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死について考える【52日目】

死は突然という話だった気がする、前回。それはさておき、大自然における人間の無力さを少し話せればと思う。

ほんと自然って恐ろしいなと。例えば、海。海で溺れることを考えてみて、いや、大海に投げ捨てられたことを考えて、水泳の選手、特に長距離も行けるような人でない限り、絶望も絶望だろう。ぷかぷかと浮かんでれば良いと考えているのは何とも考えが浅い。浮かんでいるだけでも日差しにやられるのだ。浮かんでいるとサメがウミガメと間違えて襲ってくるのだ。平泳ぎも同様。そもそも泳げたとしても、海という大きな存在に、途方の暮れるような広大さに心をやられるだろう。だからといって、溺れようとするとそれもまた苦しく、死ねないのも辛いのだ。

例えば、雷。雷に当たると70%の確率で死ぬらしい。この梅雨の時期、また夏にかけての積乱雲の出来よう。そして、雷は突然にやってくる。傘をさして外を少し歩いてるだけでも当たる確率があるのだ。落ちた瞬間を見たことをあるだろうか。動画を探せばこの時代いくらでもあるわけだが、木が、大木がいとも簡単に真っ二つなのだ。そんな雷を人間が食らって死なないなんてことはありえない。30%の奇跡で助かる可能性はあるが。

津波、噴火、台風、地震、様々な災害があるわけだが、これを甘く見てはいけないのだ。大自然の前に人間はかなり、非常に、極度に無力なのだ。立ち向かえるものではないのだ。つまり、出会ってしまえば、それは死を覚悟するべきなのだ。

隕石なんてもってのほかだなと感じる。突然爆風にさらされて、寝てる間にいつの間にかぽっくり。そんなこともあるのだ。明日死ぬかもしれないという考えは、実は現実に起こりうる可能性をかなり秘めているといっても過言ではない。

だからこそ、明日死んでも良いように今日を生きるのは意外と大事なのだろう。しかし、だからといって、その日暮らしすればいいのかというとそういうわけではなく、将来のことも考えつつ生きなくてはならない。この矛盾した状態にさらされて悩みに悩むだろう。とてもつらい問題だ。この答えももちろんない。

どちらのほうが生きやすいか。時と場合によって使い分ければいい。そうだ。ずっと信念のようにもつ必要はない。その時、どうしたいかを考えて、それはどういう状況で、必要なのかを考える。今を生きる、のもまた大切な考え。

そういうのを取っ払って生きるのもまたあり。難しい問題だが、また向き合えれば良いなと思う。今日も10分。ありがとうございました。

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