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司馬遼太郎「項羽と劉邦」読書感想文

受刑者になると、手書きで文章を書くようになる。
月に2回の矯正指導日には、視聴番組の感想文も書くし、自身の犯罪の反省文も書く。
手紙も書く。

で、1年に1回、文芸コンクールというものがある。
○○矯正管区にある15ほどの刑務所と拘置所に収容されている受刑者から作品を募る。
絵画、書画、俳句、短歌、随筆、読書感想文の6ジャンル。

この「項羽と劉邦」の読書感想文は、その文芸コンクールに提出したもの。

読書感想文は2000文字。
便箋に線を引いて手製の原稿用紙をつくり、指で文字数を数えて、提出用紙に清書して提出した。
夏のことだったので、用紙が汗でしわくちゃになっていた。


刑務所での読書感想文の書き方

まともに学校教育を受けてない自分は、受刑者になって早めに学んだことがある。
提出が求められる感想文というのは、本当の気持ちを書いてはいけない、というもの。

提出物には、すべからく評価者がいる。
刑務所でいえば矯正教育を担う先生だ。
その先生が意図するところに狙いをつけて、いってみれば嘘だって書かなければならない。
そうでないと評価されない。
ここでいえば、反省したことにならない。

学校教育を受けた人には当然の書き方だろうけど、まともに学校に行ってない自分は、そこが最初はわからなく、正直な気持ちを書いて提出した感想文は低い評価ばかりだった。

また話が飛んだ。

要は、この読書感想文は、神妙に書いてます、盛ってます、自虐も交ぜてます、ということなのです。

1980年発刊|上中下巻|新潮社

受刑者としての読書感想文

「四面楚歌」で知られる戦いが、この長編のクライマックスになります。
楚の国の歌が波となり押し寄せて、項羽は、劉邦との戦いの潮目が変ったのを知り、愛馬を駆けて30万の囲みから脱出します。

楚歌のメロディーは、どんなものだったのでしょうか?

すごく知りたくて、検索などして調べたいのですが、未決囚の独居の中の私は、想像のみで読み進めるしかありません。
「蛍の光」にも似た、日本人が耳にしたときに思わずしんみりしてしまう歌かもしれない、との気持ちになるのです。

どうしてかといえば、2200年前の楚の人々と、現代の日本人との類似点を多く挙げながら、著者の司馬遼太郎は「項羽と劉邦」を描いているからです。

稲を育てて魚を採る・・・といった文化や生活の大きな類似点だけでなく、個人の気質や、戦いかたのパターンも、集団となったときの習性や行動も、社会に根付く考え方なども、細やかに類似点を示していきます。

日本人のルーツの一部をのぞいたようです。
項羽と劉邦を含めた楚の人々に、どことなく親近感を持ちながら読み進めました。
独居で裁判を待つ、静かで不安な日々も、情景を膨らませていたのも確かでした。

楚歌を振り切った項羽の一団は、ひらすら騎走します。
本拠地の故郷を目指しているのです。
名家の武将の項羽は、自ら先頭にたって敵陣に攻め込んで連戦連勝を重ねており、故郷に戻れば兵も集まり、劉邦への巻き返しも当然できるのです。

しかし長編は、終章に差しかかり、残りは10ページ足らず。
後には農民出身の劉邦が「漢」の皇帝となる史実の結果も、すでに著者により述べられてます。

多勢に追撃される一団は100騎ほどに。
やがて26騎に。

大河の岸に着いたときには、地元の老人が好意で小さな船を用意しました。
その船で、この大河を渡れば、本拠地の故郷です。
しかし、愛馬を降りた項羽は、逃げるのをやめたのです。
船を用意してくれた老人には愛馬を与えました。

最後まで戦うつもりです。
どのように後世に名を残してやろうか、という意気だけで刀を抜きます。
清々しい一途な姿に泣けてきました。
もどかしくて「そのまま逃げろ!」とも。
残り2ページで追っ手が殺到。
項羽は最後を迎えて本書は閉じられます。

読後に受刑者となった私は、この差し入れされた本を身元引受人に預かってもらいました。
そして刑を執行された当所で、官本にも蔵書されているのも見つけました。
また、2年ぶりに手にしました。

なぜ、劉邦の勢力が、項羽を負かすほど大きくなったのか?
不思議さが、再読のテーマになっているのを感じます。

劉邦は、5年にわたり項羽と戦ってますが、勇敢な姿は1度もありません。
毎回といっていいほど負けてます。
負けっぷりが半端ない。
すぐに臆して逃げます。

逃げ足だけは早いというスマートさはなくて、震えながらわめいて、命が惜しくて本気で逃げまくる。
あるときなどは、馬車を軽くするために息子を突き落として逃げもする。

もちろん本書は創作ですが、描かれている人々にはリアリティーがあります。
参考としている「史記」という書物の存在が、人々に生き生きとした動きを与えているのです。

漢の皇帝となった劉邦は、歴史学者の司馬遷に、公的な史書の編纂を命じます。
司馬遷は現地を旅して、当時を知る人々から話を聞き筆記して「漢書」が誕生します。
それとは別に、公表すれば身の危険となるエピソードを私的に編纂して、秘かに保管して、孫の代になって発見されたのが「史記」になると、著者はあとがきで明かしてます。
出来すぎる話よりも、生々しいエピソードが本書の核となっているのが再読でわかります。

著者ですら、なぜ、劉邦が皇帝にまでなったのかはよくわからない、と本文中に書いてます。
それでも「史記」によって与えられたリアリティーをピンセットにして、不思議さを覆う膜を1枚づつ剥ぎ取るかの目線で、劉邦の姿を晒していきます。

40歳手前で雑軍を率いて乱に参加した劉邦は、地元では評判が悪く嫌われ者。
雑軍だって、秦帝国の徴用の集合場所に間に合わなくて、このまま犯罪者として処刑されるよりは、いっちょやってやろうと乱に参加しただけであって、やってることは野盗です。
弱小の一群は行き詰まるが、優秀な人物が次々と陣営に加わっていき勢力は増していく。

でも、劉邦には、こういったものにはありがちな、器が大きいだとか、人望だとか、人を見る目といった美質は持ち合わせてもない。
無作法で、思慮が浅く、学識も知恵もない。
戦略なども、ありっこない。
理念といった類も、かけらすらない。
大軍の将としては不適格な人物を文面は造形していきます。

長所としては愛嬌がある。
人の話を聞く。
気前のよさがある。
そのくらい。
いや、それくらいしかない。

不思議さの答えは一文で表せなく、薄い膜に覆われていて、ぼんやりしたままで、再読は終わりの2ページに。
最後まで戦った項羽は、ついに力尽きて討ち取られる。

すると、多額の懸賞金がかけられている項羽の死体に、兵が爪を立てて群がる。
味方同士で死傷者がでるほどの奪い合いになる。
騒ぎが収まったときには、項羽の死体は5つに引きちぎられている。
一握りの髪の毛を持つ者、衣類の一部も持つ者もいる。

事後、劉邦は細かいことはいわず、本来は1人を対象にしていた懸賞金を、まずは5等分する。
髪の毛や衣類を持っていた者にも懸賞金が渡るように、5等分から差配していく。
眉ひとつ動かすことなく、それらをやってのける。
このことは劉邦の本質を象徴していないでもない、と締めくくられて終了となります。

恐ろしいと息を飲みました。
受刑者がいうのも変ですが、思いがけなく悪人を身近で見た恐ろしさです。
重なり合い、噛み合う欲を手掴みできる大胆さが、劉邦を恐ろしく感じさせて、劉邦の不思議さの一部が見えた感想が残りました。

この本を次に読み返すのは、ここを出所して社会復帰してからです。
そのときには、静かに本を読める時間を持てるのか。
欲に恐ろしさを感じることができるのか。
早く以前の自分と比べてみたい。
そう思った読書でした。

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