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清水一行「銀行恐喝」読書感想文

『不正融資』と改題してもいい。
とある地方銀行の不正融資が描かれている。

1945年の終戦後から、1998年の平成10年にわたる時代の変化が、やがては不正融資となっていく。

作中には “ N県の西海市 ” とある。
これは、長崎県の佐世保市だとは10ページも読めばわかる。

巻末の解説では、同じく作中にある “ 西海銀行 ” とは ” 親和銀行 ” だと明かされている。

1998年の『親和銀行不正融資事件』だ。
元頭取らが、商法の特別背任容疑で逮捕されている。

翌年に、親和銀行が不良債権として処理した額は146億円。警察が立件した不正融資は、約65億円となっている。

発端は、元頭取の女性スキャンダル。
その隠蔽が不正融資を重ねた。

その『親和銀行不正融資事件』と、この作品の発端も結末も、おおよそ合致している。

作中では、頭取が女性と体を重ねる姿が写真で撮られているが、実際はビデオだったとも解説では明かされている。

事実は小説よりも奇なり、という。
「そんなバカなことあるのか」という不思議さが現実にはおきてしまう。

そこを清水一行はリアルに書く。
不正融資を事件に仕立てた “ 犯人 ” までも織り交ぜている。

1998年に事件となって、翌年の1999年には小説として発表しているということは、清水一行からすれば、どこにでも潜んでいるありふれた事件だったかもしれないと想像もした読書だった。


ネタバレあらすじの冒頭

西海銀行本店の7階には、九州弁のダミ声が響いていた。
頭取応接室からだ。

声の主は、先の選挙で落選した保守系の元議員。
政治献金を見合わせたいと申し入れて怒鳴り込まれたのだ。

「あんたはこのワシば、バカにしとるとか!」
「わたしのご説明が至らなかったということでしたら、どうかご容赦ねがいます」

65歳の久慈は、ペースを乱さず対応する。

昨今は大蔵省の監査が厳しくなりましてと理由を挙げているが、元議員と西海銀行は長い付き合いがあった。

矛先は、同席していた秘書室長の落合に向かった。

「おい、落合、銀行はどれだけ儲かっている」
「はい、経常収益が658億円、経常利益が69億円で、利益金は33億円でございます」

元議員は怒鳴り散らすのをやめた。
月に10万か20万の献金なのだ。

N県の公共事業を増やしてきたではないか、地元経済も潤ったではないか、銀行も収益を上げたではないか、と元議員は理を尽くして献金の継続を説得する。

経費の見直しにも迫られてましてと応えられると、久慈が新築した自宅の土地の取得について、落成祝いの届け物について、根拠もない噂を言い立てる。

なにも問題はないはずだと、久慈は内心で考えながらも対応を続ける。
やがて、会議がはじまるのでと、面談は打ち切られた。

怒りを隠さない元議員は、帰り際に不穏なことを言い残す。
地元から恨みを買っている、という。

実際に、そのとおりと思われた。
久慈は懸念を強くする。

というのも、平成元年に久慈が頭取となって3年が経つが、新規の融資は縮小されていた。

ただこれは、拡大するのみだった昭和の経営から、変化して生き残らなければならない平成の時代の変化でもある。

文庫本|1999年発刊|316ページ|光文社

■初出■
1999年3月~5月 週間宝石連載

■解説■
香山二三郎

ネタバレあらすじの続き

昭和30年代の西海銀行本店の頭取室で

「おやじさんに、よろこんでもらいたいんですよ!」

若い黒川の姿があった。
毎日のように頭取室に出向いて、そこにいる2回り年上の酒井を「おやじさん」と呼ぶ。

自宅のほうには、秋には新米も届けて、季節の魚も届けたりと手抜かりがない。

酒井も「クロ、クロ」といって面倒をみて、フリーパスで頭取室に通した。

2人が面識を得たのは、前頭取が衆議院に立候補した選挙戦。
黒川は、炭鉱関係者と漁業関係者の票を買収して、とりまとめて逆転当選に尽力した。

これからの時代はお座敷で芸者ではありませんと、黒川はキャバレーをはじめて成功もしていた。

この後に、タクシー会社の買収と、ホテルの買収と “ 黒川観光 ” は年商50億円の企業グループとなっていく。

すべてが西海銀行の融資だった。

「まあよか、その女にも1度会おう。それと黒川商事もつくればよかたい」

酒井からの返事は、新しい愛人の了承だった。
愛人への毎月の手当てまで含めて、黒川は段取りをする。

西海銀行は、支店が130余りで女子行員は1000名を超える。
それら制服や備品は、ペーパーカンパニーの黒川商事を通して購入するようにする。

黒川商事の役員に愛人の母親を据えて、そっちへ給料を払えば問題はない。

自動販売機などの備品も黒川商事が購入して、西海銀行にリースをすれば経費削減の名目もつきます、と酒井にとってもやりやすい。

「ほんとうにおまえは、悪知恵がはたらくのう」

昭和のこの時代。
地方銀行の頭取といえば “ お殿様 ” と呼ばれた。

『よきにとりはからえ』といっておけば物事は進んだし、愛人の2人3人は笑って済まされるものだった。

酒井は、頭取を24年間務める。
高度経済成長も重なり業績を伸ばし、西海銀行の “ 中興の祖 ” と称される。
ワンマン経営が続いて、内外から “ 天皇 ” とも呼ばれた。

しかし時代が平成になると変わった。
愛人は許されるものではなくなってきた。

バブルを経て、総量規制が施されて、銀行融資も厳格となってきていた。

個人的な付き合いや情状で、銀行融資が受けられる時代ではなくなってきていたのだ。

かといって地方銀行は、簡単には地元の会社は切れない。
「あの銀行は冷たい」「面倒見がわるい」と印象が広まって、地元の預金者が離れていく事例は多くある。

酒井も病没していた。
70歳を超えた黒川のほうも、その事情はよくわかっているが融資は必要だった。

すでに、西海市の商工会議所副会頭でもある。
明治創業の高級割烹旅館のオーナーでもある。

地元の財界人ともいえたが、西海銀行からの融資が渋られた分は、農協系ノンバンクから借りている。

10いくつもの農協に頭を下げて回らなければならない。
借入金額も大きいので、金利1%の差も大きい。

月に1度は、商工会議所会頭もしている久慈とは顔を合わす。親睦のためと、その後の会食の約束もするが、理由をつけて帰られてしまう。

頭取室にいくのも、今では年に3回。
アポイントをとってからとなる。

久慈の態度こそは横柄ではないが、昔を思うと不満ではある黒川だった。

壱岐のリゾートホテルで

「ヤダー、トウドリサンッ、オボエテオラントね」
「めんもくない・・・」

ブラジルハーフのマリコは明るくいう。
壱岐のリゾートホテルでの朝だった。
久慈が目を覚ますと、隣には全裸のマリコが寝ていたのだ。

決算が無事に済んだお礼にと、黒川に泊りがけのゴルフに招待されたのだった。

普段だったら久慈は断っていた。
応じたのは、あの元議員の帰りがけの不穏な言葉が引っかかっていたからだった。

久慈の態度が、いっときだけでも、わずかに変えさせたのを黒川は見逃さなかった。

地元の人目を気にする謹厳実直な久慈のために、壱岐にあるリゾートホテルを貸切状態にして、キャバレーの女性を同伴させて、酒も肴も取り揃えてと、手を尽くした接待ゴルフを催した。

老いたとはいえ、機を見るに敏なりの黒川だった。

ゴルフのスコアがよく機嫌よく大浴場につかる久慈には、いきなり、お気に入りのマリコと混浴をさせる。

夜の酒席になると、久慈は照れながらも、マリコとサンバまで踊り、ぐっすりと寝たのだった。

行為まで及んでない。
が、寝ているときに、裸のマリコと絡む写真を撮られた。

いや、撮る予定だったが、久慈が楽しむ姿を目にして、そこまでやらなくていいだろうとした。

真面目で折り目正しい久慈の性格からいって、写真で弱みなど握らなくても、これからも融資の相談に乗ってくれるだろうと見込んだのだ。

が、同席していた呉は、万が一の切り札として撮るという。
リゾートホテルの社長の呉は、来月に迫る1億8000万円の手形決済資金に窮していた。

が、黒川の読みとおり写真など必要なかった。
ゴルフから帰ってからの久慈からは、呉の手形決済資金の融資の言質を取り付けたのだった。

ブラックジャーナリストの申し入れ

「そういう話は総務のほうにいってくれないかな」

秘書室長の落合の元に、立石が訪れていた。
前任が総務部次長だった落合とは面識があった。

立石は『西海経済ジャーナル』の代表。
タブロイド判の新聞で、月に1回発行されている。

代表とはいっても、広告の営業もやっているし、編集もやっているし、記者も兼ねている。

記事の裁量は、広告料と賛助金次第になる。
いわゆるブラックジャーナリスト。

『西海経済ジャーナル』には、西海銀行は1年に10万を広告代として支払っていた。

「今回ばかりは、総務では手に負えないものでして」

立石いうには、久慈と若い女性が絡み合っている写真が流出しかけているというのだ。

ついては向こう1年間だけ、広告代を月200万の年間2400万円にしてくださいという。

これが、以前の酒井頭取だったら「そんな話は、そっちでなんとかしろ!」と部下を一喝して済ませる話だった。
部下としても、ものごとを秘匿するのは美談になる。

ところが報告を受けた久慈は、目を釣りあがらせて唇を震わせている。

すぐさま問いただされた黒川だった。
黒川としては、出所が呉だとはすぐにわかったし、もちろん意図してないことだった。

呉は認めた。
手形の決済資金を確実にしたいがために揺さぶりをかけようと、立石に写真を回しましたと弁明した。

黒川は怒鳴りつけたが、立石は厄介な小悪党だった。

事件か、金で解決か

責任を感じる黒川は、収拾をはかるため、懇意にしている地元の暴力団の力を借りるという。

久慈としては、暴力団とは関わりを持ちたくない。
公認会計士の大和田に相談した。
西海銀行顧問でもあり、世知に長けている大和田だった。

その大和田から紹介されたのが新見だった。
経営難に陥った九州日報新聞の建て直しをして、現在は同社の顧問をしている。

本業は宝石販売の実業家であるが、スキャンダルを抑えるツボを知っているので、弁護士よりも対処できるという。

黒川のほうの動きを止めて、すぐさま新見が挨拶を兼ねて西海銀行本店に訪れた。
事情を聞いて、もみ消しを請け負う。

すでに、スキャンダルとして噂は広まっているらしい。
数日中のうちだった。

総務課には総会屋と政治団体の類。
広報課にはブラックジャーナリストの来訪者が相次いだ。

いずれも、頭取の女性関係についてお尋ねしたいとの用件だが、何も知らない行員は対応に困惑する。

その件については、すべての窓口を落合として、新見に対策を急かせるべく呼ばれた。

来訪者の14枚の名刺を確かめた新見はいう。

「1人1人潰していったのでは間に合いません。今のうちに相当に睨みがきく人物に話をつけてもらわないといけませんが、となると2億円は必要でしょうね」

久慈と落合は同時に呻いた。

が、恐喝事件にしてしまうと、少しでも金にしようとマスコミに売られてしまう。
中途半端な金額でも、かえって逆効果になってしまう。

久慈は公にはせずに、今のうちに金で解決する選択をした。

現金2億が調達された

工作費用となる2億は現金だという。
翌月に払います、とはいかないので1週間で。

落合としては裏金で処理するつもりだったが、2億の裏金ともなると、ほかの役員にも話を通して協力が必要になる。
久慈は自分で用意するという。

相談を受けた西島が、2億の調達に協力した。
まずは西島建設が、西海銀行から2億の融資を得る。

そのまま2億は、親族の九州建材に貸し付ける。
久慈は形式だけは自宅を担保に入れて、九州建材から2億円を借り入れる。

「私は頭取からお金を返していただこうとは思っていません。それよりも頭取は、1年でも長く頭取を続けていただきたいのです」

西島としても、この件で久慈が頭取を辞任したら事業が立ち行かなくなる。

融資を継続してもらえば、年に2000万ずつ償却して10年でゼロになる。

こうして現金2億は、新見に支払われた。

来訪者の動きは止まった。
久慈はホッとする。

1回の間違いが2億・・・。
いや、名誉を2億で買ったのだ・・・。

途端にだった。
マリコを抱きたくなってきた久慈だった。
今まで関係を持った、数人の女性のうちの1人なのだ。

思わず黒川に電話。
マリコがどこにいるか尋ねた。

が、黒川には驚かれて、もうすぐマリコはブラジルへ帰るし、今はやめたほうがいいのではないのでしょうか、と諭されただけだった。

千葉県山武郡の30万坪が譲られた

「さすが、いっちょ噛みの新見といわれるだけあるよ。いつも、おいしい話が舞い込んでくるな」

実は。
最初に西海銀行本店に訪れた新見は、頭取室を出てからはタクシーで暴力団事務所へ直行していた。

そこの組長が、まだ使い走りだったころからの仲だった。
2人で組んで、怪しい人物を14名ほど銀行に向かわせて、工作費を2億に吊り上げていたのだ。

大元となっている立石と呉には、ベタな脅しをかけただけ。
もし脅しがきかずに相手が対抗してきたら、それはそのときに考えようという適当な揉み消しだったが、何事もなく済んでいた。

とすると、2億円の配分である。

新見としては半分に割るつもりだった。
組長は全額という。

「はじまったばかりだろう。2億は入学金だ。これから西海銀行から月謝をとればいい」

そうアドバイスしたのは、公認会計士の大和田だった。
西海銀行からは、事業の融資を受ければいい。
揉み消しの2億など、組長に渡したほうが得策だという。

いくらなんでも組長のほうも、新見を手ぶらで帰すような無理はしなかった。
千葉県山武郡の30万坪の土地の権利書が譲られた。

ただこれは “ 国定忠治 ” と呼ばれる土地。
役人でも入り込めないという比喩の辺鄙な土地だった。

坪5000円の評価額として、30万坪で15億。
その7掛けが常識の線だけど、なんとか8掛けの12億。

これを担保に、この30万坪で霊園事業をはじめるので開発資金の融資をお願いできませんか、との申し入れに久慈は応じた。

嫌々ではない。
1件か2件ほどは申し入れはくると思っていたし、事業の資金だし、霊園事業は有望だし、正規の手続きを経て実行される融資だったから問題はない。

組長にも頼まれて、所有する雑居ビルを担保に3億5000万の融資も申し込まれた。

久慈から指示されて、西海銀行東京支店の取り扱いとなり、2件の融資は実行された。

こういうことか、と新見はつぶやいた。
正直なところ、最初の2億は、うまくいくかわからなかった。

しかし金というのは。
1度、道ができてしまうと動いていく。

金額の多い少ないは、あまり問題にはならない。
12億でも3億5000万でも手間は同じ。

まだいけるな、と新見はつぶやいた。

2億をドブに捨てた男

公認会計士の大和田のアドバイスとおりだった。
暴力団と金の配分などしないほうがよかったのだ。

『2億をドブに捨てた男』として、なかなかできることではないと、実業家としての株が上がったのだ。

新見は、A・アール社の融資の仲介も頼まれた。
年商200億の宝石販売の会社だ。
東証の店頭市場に株式公開している。

業績は不調気味だが、ロシア連邦のサハ共和国で産出されるダイヤモンドの独占販売契約を結んでいる。

世界のダイヤモンド流通を独占している、デビアス社の価格支配を受けない販売が可能だ。

S百貨店への出店予定もある。
業績の好転は見込まれていた。

こうなると、融資額の1%だか2%の仲介手数料を得るよりも、経営に参加したほうが利得が大きい。

A・アール社の社長の神谷も、それを承諾した。
来年の春には、第3者割り当て増資を予定している。
増資の払い込み金は、1株550円。

現状の株価は、2600円前後。
仕手筋絡みであるが、高値を維持している。

信義にもとる行為にはなるが、割り当て後に市場で売却すれは5倍になる。

新見は、新会社『秀宝』を設立して、A・アール社の第3者割り当ての100万株を引き受けた。

西海銀行東京支店からは、株取引の資金として『秀宝』に10億円が融資された。

株価暴落が発端だった

A・アール社の株価は、仕手を仕掛けていた本尊が退いた途端に1000円近くまで急落。

しかし第3者割り当ての株券は、期日がくる前は売れない。

新見は、A・アール株を買い支えたが、1000円を切ると一気に500円までさらに急落。

今なお市場では、売り気配が続いている。
新見と神谷の資金繰りは悪化した。

西海銀行東京支店には『秀宝』の約束手形がたびたび持ち込まれて割り引かれた。

東京支店は懸念。
本店に要望書が提出された。

久慈と新見の話し合いがされたが「これで最後ですから」と、ダイヤモンドを担保にして15億円が追加融資された。

そのあとに「最後といったのはダイヤモンドの担保が最後という意味です」と追加融資となる。

千葉県山武郡の30万坪の霊園予定地は、神谷の関連の運送業組合が買い上げてオートキャンプ場に転換しますと、結局は総額35億円の融資となる。

合計すると、5年間で計80億円余りの融資となった。

マスコミの報道がはじまった

「政治団体の誠心塾から街宣活動の届出がありました。どうしますか?」

N県の公安委員長も務める久慈の元には、県警本部長からの電話が入った。

届出された街宣ルートには、銀行本店と自宅が含まれているという。

警察のほうで止めてほしいと言ったが、届出された政治活動を止めることはできませんと本部長も困っている。

久慈は焦る。
女性スキャンダルがあるらしいと周囲に洩れているのだ。

5年前だとはいっても、騒ぎ立てられたくない。
女子行員にも、妻にも、恥ずかしい思いもさせたくはない。

相談を受けた黒川が、懇意の暴力団事務所まで駆け込んで、組長が説得に飛び出して、この街宣活動は中止された。

もちろん黒川としては、一連の責任を感じての善意の行為だった。

が、暴力団側からは、後日になって西海銀行N駅前支店に5000万の融資の申し込みがされた。

当の久慈からは無視されてお礼の一言もない、という当て付けもある申し込みだったが、こんなのに融資したら銀行の社会的責任が問われると役員の意見が一致。

直ちに被害届が出された。
恐喝未遂として逮捕者が出るに至る。

この事件は、銀行側の意向もあり、警察の配慮により発表されなかった。

しかしどうしたことか、全国紙の中央新聞が連日取り上た。
中央新聞の記事は詳細で、恐喝未遂だけでなく、発端のマリコから融資にまで及ぶ。

マスコミ各社が食いついた。
おもしろおかしく報道もされた。

マリコはブラジルのハーフ。
マリコはエキゾチック。
マリコはダイナマイトボディー、等々。

銀行と自宅には、非難と罵倒の電話が殺到した。

「預けた金で、ブラジルの女といちゃついているのか!」

八方塞がりの久慈は、失意のまま頭取を辞任する。

マスコミの報道が落ち着くまで自宅にこもる久慈だったが、その日、お寺まで出かける。

毎月欠かさない、母親の墓参りだ。
妻も一緒に歩くという。

しかし今、西海の街では好奇の視線もある。
嘲笑もある。
それを久慈は慮る。

「もっとマスコミがうるさくなったら、2人でブラジルへ遊びにいきましょうよ。マリコさんに会いに」

戸惑う久慈の腕をとり、妻は明るく笑って歩いた。

後続の頭取には藤井が就任した

「もちろん役員人事は、頭取のお考えの通りにさせていただきます」

久慈が頭取を辞任するときだ。
有能とはいえないが、忠実ではある副頭取の藤井は、後続の頭取の指名に深く頭を下げた。

久慈は頭取こそ辞任したが、代表権をもつ会長に留まる。
これからは銀行だけでなく、地域経済のためにも働きたいと意欲もある。

新たな西海銀行の経営陣は、女性スキャンダルの対応による論功行賞人事で構成された。

が、このときばかりは、頭取を辞したくらいでマスコミ報道は収まらなかった。

日本全国から噴出したようにして、総会屋の利益供与、乱脈融資、不良債権など取り上げられていた時期だった。

大蔵省からは “ IBS基準 ” が示されて、これからの銀行は自己資金を増やさなければならない状況となる。

西海銀行は、中間決済の粉飾も疑われる。
日銀による考査も行われた。

警視庁が内偵をしているとの噂もあり、新見の件が不正融資として立件される可能性も出てきた。
いわゆる “ 怪文書 ” も飛び交う。

「久慈さんの力はもう必要ない。むしろマイナスだけだ」

新頭取の藤井は、そう公言する。
会長職に留まる久慈への批判が表面化してきた。

黒川はどうなったのか。

マスコミの報道で、黒川も無傷ではなかった。
商工会議所の副会頭も、観光協会の会長も辞していた。

もみくちゃにされて過労で入院した黒川に電話をすると、涙声で詫びてきた。

「久慈さん、本当に申し訳ないことをした。もう時代が、わしという人間を必要としていないんです。もう疲れた。もう引退します」

時代が必要としてないという黒川の言葉は、そのまま自分に当てはまると聞くばかりだった。

すでに久慈も、銀行の会長も、公安委員長も、商工会議所の会頭も、すべての役職を辞していた。

頭取室での禅譲

そのころ。
西海銀行の役員会では。
新見への融資が取り沙汰されていた。

すでに新規の融資はストップしていたが、担保設定が甘くて、回収の見込みが難しくなっていた。

「君だって知っていたのだろう!正義漢ぶってなんだ!」

頭取の藤井と、常務に昇進した落合が対立していた。
落合は、それら融資には関わってないことを盾にとり、藤井の責任を追及している。

「お言葉を返すようですが、正義漢などと感情的な個人攻撃をする場ではありません。IBS基準をクリアするための協議をしているのです」

頭取を2期務めるころになり、銀行トップの居心地のよさを知った藤井ではあったが、状況は好転してない。

警視庁とN県警は、合同での捜査本部を設けて、西海銀行の不正融資として立件する動きもある。

ついにその日。
西海銀行本店の頭取室には落合がいた。
緊急の報告があるという。

銀行側から逮捕者が出るらしいとの情報が、記者経由で入ってきたいう。
すぐにでも頭取を辞任するよう、藤井に迫っていたのだ。

「わたしがやります」
「なに・・・」

後継の頭取には、落合が自ら名乗り出た。
一方的に迫るだけでなく、今後の藤井に有利となる条件も示された。

後継の指名して禅譲すれば相談役に就かせますと、司直の捜査の心証もよくなるように最善の努力もしますと約束もされた。

「頭取、ご決断ください」
「君に・・・、やってもらおう」

しばらく窓の外を眺めていた藤井は、ポツリとつぶやいた。
落合頭取が決まった。

ラスト4ページ

藤井頭取の辞任と、後継頭取の就任の記者会見の場が持たれた。
会場には、中央新聞の記者がいた。

一連のマスコミ報道の発端となった中央新聞の、最初にリークの匿名電話を受けた記者だった。

「大変な時期に、藤井前頭取から大役を拝命いたしました落合でございます」

落合の挨拶の声を聞いた瞬間に、記者はハッとした。
鼻にかかった低い声。
あのリークの匿名電話は落合からだ。

とはいってもリークしたときは、頭取の椅子の奪取までは計算してなかったとは思う。
タイミングがよかった。

リークはアンタだろと一言いってやろうとも思ったが、知らないフリをするのも記者の蓄積となる。

仕掛け人の手に、すべてが転がりこんで、いまピリオドが打たれたのだ。

頭取となった落合は、経営の健全化を前面に打ち出した。
経営陣の若返りと、古い体質の一掃を掲げて、5人の役員が追放された。
落合人事は、銀行の内外では好感をもって迎えられた。

平成10年5月29日。
西海銀行頭取の落合信博は、商法の特別背任容疑で4名を告訴。

久慈悟元頭取、藤井達夫前頭取、ほか不正融資に関わった元常務2名となる。

これを受けて、警視庁捜査2課とN県警捜査2課は、秀宝社長の新見和義、A・アール社長の神谷修一を加えた計6名を逮捕した。

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