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死について考える【96日目】

例えば雷に打たれたのであれば、死亡する確率は大いに高いだろう。

夏は積乱雲が発達し、急なゲリラ豪雨を起こす。そのゲリラ豪雨と共に押し寄せるのが雷だ。積乱雲の中で起こるその雷は、落ちれば多大なる被害を及ぼす。家は燃え、人は死に至るのだ。雷に当たる確率は宝くじと同じくらいと言われているが、環境、土地によって異なるだろう。雲のできやすい山の方なんかはよく落ちるものだ。また、高いものが近くにあれば、落ちやすいのも当然。雷は恐怖のほかないであろう。

まだ人類の科学が進んでいないせいもあり、雷を扱う技術というのは存在していない。雷を吸収し、その力をエネルギー源とすることができれば、どれだけの恩恵を受けることができるか。それは電気を起こす必要を抑え、発電を抑え、火力発電などを抑え、火によって出る二酸化炭素を抑え、環境破壊すらも抑えることができる。雷は恐怖の存在ではあるが、それを扱うことさえできれば、メリットはかなり多い。そのためには、科学の発展が重要なわけだが。

雷ができるほどの積乱雲は雨を一度に多く降らす。その雨量によっては、山が削られ、川は溢れ、人々に違った災害をもたらす。洪水があり得る災害の一つであろう。洪水もまた、人の命を奪っていくものだ。

そういった災害に遭い、死んでしまうことだってあり得る。日本は地震大国だから、地震でやられることも多いだろう。そうやって、突然のことで死に至ることは珍しくないのだ。宝くじに当たる確率とはいっても、当たる可能性があるというのは恐ろしいものだ。かなり確率は低くとも、そこへ巻き込まれてしまえば元も子もない。飛行機だってそうだ。あれは特に人的ミスも重なる場合が多い。人的ミスは災害よりも確率は高いだろう。人間なのだから、人なのだから、で簡単に済まされる問題ではないが、この言葉はある意味適当だ。

日常生活を見渡すと、様々な箇所で、死に直結することがある。道を歩いていても、車が突っ込んでくるかもしれない。ただ食事をしているだけでも、その食事によって、血液がドロドロになり、脳梗塞を起こすかもしれない。夏のいまは、熱中症で倒れて、そのまま亡くなる可能性もある。お正月にはおもちが有名か。考えれば考えるほど、すべてがリスクになり得る。それでも、人々はそのリスクを考えずに、もしくは、避けて生きている。

それは当たり前のようで、なかなか意識できていないことであろう。いつ死んでもおかしくない状況で、どう生きるか。いつ死んでもいいように生きるのが適切なのだろう。そういう生活ができているのか。改めて見直さなくてはならないわけだ。こういうことをもう90日以上言い続けているが、果たして何が変わったのか。あまり変わっていないように思える。そんな自分が腹立たしい。

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