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門井慶喜「家康、江戸を建てる」読書感想文

現在の歴史の教科書では、あの「聖徳太子」は後世の創作だからと表記されてないという。
正式には「厩戸皇子」だという。

それだけでも取り乱してしまうのに、さらに現在の歴史の教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年になっているという。

すでに「いい国つくろう鎌倉幕府」と、アホみたいに唱えて済ませるだけの時勢ではない。

歴史の解釈が、年々と深化しているだった。

歴史の視点も変わってきている。
例えば、明智光秀。
裏切り者といえば、西のユダに、東の明智光秀。

いくら下克上の世の中とはいっても、とんでもないことをやらかした明智光秀。
だから3日天下なんだと。

それが、実は明智光秀って、すごいヤツとなってきている。
たしかに知れば知るほど、明智光秀ってすごい。

だいたいが、本能寺の変の理由が、信長に扇子で頭を叩かれて恨みがあったからって、そんな雑な・・・。

・・・話が飛んだ。
とにかくも、受刑者と読書禄である。


きっかけ

官本の新刊として入った本だった。

作者の名前は知っていた。
だって、慶喜だから。
あの15代将軍の徳川慶喜と同じ。

とにかくも、門井慶喜をはじめて知ったのは、未決のときに読んだ週刊文春のインタビュー記事。

そこでも、慶喜という名前について訊かれていた。
慶喜は本名だという。

1971年生まれの門井慶喜は、子供の頃は慶喜という名前が嫌でした、と明かしてもいた。
まだその頃は、慶喜の印象が悪かったという。

わかる。
わかります。
徳川慶喜とは、江戸幕府を潰したダメ将軍というイメージしかなかった。

いちばんに本人がそれを感じていて、徳川慶喜のイメージがよくなったのは、ここ最近のことだという。

そんな慶喜が家康を書く。
この本は、ぜったいにおもしろいのではないか?

単行本|2016年発刊|400ページ|祥伝社

読み終えた感想

おもしろかった。
予想していたよりも、ずっとおもしろかった。

家康が江戸をつくった。
そうなのだけど、当たり前のこととして、実際は幕府の要人が差配している
配下の大名が実行している。
職人が力をふるっている。

現場の彼らが主人公になっていて、家康は脇役となって、要所に登場するのみ。

新しいことを知るばかりだった。
また、門井慶喜を読んでみたい。

古地図を見るのが趣味の門井慶喜

その門井慶喜のインタビュー記事で、古地図を見るのが趣味とも話していたのも覚えている。
古地図好きなのが、本から伝わってくる。

地名の解説もつけてるが、本当に丁寧で親切な書き方。
読者を置いてけぼりにしない。

登場する江戸の地名のすべてを、現在のどこと重ね合わせて記されているので、距離感がわかって、リアルな想像につながる。

丁寧な書き方は地名だけではない。
たとえば大きさ。

1間は約1.8mと知識として知っているが、それが15間の高さの石垣となると、メートルの世界に生きている自分は頭の中で換算しなくてはならない。

そこにすかさず、ビル5階建てくらいと補足されるのでスポーンとイメージがつきやすい。

あとは年号と西暦。
歴史小説などでは、その世界の作法なのか、年号で話を進めていく本もある。

どうも西暦でないと時系列がつかみにくいが、この本は「わかってる」というかのように、両方とも併記されているのに親切さを感じた。

ざっくりとした内容

短編小説と歴史エッセーが交じったような内容。
第五話までが配されている。

第一話の題名は「流れを変える」。
武将で大名となった伊奈忠次(ただつぐ)が主人公。
利根川の流れを大きく変えている。

個人的には、もう利根川ではなくて “ 伊奈川 ” としてもいいんじゃないかと思うほどの大事業。
少しの驚きがあった。

第二話の題名は「金貨を延べる」。
御金改役の後藤庄三郎が主人公。

大阪に対抗して、幕府は小判を流通させる。
江戸時代は米の経済だと浅く理解していたのが、貨幣経済も重視していたのがよくわかった。

第三話の題名は「飲み水を引く」。
江戸の水道を整備した春日与右衛門と、水路を造った六次朗が主人公。

江戸では井戸水ではなくて、敷設した水道水だったと豆知識で聞いたことがあるが、詳細がよくわかった。

第四話の題名は「石垣を積む」。
幕府の代官頭の大久保長安が登場するが、主人公は伊豆の石工の吾平と、江戸の石工の善三太となる。
今の大手町にある “ 鏡石 ” を見にいきたくなった。

第五話の題名は「天守を起こす」。
二代目将軍の徳川秀忠が主人公。
秀忠とは、有能な官僚タイプだったというもの。

うすぼんやりしていて、まったく存在感がない秀忠だったが、くっきりとした人物となってきた。

それぞれの話の終わりには、江戸の地名と、現代の地名をシンクロさせる。

当時の痕跡を現在に探して、示して説明して、それぞれの話が締めくくられる。

なんかこうドラマを感じてジンとくる。

徳川秀忠へのシンパシーを感じた

この本で、いちばんに心に残るのは、2代目将軍の徳川秀忠への見方が変わったこと。

秀忠といえば、将軍としてなにをしてたのかわからないし、なんかこう頼りない。

なんといっても、関が原の合戦の失態は致命的でもある。
大軍を率いて遅参して、思いきり家康に怒られている。

が、著者は、秀忠は官僚タイプだったという。
それも、かなり優秀だという。

武将としてはダメな秀忠だけど、新しい時代の官僚としての才覚はあって、家康もそれに気がついたと説を述べる。

家康が案をだして、秀忠が計画して実行する。
秀忠が優秀だから江戸ができた、という見方になっている。

本の題名は「秀忠、江戸を建てる」としてもいい。
でも、そうするとパンチが弱い。
読む前から「どうせ家康でしょ?」って思ってしまう。

しかしながら、この本を読むと、秀忠は悲運の将軍かもしれないという気がしてくる。

偉大な家康の影に隠れてしまって、3代将軍の家光までのつなぎ役というイメージになってしまっている。

もっといえば、名前に “ 家 ” が付いてないのも、なんだかハブられている感もする。

なんにしても、慶喜が秀忠を書いた。

これからの秀忠は、以外にすごいヤツ・・・と見方が変わっていくのではないか、という予感がした読書だった。

ネタバレあらすじ

第一話 - 流れを変える

伊奈忠次が指揮をとり、江戸湾に流れこんでいた利根川の流れを、鹿島灘へと大きく流路を変えていく。

東遷事業という。
親子2代で20年をかけた大事業だった。
これにより、江戸に水害がなくなり、居住域が増える。

現在、埼玉県と茨城県には “ 伊奈 ” の地名が残る。

第二話 - 金貨を延べる

後藤庄三郎は大阪の大判に対抗して、小判を流通させた。
これにより、金銀の重さを計る “ 秤量貨幣 ” から枚数を数える “ 計数貨幣 ” に切り替わっていく。

小判を鋳造した役宅は「金座」と呼ばれる。
現在は日本銀行本店となる。

第三話 - 飲み水を引く

春日与右衛門は、江戸の飲み水不足の解消を命ぜられた。

井の頭公園を水源として、江戸まで水道を引くしかない。
地元の農民であった六次朗は、江戸まで水路をつくる。

江戸の町には木管が埋められて、水が流し込まれた。
すると、途中あちこちで噴水となってしまった。
水圧が高すぎたのだ。

そこで、水流調整のためにつくられたのが、洗堰(あらいぜき)という石造りの分流装置となる。

現在では「関口」という地名と共に「江戸川公園」のなかに洗堰は遺されている。

またとない産業遺産だが、ひっそりと遺されており、立ち止まって眺める人は多くない。

第四話 - 石垣を積む

江戸城の建造には、多くの石が必要だった。
供出を命ぜられた石工の頭領の吾平は、長年の経験を頼りに、伊豆の山から石を切り出していく。

さらに大久保長安から供出を求められるが、いい石は切り出しつくされている。

吾平は、山師として伊豆の山に入る。
これはという巨石にぶつかった。

石工たちの技によって巨石は割れた。
しかし、仲間が命を落とす。

現在の大手門には “ 鏡石 ” という巨石が置かれている。
伊豆の石切場の山頂から運びこまれた石で、城を霊的に守る象徴的存在となる石だ。

ただ、当時と同じものである保証はない。

第五話 - 天守を起こす

秀忠みたいなタイプは創業には向かないが、新時代をつくる2代目としては有用だ、と家康は思っている。
そんな秀忠には、江戸城の建造を任せた。

合理的な考えで議論好きな秀忠は、天守不要論者だった。
が、家康は多くはいわずに、江戸城には天守が必要だといい、さらには白くするように命じた。

それまでの城は、黒が基調。
板に黒い漆を塗り、金箔を貼り込んだ装飾を施す。
黒と金のおごそかな取り合わせが、天下人の天守とされた。

秀忠は、家康の真意がわからない。
それがなにかを探る。

変装して現場に出て、そして気がついた。
装飾を施す彫金職人だ。
大阪から呼び寄せている彼らが、工期を遅らせている。

秀忠は、装飾の必要がないシンプルな城を設計する。
とすると、白くするためには、大量の漆喰が必要になる。

原料となる石灰は大量で、関東のどこにもない。
石灰がとれる山から探さなければならない。

秀忠は山探しからはじめる。

やがて、江戸城は完成した。
その日、天守には、秀忠と家康が向き合っていた。

秀忠は城の建造の過程で、白い天守が必要なのは、合理的な理由だけではないことに気がついていた。

天守から見る江戸の町が、白一色となっていったのだ。
天守に合わせて、武家屋敷、寺、商家の蔵などが漆喰で白く塗られていた。

戦が終わり、平和になったことを高らかに宣言するための白い天守だと、秀忠は真意の推察を述べる。

半分はその通りだと、家康はうなずいて答えた。
しかし、もう半分はちがう。

墓石だ。
平和になるまでの死者を祀る白御影の墓石だ。

若い秀忠だった。
天守が墓石だと聞いて戸惑うばかりだった。

家康は、その9年後に没する。

江戸城の天守は、約50年後に火事で全焼する。
以後、再び建てられることはなかった。

この白い天守が、平和のために、どれほどの貢献をしたかは推し量るすべがない。

しかし、少なくとも、この天守が日本の風景の原点となったことは確かである。

木造、瓦、白漆喰の組み合わせが生み出す美しさを庶人に知らしめた。

その意味では、江戸城天守は今も堂々とそびえ立っている。
日本人の心の中に。


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