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地域移住と学校生活【バリから始める地方創生(8)】

3月17日。昨日は長男の小学校の卒業式でした。月並みですが新しい門出に胸がいっぱいです。

1年前にはこんな卒業式を迎えられると思っていませんでした。というのも長男の学年には問題が頻発していたからです。いじめに値する行為が行われていたこともありました。

転校してきたのは4年生の2学期。自然豊かな田舎の町で生徒数も少なく担任の先生の目も行き届くはず。そのころ妻も僕も学校問題については全く注視していませんでした。

実は難しい地域への転入問題

地域(過疎地)の小学校というのは少人数です。ここは1学年に1クラスのみで10人前後。そしてそのほとんどが保育園からの幼馴染です。すでに出来上がった人間関係が10年近く続いているわけで、人間関係が固定化されています。

つまり、強い子はずっと強いし弱い子は弱い立場のまま。そうなると弱い立場になったことのない子供は相手の気持ちが想像できず、弱い立場にいる子はもっと弱い立場の人間を見つけるとそれを固定化しようとしたり。

外から来た新しい子供なんて恰好の標的ですよね。お互いを信用できないような空気感はこうして出来上がっていたように思います。

しかしもともとの地元の子供たちにとっても新しい人間を受け入れるということはストレスであったはずです。人間関係の固定化も新しい人がいないという環境も彼らが望んでそうなったわけではないからです。

都会であれば放課後の公園や習い事など学校以外の人間関係が生まれてそこでいろいろな立場を経験すると思うんです。ただ地域ではそういったものが少なく、あっても同じ人間関係の続きだったりするんじゃないでしょうか。人間関係をシャッフルされる機会が極端に少ないと感じました。

新しい先生の登場

そんな関係が変わっていったのは6年生になって新しい先生が来てからでした。その先生は最初生徒たちの心の閉ざしように戸惑ったそうです。

僕も息子の話を聞いたり、授業参観で様子を見たりしていましたが、今までにいなかった新しい男の先生を前にして明らかに警戒している様子でした。

そのころには先生方のお力もあっていじめと呼ぶほどの行為はなりをひそめていたんですね。けれど生徒間の力関係や広がるお互いへの不信感は根強く残り、きっかけさえあれば誰かが標的になりそうな雰囲気。

そんな中その新しい先生は毎日一緒に子供たちと遊び、怒るべき時に怒り、はじめは警戒していた生徒たちも徐々に「この先生なら信じてもいいんじゃないか」と思い始めたように思います。この先生の前なら正しいことをして周りから目をつけられても守ってくれる、と。

2学期に入るころにはクラスの空気も目に見えるほどに変わり、3学期にはお互いの家で遊ぶようなことも増え、1年前には想像もできなかったお互いにふざけ合える、みんなで写真を撮って笑い合えるクラスが卒業式にありました。

相手の気持ちがわかるということ

「正直、始めはみなさんめちゃくちゃ心を閉じとってこんなに懐かれなかったことも初めてで、もうこのまま距離を取って無難に1年をこせばいいかと思ったりもしました。その方が楽ですからね。」
とその先生は卒業式の後の教室でおっしゃってました。

「でも皆が誘ってくれて、毎日一緒に遊んで、そしたらあの時とは比べようもない笑顔の出るクラスになったよね。」

先生は男の子たちの輪にも入り、女の子たちの輪にも入り、ただ教師というだけでなく、一人の仲間としてそこにいたんじゃないでしょうか。

つまり一人でその場の人間関係をシャッフルさせて、新しい関係性とそこから得る気付きを与えてくれたんじゃないか。卒業式の後に送るひとりひとりへのメッセージを聞いてそんなことを思いました。

僕は移住したことで過疎地域への転校のむずかしさを目の当たりにしましたが、この1年が無ければそれだけが僕の見た景色になったはずです。でもこの先生のおかげで、このクラスのおかげで、そうじゃない、人の力で子どもたちは変わっていけるという可能性も見せてもらうことができたんです。

きっとその先生の後ろにもたくさんの支えてくれた存在や、見てきた大きな背中があるのじゃないかな。1年間真剣に子供たちに向き合ってくれたことに感謝です。

冗談をいいながら生徒の卒業写真に写りたがる先生の姿とその隣で笑う卒業生の姿に、1年間このクラスは愛してもらったんだなあと実感しました。

地方移住というシャッフル

ここで書いたことはあくまで一例ですし、僕からの目線でしかありません。クラスや学年によっても変わりますしね。

でも移住後の学校問題で悩まれる方はきっとたくさんいらっしゃると思います。こうすればいい、という答えはないですがどんな地域のどんな子供たちもやがて社会に出て今までの人間関係から飛び出しシャッフルされるわけです。

ならば早いうちから新しい人も価値観も受け止めて広がっていくような学校生活が送れれば、相手の気持ちを想像できる人間が育つのじゃないか。そう考えると地方移住する、受け入れる、ということにはお互いに大きな価値が生まれるのかもしれません。









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