのが、その「ぐうたら社会学」を読んだ感想だった。
ぜんぜん社会学など関係なかった。

作家仲間にいたずら電話をして、駅前まで呼び出す。
別人を装って電話して、うまい話をして呼び出すものだから、相手は一目散に駅前まできてウロウロとキョロキョロとしている。

その姿を、電柱などに隠れた周作は、こっそりと見て笑っている。
大勢がこのイタズラに引っかかった、と記している。

ふざけたオヤジではないか!

現代でいえば、特殊詐欺レベルのイタズラである。
とはいっても、懲役6年の求刑をされている未決囚が言えたものではなかったが、そんな細かなことはすっとばす。

隠れキリシタンへの素朴な疑問

この官本で見つけた遠藤周作の「沈黙」は単行本版。
表紙には古地図がデザインされている。

まずは、その古地図に妙にそそられた。
隠れキリシタンのことを書いた小説・・・と裏表紙にある。

「ぐうたら社会学」で、遠藤周作はカトリックのキリスト教徒だという前知識はある。

隠れキリシタンか・・・。
日本人キリスト教徒が書いた隠れキリシタンの小説・・・。

興味をそそる。

江戸時代の初期に、幕府の弾圧で殉教した日本人キリスト教徒は、いずれは日本人全員がキリスト教徒になると信じていた・・・と、おそらく「ぐうたら社会学」で読んだだろう記憶が残っている。

それから400年経ってるのに、どうして多くの日本人がキリスト教になってないのか。
そんな素朴な疑問もある。

その疑問が解けるかもしれない。

1966年発刊|257ページ|新潮社

読感

読み終えた直後の感想

読み終えると、胸にモヤモヤが残った。
悲しくもあるが、心地いいモヤモヤ感でもある。

読みはじめる前にあった「なぜ日本にキリスト教が根付かないのか?」という疑問は、作中に登場する人物からも繰り返される。

けど、なぜなのかの答えは、明確には示されないまま。

読後に残ったモヤモヤ感はそこからきていて、好奇心を刺激されたままのモヤモヤ感。

自分のような性格の人間というのは、黒い小穴に気がつくと、つい覗き込みたくなってしまう。

どうなってんだろう・・・と、つい、アホみたいに覗き込んでしまう。

キリスト教など関係なく、その、どうなってんだろ・・・が心に残り続けているのが心地いい。

初めての感覚の読書だった。

この小説にはモデルがいる

著者あとがきでは、この小説の主人公にはモデルがいると明かされる。

日本名、岡本三右衛門
本名、ジュゼッペ・キャラ

1643年6月27年に、筑前大島(福岡県宗像市)に上陸。
日本は鎖国しているので密入国となる。
連絡が絶えたフェレイラ神父を求めてのことだった。

潜伏布教を試みたが、ただちに捕縛。
棄教する。

以降は岡本三右衛門となって、江戸の切支丹屋敷に住み、1685年に84歳で死去する。

このモデルと小説は、大筋では合致している。

プロティスタンティズムとはなんだ?

著者あとがきでは、主人公の最後の信仰はプロティスタンティズムに近いとも書いてある。

なんとなくプロテスタントはわかる。

カトリックに抗議する人、英語でいえばプロテクトする人。彼らがプロテスタント。

そういった浅い理解だけはあるが、プロティスタンティズムがなにかまではわからない。

たぶんは自分は、本当の深いところで、この「沈黙」をわかってないとは思われた。

あとは、著者あとがきで、長崎で目にした踏み絵が心から離れずに小説にとりかかった、とも書いてある。
踏み絵は、小学校の教科書の写真で見た記憶はある。

生で見るとなにか違うのだろうか?

結局は、わからないことだらけだけど、それらがうまい具合に心に残っていて、まずはここを出たら長崎に行って踏み絵を見てみたい、と思ったのは確かだった。

登場人物

ロドリコ

ローマ教会から日本に派遣された司祭。
3年かけてマカオに到着する。

日本に密入国してからは、パードレ(司祭)と呼ばれる。

ガルベ

ロドリコと同僚の司祭。
供に日本に密入国する。

ロドリコと行動を供にして、潜伏しながらも布教を続ける。

キチジロー

九州出身の日本人。
20代後半。

海で遭難したところをポルトガル船に救助されてマカオにいたところを、ロドリコたちと日本に戻る。

フェレイラ師

日本在住のキリスト教の大司祭。
ローマ教会との連絡が途絶えていて、棄教したらしいという一報だけは伝わっている。
ロドリコの師でもある。

ロドリコが書いた風あらすじ

ローマ教会は3人の司祭を日本へ派遣する

1587年、日本統一を目前にした豊臣秀吉は、キリスト教を禁止する。

日本国内には、約40万人の信者がいた。

1614年、江戸幕府は、70数名のキリスト教司祭をポルトガル領のマカオに追放。

以降は、隠れて布教していた司祭たちは捕縛され、棄教を迫られた。

棄教を拒んだ司祭は拷問にかけられた。
火あぶりや熱湯をかけられたり、飢え死にするまで牢につながれた。

1636年、幕府はポルトガルとの通商を取りやめにして、キリスト教を布教しないオランダとの通商のみとした。

1638年には島原の乱がおきる。
背景にはキリスト教への迫害の反動があった。

そのころ、ローマ教会は、日本へ3人の司祭を派遣することを決定する。

日本国内に留まったまま、書簡が途絶えている大司祭のフェレイラ師が棄教したらしいとの報を受けてのことだった。

フェレイラ師を知る私には、・・・あとの2人もそうだったが、とにかくも師の棄教はとても信じられないことだった。

若い私たちは3年をかけて日本に向かい、うち1人は病死しながらも、2人がマカオに到着した。

私とガルベだった。

鎖国する日本への密入国が決行された

鎖国をする日本にはどのように入国するのか。
先導したのは、九州出身のキチジローという20代後半の若者だった。

近海で漂流していたキチジローは、ポルトガル船に救助されてマカオにいたのだった。

初めて目にした日本人であるキチジローに不安を覚えた。
気弱そうで、いかにも頼りがなく、卑屈に怯えたような笑みをするキチジローだった。

これが「死さえ怖れない民」といわれる日本人なのか。
イメージと大きくかけ離れていた。

でも、キチジローに任せるしか密入国の方法がない。

日本への密航は夜間に行なわれた。
本船を出たボートは、無事に浜辺に上陸した。

真っ暗でなにもわからない。
すぐに本船は引き返す。
もう私たちは、進むしかないのだ。

同行したキチジローは、遠くに見えた村の明かりに駆け込んでいった。

彼は戻ってくるのだろうか?

いらない心配だった。
キチジローは、隠れキリシタンの村人たちを連れて戻ってきたのだった。

どうやらキチジローは、この近辺の村の出身で、隠れキリシタンらしい。

キリストも迫害のなかで布教した

私とガルベは、村人から「パードレ(司祭)」として歓迎を受けた。

役人の目を逃れるために、村から離れた山小屋に身を隠すように住むことになる。

そこに訪れる村人にミサを行う。
告悔を開く。
洗礼も授ける。

トモキ村といった。
貧しい暮らしの村人だった。
人々は牛馬のように働き、牛馬のように死んでいく。

司祭としての使命感ばかりで、気負って日本にきた私だったが、村人と接しているうちに幸福を覚えた。

噂が広まったのか。
近辺のフカサワ村からも信徒が訪れる。

請われて、私はフカサワ村にも出向く。
ガルベがいうように危険だとはわかってるが、待っている信徒を放っておけない。

到着したフカサワ村も貧しい村だった。
救いを求めてやってくる村人にミサを行う。

そうしながら、私は迫害のなかで布教を続けたキリストの姿を思い浮かべた。

そして、フカサワ村に来る前に、幕府の捕縛を怖れた自分の臆病さを恥じた。

なお神は黙っているではないか

トモキ村に戻ったある日。
異変に気がついた役人が、村を調べに来た。

もちろん村人は、私たちのことは誰も言わないが、村人の代表者3名が奉行所に出頭するように通達が布された。

選ばれた代表者3名には、キチジローが含まれた。
キチジローは涙ぐんだ。

「なんのため、こげん責苦ば、デウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらは、なんも悪いことばしとらんのに」

踏み絵をやらされるのだ。
踏まなければ、そのまま牢に繋がれる。

キチジローの兄と妹は、踏み絵を拒んで、棄教も拒んで、火刑となっていたのだった。

気落ちしたキチジローに、憐憫の情が沸いた。
私は、聖像画を「踏んでもいい」と口にしてしまう。
ガルペは鋭い目を向けたが、なにも咎めなかった。

キチジローの言葉は胸に痛く突き刺さった。
次第に重く圧しかかりもした。

キリスト教への迫害がおこって今日まで20年。

多くの信徒の呻きが満ち、司祭の血が流され、教会の塔は崩れていくのに、なお神は黙っている。

※筆者註 ・・・ この本のあらすじは、短くまとまらないのです。ちょっと長いので【前半】【中】【後半】にわけます。


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