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死について考える【87日目】

何かに熱中している時というのは時間がすぎるのがあっという間だ。ある意味、死へのカウントダウンも早まるわけだが、ぼーっと過ごして、ゆっくりした時間を過ごすよりかはだいぶましだと思う。人によっては、もちろん、ゆったりした時間の方がよくて、何かに熱中して時間を潰すことが嫌な人もいるだろう。たしかに、死への時間は長引けば長引くほど良かったりする。そういう観点からすると、かなり矛盾するわけだが。

早く死にたくはないが、それでも熱中できるものは欲しい。熱中することによって、時間の感覚が短くなろうとも、それだけの達成感を得られるだろう。つまり、長く生きるということよりも、脳への幸福感を満たすのだ。

よくロックをする人は、ロッカーは早死にすると聞く。それほどに熱量を持って取り組んだのか。やはりそれがロックなのか。ヘビメタとはまた違うのか。ラップとはまた違うのか。魂の叫びで魂をすり減らしているのか。

どちらかといえば、そういうロックな人生を送りたいとも思う。というよりは、そういう生活のが楽しそうだ。ゆったりした生活もいいだろう。どうぶつの森のように。しかし、あれは、ふだん忙しい人が癒されるためにやると効果的面なのだろう。違った側面ももちろんあるが、そういう生活を所望しているという意味合いにおいては、だ。

田舎暮らしを憧れるということが、それほど、都会暮らしが忙しく離れたいということだ。田舎ならのんびりできるだろうから。逆に、田舎から上京したいという人もいる。それほどに、田舎はゆったりしすぎて、楽しみが少ないからだ。そして、その楽しさは直接経験しないとわからないことだけれども、最近では、ネットの普及もあり、その知識を取り入れることは可能なのだ。都会の煌びやかな生活を田舎にいても見ることができる。そして、それを体験すべく、上京する。もちろん、それが理由でない人もいるが。

やりたいことをやりたい時にできるというのはとても幸せなことだ。それと同時に、熱中できることがあるというのもまた幸せなことだ。やりたいことに熱中できることが最高に幸せなことだ。現実、なかなかそううまくはいかない。しかし、そういう目標がある人は、そこへ突っ走っていける。それもまた幸せなことだろう。しかし、その目標がなく、しかし、そこへたどり着きたいという迷い人になった時、それは不幸せであろう。もがき苦しみ、暗中模索する。これぞ地獄かと言わんばかりに。

その体験から脱するためには、糸を誠実に登らなくてはならないのだろうか。バッドエンドしか見えないが。他のことを考える余地もないか。なかなか難しい様よ。

しかし、何かしら行動しないと新しい物語はできないわけで、結末を変えることはできないわけで。

死への時間は限られているからこそ、今のうちにしっかり考えておきたい。

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